水底呼声 -suitei kosei-

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  13−2  

森の外へたどり着き馬車に乗ると,みゆは急に体が重くなった.
馬車の席に座って安心したのか,無意識にたまっていた疲れがどっと出た.
「眠っていいよ.」
「うん.」
ウィルに肩を抱かれて,うとうとと眠る.
一方の百合は,マージに抱かれて眠っていた.
みゆたちが眠る中で,ウィルとマージとキースは改めて自己紹介をしていた.
そして,たがいの情報を交換する.
結界が崩壊したとき,地面が揺れていたのは洞くつの内部だけだったらしい.
キースもマージも,地面の揺れは感じなかった.
まだいろいろとしゃべっている途中で,馬車はとまった.
「大神殿に着いたよ.ミユを起こすかい?」
「ううん.僕が抱いて,馬車から降りる.」
「了解.ラート・ユリは俺が運ぶよ.」
キースとウィルの会話に,みゆは目を開く.
「私は起きています.」
何度かまばたきをして,眠気を追い払う.
窓の外に目をやると,サイザーがいく人かの巫女とともに,建物から前庭に出てきた.
馬車に向かって小走りでやって来る.
ウィルが警戒して,座席から立とうとした.
「大丈夫だから.」
みゆはほほ笑んで,ウィルよりさきに馬車から降りた.
みゆの汚れきった姿を見て,サイザーは顔色をなくす.
「医者に連絡して.それから湯あみと着替えの準備を.」
彼女は,そばの巫女に命じた.
そして,みゆに向かって,
「何があったの?」
サイザーは心から心配していた.
「あなたがわざと,結界を破壊するわけがないわ.何か不測の事態が起きたのね?」
ウィルが馬車から降りて,サイザーをいぶかしげに見つめる.
サイザーは視線を返して,ちょっとしてから目を丸くした.
「あなたは,ウィルなの?」
彼の雰囲気が変わったので,分からなかったのだろう.
「はい,ウィルです.」
みゆは答えた.
「結界を壊したのは,私ではありません.」
キースが百合を抱えて,馬車から降りてくる.
百合はぐったりとしていたが,眠ってはいなかった.
サイザーの表情が凍りつく.
「ユリ,……あなたが,」
口をむなしく開閉してから,
「なんてことをしたの!?」
両手で顔を覆って,泣き崩れる.
「恐ろしい,何を考えて……,」
百合が結界を消失させたと察したのだろう.
悲嘆に暮れるサイザーに,そばにいる巫女の女性がおろおろとしている.
「ラート・サイザー.不十分でしょうが,事情は俺が説明します.」
キースが言った.
次に,馬車から降りてきたマージに,
「マージさんは,ミユとウィルを浴場へ連れていって.」
「えぇ.」
マージはうなずいて,みゆたちに大神殿へ入るように促す.
しかしみゆは,百合とサイザーを案じて留まろうとした.
「ミユ,君は医者が優先.」
キースがたしなめる.
「行こう.」
みゆの手をつかんで,ウィルがささやく.
「うん.」
みゆは彼の顔を見て,ひゅっと息をのんだ.
「どうしたの?」
ウィルがまゆを寄せる.
一瞬,彼の顔が,電車事故でなくなった姉の顔に見えた.

カリヴァニア王国王都の宿屋の部屋で,ルアンはうっすらとほほ笑む.
世界から結界がなくなった.
ルアンの思惑どおりに,百合が破壊した.
まさか洞くつの結界のみならず,すべての結界を破壊するとは想像しなかったが.
神聖公国は混乱しているにちがいない.
首都の城にいるであろうみゆが,気がかりだった.
ウィルはおそらく,まだ北の世界の果てにある洞くつのそばにいるだろう.
今ごろ洞くつをくぐって,みゆに会いに神聖公国へ向かっているのかもしれない.
ルアンは窓枠に片腕をのせて,薄暗いくもり空を眺める.
「ごめんね,ユリ.君を利用して.」
赤子を幸せそうに抱いている彼女の顔が思い出された.
「ごめんね,バウス殿下.君との約束をやぶって.」
国を守りたいという,若く純粋な王子.
そんな大切な二人を裏切った.
いや,故郷に住むすべての人を裏切った.
胸が痛む.
が,まったく後悔していない.
カリヴァニア王国で再会したウィルは,自分の生をあきらめていた.
それどころかルアンに,ごめんなさいと謝った.
「王国に来なければ,お父さんは助かったのに.」
けれどルアンにとって,おのれの命は小さなことだった.
重要なのは,ウィルが生きて幸せでいること.
赤ん坊のときに殺されたと思っていた,生きていたと分かってどれだけ喜んだか.
お父さんと呼んでくれて,どれだけ心が満ち足りたか.
ぐんと男らしく成長した姿を見て,どれだけ誇らしかったか.
だからウィルとみゆが王都から旅立った後,百合に近づいた.
大神殿の桜のもとへ,ライクシードと戻ればいいとそそのかした.
ライクシードのためには,結界をやぶる必要がある.
ルアンやウィルには無理でも,異世界人の百合にはたやすいことだ.
結界がなくなれば,神聖公国は諸外国から攻められる.
けれどウィルは,水底に沈む王国から逃げることができる.
ルアンにとって,息子の命は神聖公国よりも重い.
そもそも神聖公国が,重要だったときはなかった.
ルアンは産まれたときからずっと,日陰者の黒猫として大神殿の地下に閉じこめられてきた.
人としての普通の暮らしすら与えられなかったルアンに,国を守る使命感があるわけがない.
神をおそれたり,祈ったりする心があるわけがない.
むしろ,神や神の塔を疑い,うとましく感じていた.
「ウィル,生きてくれ.」
親の身勝手なわがままで,ひとりよがりと承知している.
君が死を受け入れても,僕は君の未来を望む.
誰に恨まれても,裏切り者として石を投げられても,戦火の中で祖国がつぶれても構わない.
双子の姉を愛したときから,世界を壊す覚悟はできていた.
もう二度と会うことはない僕の片翼,リアン.
君を,いつまでも愛している.
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