水底呼声 -suitei kosei-

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  12−18  

まるでピクニックだ.
昼食の入ったバスケットを持って,みゆはカリヴァニア王国へ続く洞くつに入る.
「暗くなるまでには帰ってくるんだよ.」
キースの呼びかけに,にこっとほほ笑んだ.
「はい.いってきます!」
いってらっしゃいと手を振るのは,スミとセシリアとキースとマージだ.
トティを含め洞くつの出入り口を警備している兵士たちも,にこにこと笑っている.
恋人とデートするのに,これだけ多くの人に見送られるのは,さすがに恥ずかしい.
しかも彼らは,走るなとか足もとに気をつけろとか世話を焼くから,恥ずかしさも倍増だ.
みゆは手を振り返してから,薄暗い洞くつの道をいそいそと進んだ.
バスケットの中身は,マージが調理場からもらってきた.
くるみの練りこんだ丸いパンに,ドライフルーツのたっぷり入ったパウンドケーキに,ドーナツの形をしたチーズのパンに,ほかにもいろいろある.
マージいわく,リアンが妊娠中に好んだものだから,ウィルの口にも合うらしい.
さらにみゆは,花の形をした髪飾りをつけている.
ウィルに会いに行くとサイザーに告げたら,彼女が貸してくれたのだ.
曲がり道を歩いていると,奥から女性の声が聞こえてきた.
みゆは驚いて,足を止める.
この洞くつで,人と出会うのは初めてだ.
いったい誰がいるのか.
カリヴァニア王国側からやって来たのか?
あるいは神聖公国側から入り,まだ洞くつ内にいるのか?
後者はありえない.
神聖公国は常に,洞くつに見張りを立てているから.
前者ならば,それが可能なのは,結界をくぐれる地球人のみだ.
ドナートがルアンに依頼して,再び日本から人を召喚したとは考えづらい.
となると,そこにいるのは――.
みゆは少し警戒しつつ,足を動かした.
案の定,毛先だけ茶色の黒髪の女性がいた.
「白井さん?」
土の壁に両手をつけて,何ごとかをつぶやいている.
魔法の呪文だろうか.
「白井さん,何をやっているの?」
百合が気づかないので,みゆはもう一度声をかけた.
すると彼女はびくりと震えて,顔を向ける.
「古藤さん!? なぜここに?」
「私はウィルに会いに,王国に戻るところなの.」
「あぁ,そう.だから彼が,洞くつのそばにいたのね.」
「白井さんは,何をやっていたの?」
王都の城にライクシードとともにいたのに,なぜ北の世界の果てにある洞くつにいるのか.
もしや,神聖公国に残した子どものところへ戻る途中なのか.
百合は気分を害したらしく,まゆを上げた.
「あなたには関係ないわ! さっさと彼氏のところへ行きなさいよ.」
カリヴァニア王国の方を指差す.
「う,うん.」
みゆはうなずいたものの,何となく不安だった.
そそくさと百合の脇を通り抜ける.
彼女がここにいるということは,ルアンやライクシードも洞くつのそばにいるのかもしれない.
みゆは背中に視線を感じつつ,洞くつの出口を目指した.
けれど嫌な予感が,一歩進むごとに強くなる.
百合はみゆの存在に気づかないくらい,一心不乱に祈っていた.
何か大きな魔法を使うつもりなのだろう.
カリヴァニア王国と神聖公国をつなぐ洞くつの,ちょうど真ん中あたりで.
気づいた瞬間,みゆは雷にうたれたような衝撃を受けた.
振り返ると,
「まだ用があるの?」
百合はこちらをにらみつけていた.
「白井さん,やめて.」
みゆのバスケットを持つ手が,ぶるりと震える.
「結界を壊すのはやめて.なぜそんなことをしようとしているの?」
彼女の顔がぎくりとこわばる.
図星だ.
結界は,外側からよりも内側からの方が破壊しやすい.
洞くつの結界をつぶしたければ,洞くつ内でやるのが一番たやすい.
みゆは,百合のそばに戻ろうとした.
だが両足に,しびれが走る.
「きゃあ!?」
前のめりにこけて,とっさに右手で腹をかばう.
左腕から地面に落ちて,バスケットからパンがこぼれた.
「私に近づかないで.」
百合は冷たい目をして見下ろしていた.
「結界さえなければ,私はライクシードとともに大神殿へ帰れる.」
みゆは立ち上がろうとした.
ところが両ひざが,のりでくっついたみたいに地面から離れない.
「彼がいれば,私は母親になれる.彼が桜の父親になれば,私は桜のそばで笑っていられるの.」
彼女のせりふが,みゆには理解できない.
「それに私は,彼を守りたい.あんなにも親切にしてくれているのだから,恩返しをしたい.」
彼を,湖の底に沈む王国に残したくないとしゃべる.
「神聖公国の家族に会わせてあげたいし,古藤さんのことが好きならば,応援してあげたい.」
みゆはひざ立ちになって,口をぱくぱくさせた.
しかし,ぼう然としている場合ではない.
百合を止めなくてはならない.
彼女はライクシードのために,結界を切ろうとしているのだ.
「待って.今,王国を救うために,神聖公国ではさまざまなことをやっているの.」
ライクシードを助けたいという気持ちは分かる.
分かるが,彼女のやり方は性急すぎる.
「移住について会議したり,図書館で歴史の調査をしたり,大勢の人たちが力を尽くしている.」
百合は鼻先で笑った.
「結界をなくせばいいだけじゃない.」
「まだ移住先は決まっていないの.決めてからじゃないと,移動はできない.だから結界を壊さないで.」
「そんな悠長なことを言ってどうするの? 二年後に水没するのよ.」
「分かっている.」
つい数日前までみゆはひとりであせって,周囲を困らせたのだから.
「でも,あせらないで.そもそも王国について書かれた暗号の本には,不明な点がたくさんある.」
百合はみゆを無視して,魔法の呪文を唱え始めた.
「封じられたる部屋のかぎは,神の御手にあり,」
巨大な力がわき出てくるのが,みゆには感じられた.
「開かれた世界は,彼らの知るところにない.」
ぞくりとした.
彼女は,洞くつの結界だけではなく,この世界の結界すべてを消すつもりかもしれない.
「やめて.」
神聖公国の豊かな大地は,周辺諸国にねらわれている.
結界がなくなればどうなるのか,みゆには想像もつかなかった.
「やめて.神聖公国が大変なことになる.」
百合に土下座して頼むか?
いや,彼女がみゆのお願いをきくとは思えない.
ならば,力ずくで止めるか?
だがみゆは,立ち上がることさえできない.
そして説得は,すでに失敗した.
そもそも百合は,みゆの話を聞かない.
そんなことをしてもライクシードは喜ばない,と訴えるか.
しかしみゆが彼の名前を出すのは,危険ではないか.
百合は多分,彼に恋心を持っている.
あなたがライクシードについて分かったような口をきかないで,と逆上されるのではないか.
かといって,やめてとばかり繰り返しても,何の役にも立たない.
そのとき,音もなく,洞くつがゆがんだように見えた.
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