水底呼声 -suitei kosei-

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  12−6  

翌朝,バウスはみゆの泊まっている客室までやって来た.
同行者は,スミとマリエだ.
なぜ王子の婚約者が同席するのかと,みゆは首をかしげたが,マリエは補佐官でもあるらしい.
公私ともに,パートナーなのだろう.
マリエは落ちついた物腰の,聡明そうな女性だった.
セシリアのような華やかな容姿はしていないが,かといって地味でもない.
彼女との恋愛がバウスの雰囲気を,二年前よりもずっと柔らかいものにしたのかもしれない.
ただ,今の彼は目が赤くはれあがり,穏やかさや余裕は感じられなかった.
みゆは,ますます不安になる.
そもそも昨日の時点で,心もとなかった.
バウスは,あからさまに動揺していた.
セシリアは彼が気になると言って,部屋を退出したきり戻らない.
そしてスミさえ,部屋に来ない.
なのでみゆは部屋から出て,彼らを訪ねようとした.
しかしメイドや兵士たちが「部屋で待っていてください.」と懇願する.
彼らに事情を聞いても,彼らにも分からないらしく,逆にこちらに質問してくる.
みゆは昨日一日,客室に閉じこめられていた.
不安は募る一方で,昨夜はほとんど眠れなかった.
朝起きてからも,状況は変わらない.
おかげで,朝食はのどを通らなかった.
「結論から言う.」
バウスは向かいのソファーに腰かけると,口を開く.
「洞くつの結界を切って,わが国の領土へ足を踏み入れることは許可できない.」
「なぜですか?」
簡単に移住を受け入れてくれるとは思っていなかった.
だが,ここまで拒絶されるとも予期していなかった.
「神聖公国は,人口過密という問題を抱えている.よって移民は受け入れられない.」
人口過密とは,みゆやドナートが想定していなかった事態だ.
「移住先は,ほかの国でも構わないのですが.」
つまり,神聖公国を通過させてくれるだけでいい.
そう告げると,バウスの表情がつらそうにゆがむ.
「周辺の四国はすべて,住みづらいところだ.」
西は砂漠で,北は雪原で,東と南は自然災害が多いと説明した.
みゆは,ぽかんと口を開ける.
結界の内と外で,気候がそんなにちがうことがありうるのか.
そのとき,ドナートの話を思い出した.
「神は結界を作って大陸を中央と周辺に分け,中央に世界の恵みを集めた.結果,周辺からは豊かさが失われた.」
つまり神聖公国に富を吸い取られているから,周辺の国々は自然環境が厳しいのだ.
みゆの顔から,血の気が引いていく.
神は,なんという残酷なことをしたのか.
今,初めて具体的に,この大陸のいびつな全体図が見えた.
これでは,移住先は存在しない.
いや,カリヴァニア王国にいたときから,うすうす気づいていたのではないか?
新天地などあるのかと.
「もしも君が洞くつの結界を切ったならば,俺は宣戦布告と見なす.」
みゆは一瞬,絶句した.
バウスは,カリヴァニア王国が武力をもって,神聖公国の土地を奪うと考えている.
「ドナート陛下は,戦争を望んでいません.」
そもそも,いけにえをささげるのをやめて,移住を決意したのだ.
他者の命を奪うのをよしとせずに,国全体の引っ越しという困難な道を選んだのに.
人を殺して他国の土地を手に入れるなど,できるわけがない.
呪いを解くためにいけにえをささげるか,呪いから逃げるために他国を侵略するか.
誰かの命を犠牲にしなければ,カリヴァニア王国の民は助からない.
それが地球の女性か,神聖公国や水の国の民衆かだけの差で.
こんな結論は認めたくない.
みゆは歯をくいしばって,うつむいた.
城の皆の期待を背負って,神聖公国へ旅立ったのだ.
ドナートは,よろしく頼むと頭を下げた.
王国に伝わる大切な指輪まで,持たせてくれた.
ツィムは,いつか必ず王国が救われると信じてくれた.
ウィルは優しくみゆの背中を押して,神聖公国へ送り出してくれた.
みゆは顔を,隣に座っているスミの方へ向ける.
頭を動かしたとたん,めまいがした.
「スミ君,教えて.」
貧血でくらくらするが,構わずに問いかける.
「ウィルの手紙には,何が書いてあったの?」
昨日から,ずっと引っかかっていたことだ.
「スミ,教えてやれ.」
少年が迷っていると,王子が命じる.
「ミユちゃんを神聖公国から出さないで,と書いてありました.」
すなわち,私をカリヴァニア王国に帰すなと.
視界がすぅっと暗くなり,足もとから崩れ落ちた.
倒れるみゆの体を,スミがつかみ寄せてソファーに戻した.
「ごめんなさい,ミユさん.」
少年の声には力がない.
みゆは何かをしゃべろうとしたが,言葉にならずに涙があふれた.
ウィルが私に,自分のもとへ帰ってくるなと要求するなんて信じられない.
けれど,心のどこかで納得する.
カリヴァニア王国で,彼の態度は妙だった.
愛しているなんて,今まで言わなかった.
彼はみゆと再会したときから,別れを覚悟していたのだ.
だから,僕を呼んでと,世界が水没しようとも君の声は届くと言った.
移住は不可能と分かっていた.
そしてそのことを,みゆに知らせなかった.
みゆが考えても,それは国王の仕事と言いくるめて,気持ちをそらせた.
がたがたと体を震わせながら,みゆは静かに泣き続ける.
ウィルは,みゆをちゃんと守ってくれた.
呪われた王国から逃がし,さらにみゆが戻らないように先手を打った.
私は,これからどうすればいいの.
カリヴァニア王国は救えなくて,ウィルを守ることすらできなくて.
そして,ともに水底に沈むことも拒否された.
何のために,生きている?
また,ひとりだけ助かって.
電車は脱線して姉は命を失ったのに,ひとつの王国がほろぶのに,みゆだけは生き残る.
ウィルとともにならば,死んでもよかったのに.
世界の崩壊する音が,脳内にがんがんと響き渡った.
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