水底呼声 -suitei kosei-

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  12−17  

翌朝,みゆはすっきりとした心地で目が覚めた.
朝の光の中で,別れた恋人のことを想う.
会いたい.
会いたければ,会いに行けばいい.
みゆは,初めて気づいた.
みゆは自由に,神聖公国とカリヴァニア王国を行き来できるのだ.
二国をつなぐ洞くつが消えたわけでも,洞くつを利用するのに回数制限があるわけでもない.
だから気軽に旅行すればいい.
日帰りでもいいし,一週間ほど滞在してもいい.
ウィルはスミに,みゆを神聖公国から出すなと手紙で頼んだが,みゆが“旅行”する分には構わないだろう.
なぜ,こんな簡単なことに気づけなかったのか.
会いたい気持ちを抑える必要はなかったのに,みゆはずっと我慢していた.
「エリューゼ,」
恋人の名前を呼ぶ.
「エリューゼ,聞こえる?」
顔が見たい,声が聞きたい,抱きしめてほしい.
子どもができたと伝えたい.
「あなたに会いたいの.」
どこか遠くで,彼の気配が感じられた.
前に一度,エリューゼに呼びかけたときは,何も知覚できなかった.
けれど今は,はっきりと分かる.
ウィルはとまどっている.
みゆの望みをかなえていいのか,迷っている.
「ウィルに会ったら,神聖公国へ戻るから!」
さけんだ瞬間,視界が開けて緑色になった.
みゆは鳥のように飛んで,世界の果ての森にいるウィルを見つめている.
彼は,カイルの墓のそばに立っていた.
「すぐにそこに行く.待っていて.」
ウィルは空を見上げて,にこりとほほ笑む.
――うん.待っている.
「おはようございます.」
マージが部屋に入ってくる.
ぷつんと恋人との通信は途絶えた.
「どうしたのですか?」
不思議そうな顔をするマージに,みゆはあいまいに笑った.

朝食の後で,みゆはキースに禁足の森へ行きたいと頼んだ.
ところが,
「駄目だよ.あそこは,お化けが出る怖い森だよ.」
彼は,カリヴァニア王国は魔物たちの国と信じているらしい.
「呪われた王国は,神聖公国と同じく人間たちの国です.それに私は,王国から来たのです.」
みゆは説明する.
「あれ? ちがう世界から来たのじゃなかったっけ?」
「異世界の地球から,王国を経由してここに来たのです.」
「ややこしいんだね.」
キースは,のんきに笑った.
「洞くつをくぐって,王国へ行きたいのです.今日中には戻りますから.」
「なんで王国へ行きたいの? 忘れもの?」
首をかしげる青年に,みゆはほほ笑む.
「ウィルに会いたいのです.」
「え? 呪われた王国にいるの?」
彼は目を丸くする.
「はい.」
キースは想像以上に,事情を知らないようだ.
なのに,みずから進んで護衛になるとは,度胸があるのか能天気なのか.
「そっか.なら会いたいよね.すぐに禁足の森まで連れて行ってあげるよ.」
「ありがとうございます!」
みゆは声を弾ませた.
「できるだけ揺れない馬車を用意してもらいましょう.」
マージも,にこにこと笑っている.
「私も,洞くつのそばまでついていきます.」
話がまとまったところで,客がやってきた.
スミとセシリアとユージーンである.
スミは出し抜けに,一枚の書類を見せた.
「これをさっき,神官長に見せてきました.」
少年は勝ち誇った顔をしている.
「何?」
みゆは問いかける.
高級そうな白い紙に,文字がびっしりと詰まっている.
「バウス殿下が,ミユさんと子どもの保護者になるという書類です.」
最下部には,王子の署名が入っていた.
「スミったら心配性だわ.」
セシリアはあきれている.
「ミユたちのことは心配ないと,バウス兄さまも言っているのに.」
スミは,みゆや赤子の身に何かあれば城が黙っていないぞと,神官長を脅したのだ.
おのれの主君であるバウスの名前を使って.
確かに,スミはやりすぎかもしれない.
けれど,
「ありがとう.バウス殿下にもお礼を伝えておいて.」
心配してくれてありがとう,と思う.
「はい.」
少年はうれしそうに笑った.
マージがお茶を準備して,スミたちにいすに座るように勧める.
セシリアは,みゆの真正面に着席してから,質問する.
「つわりは大丈夫なの?」
「今は平気よ.」
「よかった.」
少女は,隣の席のスミとともにほほ笑んだ.
「カリヴァニア王国のことは,ひとまず私たちに任せて,元気な赤ん坊を産んでね.」
「ありがとう.」
みゆは,セシリア,スミ,ユージーンの顔を見た.
こんなにも頼もしい人たちが,力になってくれている.
にもかかわらず,みゆは勝手に絶望して,神の塔に入ろうとした.
図書館での文献調査も城での会議も始まったばかりなのに,ひとりであせった.
本当に情けないことだ.
「でも私の知識が必要なときは,いつでも連絡して.」
歴史研究や移住に関する話し合いでは,みゆはあまり役に立てない.
だが,カリヴァニア王国や異世界について語ることならできる.
特に地球の話は,みゆにしかできない.
ユージーンはお茶を口にした後で,楽しげに笑う.
「多分,そのうちに図書館に顔を出してくれとお願いされるよ.」
好奇心旺盛な学者たちを思い出して,みゆも笑った.
「あぁ,忘れるところだった.これは,うちの家族から.」
ユージーンは,焼き菓子の入ったバスケットを渡す.
「君が健康そうで安心したよ.」
「ありがとうございます.心配ばかりかけて,ごめんなさい.」
あんな形で家を出たのだ.
ナールデンたちは心配しているだろう.
そしてみゆは彼らに,ウィルに会うためにカリヴァニア王国へ向かうと告げた.
するとスミは,自分もついていくと言い出す.
「禁足の森まで護衛をさせてください.」
セシリアも,護衛のためについていくとしゃべる.
「私は神の一族.スミよりも頼りになるわ.」
少年はむっとした.
「なるわけないだろ.護衛の対象が増えるだけだ.」
少女はあっかんべーをする.
「今は剣も扱えるから,立派に働けるもーん.」
「剣は護身のために教えたんだ! 戦うためじゃない.」
「筋がいいって,バウス兄さまにほめられたわよ.」
「殿下は適当にほめているだけだろ.セシリアに甘いんだから.」
にぎやかな痴話げんかが始まる.
が,セシリアに失恋したユージーンは微妙な顔つきをしていた.
「ミユ.君が俺に心配かけたおわびに,大神殿の女性を紹介してくれないか?」
「え?」
予想外のお願いに,みゆは困った.
しかしキースが,妻の友人を紹介しようかと声をかける.
「恥ずかしがり屋でおとなしい性格だけど,かわいい娘だよ.」
「ありがとうございます.」
キースとユージーンは,熱い握手を交した.
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