水底呼声 -suitei kosei-

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  12−14  

吐き気はおさまらなかったが,みゆはぐっすりと眠って,朝を迎えた.
食欲がないので,朝食は三,四口だけ食べる.
その後,前にセシリアや百合が着ていた,だっぽりとした白のワンピースに身を包む.
神の塔に入るときは下着をつけないと言われて,みゆは嫌悪感にぞっとした.
恐怖心が,足のさきから,じわじわと上がってくる.
二人の巫女に案内されて,みゆは塔まで歩く.
神の塔は,塔にもかかわらず,屋内にある.
大神殿は,神の塔を覆って建てられているのだ.
塔のそばには,ルアンの部屋がある.
彼はみゆに,出産は命がけだからしてほしくないと告げた.
実際にリアンは,ウィルを産んだ直後になくなった.
塔の前の廊下には,サイザー,神官長をはじめ,大勢の神官や巫女たちが待っている.
そして,若草色の髪の少年と銀髪の王子も立っていた.
「スミ君,バウス殿下.」
みゆは驚いた.
大神殿は,外部の人間を中に入れたがらないはずなのに.
「マリエから聞いたとおり,ひどい顔色だ.」
バウスは腰を落として,顔をのぞきこんだ.
「冷静になって考え直せ.今なら間に合う.」
「神の塔に入らないでください,ミユさん.」
スミが,みゆの前に進み出た.
「王国のために犠牲にならないでください.あなたが犠牲になるくらいなら,ウィル先輩は滅亡を選びます.」
少年は必死に訴える.
「そもそも先輩は,いけにえだったあなたを連れて王城から逃げた人ですよ.」
ウィルは裏切り者となって,王城から逃げ出した.
さらについ十日ほど前は,神聖公国へ向かうみゆの背中を押した.
どちらも,みゆを守るためにしたことだ.
瞬間,心に強さが産まれた.
「私はウィルを守るためなら,何でもできるの.」
たとえ彼が望んでも,彼の死は受け入れられない.
だから,命をかけてがんばる.
「スミ君がどれだけ引き止めても,私は行く.」
おそらくバウスとスミは相当な無理をして,この儀式に参加したのだろう.
みゆを止めるためだけに.
「心配してくれてありがとう.」
みゆはほほ笑んだ.
きっと耐えられると思う.
みゆには,心配して力になってくれる友人たちがいるから.
「分かりました.」
少年は悲しそうに目を伏せた.
「君の想像以上に妊娠期間は長い.つらいときは,すぐにまわりに相談しろよ.」
バウスがしゃべる.
みゆが,はいと返事すると,彼とスミはみゆから離れた.
「では,儀式を始めます.」
神官長がおどおどした様子で,陶器のつぼを持ってくる.
「まずは水で,手と腕を清めて,」
「待って.さきに確かめないといけない.」
サイザーが,彼の行動を制止する.
「ミユ,いらっしゃい.」
「はい?」
サイザーはみゆの手を引いて,神の塔へ連れていった.
扉を開くと,からっぽの丸い部屋が現れる.
「ゆっくりと,片手を差し入れなさい.」
「え? なぜですか?」
「いいから,やりなさい.」
みゆは,慎重に右手を前に出した.
すると,こつんとぶつかる.
「へ?」
透明の壁でもあるのか.
右手は塔に入れずに,ぺたんと壁につく.
左手も,不可視の壁についた.
こんな場所に壁はなかった.
みゆは一度,神の塔から廊下へ出たことがあるのだから.
「やっぱり.」
サイザーがつぶやき,肩にはおっているショールを取って,みゆの腰に巻いた.
「儀式は中止よ,とんだ茶番だわ.」
スミもバウスも,みゆを囲む全員が目を丸くしている.
「昔から,妊婦は神の塔に入れないのよ.」
みゆは,ぽかんと口を開けた.
サイザーは巫女たちに,みゆの部屋を暖かくして,ゆったりとした下着と服を用意するように命じる.
「滋養のある食べものを用意して,ミユはつわりが重いみたいなの.」
さっきから,何を話している?
予想外の展開についていけない.
しかし理解できた瞬間,
「ええーーー!?」
みゆは大声を上げた.
「身に覚えがあるのでしょう?」
サイザーがあきれて,たずねる.
みゆは,ほおに熱が集まるのを感じた.
情けないことに,身に覚えならたくさんある.
「ウィル先輩の子どもが…….」
スミも真っ赤な顔で,みゆの腹を見た.
「じゃあ,俺とセシリアが禁足の森にミユさんを迎えに行ったときには,すでに身ごもって,」
せりふが続かずに,目を白黒させる.
バウスは渋い顔をしているし,きまずい空気があたりを流れている.
みゆは未婚なのに,腹に子を宿しているのだから.
「昨日,吐いたでしょう?」
サイザーの質問に,うなずく.
「ずっと体調が悪かったのではないの?」
再び,首を縦に振る.
「貧血も,妊娠のせいですか?」
「えぇ,妊婦は貧血になりやすいの.」
「涙もろかったり,いらいらしたりしたのも?」
最近,やたらと情緒不安定だった.
「まさか昼寝も,」
妙に眠くてソファーで横になり,何時間も寝たことが何度もあった.
「そうよ.ユリも最初のころは,ひどかった.おなかが大きくなってからは,落ちついたけれど.――異世界の女性は皆,つわりが重いのかしら.」
もはや,何も言葉にならない.
旅の疲れが出たわけでも,ウィルとの別れがショックだったわけでも,神の塔に入ることがストレスだったわけでもなく,つわりが重かっただけ.
みゆは脱力して,床に座りこみそうだった.
すっかりと悲劇のヒロインになって,ある意味,酔いしれていた.
思い返すと,昨日からの言動すべてが恥ずかしい.
そして,こうのとりがいつごろやってきたのか,簡単に検討がつく.
カリヴァニア王国でウィルと再会してから,ほぼ毎晩,抱かれていた.
二年前は危険な日は避けていたのに,情熱的で強引な恋人に流されていた.
今まで大丈夫だったから今回も妊娠しないと,何の根拠もなく思いこんでいた.
ウィルは避妊を考えずに,――いや,ちがう.
彼は最後に,「体に気をつけてね!」とさけんだ.
それにあのにっこり笑顔は,何もかも承知している風だった.
つまりウィルは,ねらって子どもを作った.
みゆが神聖公国で子どもを産み育てることを期待して,洞くつへ向かうみゆの背中を押した.
みゆはこれから,子どもとともに生きていくのだ.
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