水底呼声 -suitei kosei-

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  12−5  

スミの顔色は,これ以上はないほどに悪くなった.
「移住以外に方法はないのですか?」
「ないから,移住を決断したのだろう.」
愛着のある土地を捨てるなど,本来は考えもつかない.
それだけ,王国は追いつめられているのだ.
「そんな,どうすれば…….」
バウスは,スミから目をそむける.
「十万人もの人を見殺しにするのですか? 王国にはウィル先輩が,俺の母親だって,」
「うるさい.黙ってくれ.」
バウスは,頭を抱えた.
「カリヴァニア王国には,」
ライクシードがいる.
なのに,弟を救うための算段が思い浮かばない.
それどころか,彼の命よりも神聖公国の安全を優先しなくてはならない.
母をなくした上に,弟までなくすのか.
バウスはぞっとした.
すると肩に,暖かい手がそっと触れる.
マリエだ.
バウスは,深く息を吐いて吸う.
ゆっくりと両手を離して,顔を上げた.
スミは,子どもみたいにべそをかいて,唇をかみしめていた.
「禁足の森にある洞くつの警備を厚くする.」
少年は目を丸くする.
「まさか本当に,王国が神聖公国を攻めると考えているのですか?」
非難のこもった声だった.
「俺は,さまざまな事態を想定して動かなければならない.」
スミは,はっとした.
「ミユさんは,どうするのですか?」
「ライクからの頼みだ.彼女は,俺が責任を持って保護する.」
それと,とバウスは語をつぐ.
「あいつの手紙には,ミユには何も知らせるなと書かれていたが,彼女には教える.」
ライクシードは,移住が不可能と分かっている.
スミに見せてもらったウィルの手紙には,みゆを神聖公国から出すなとのみ記されていた.
二人は共謀して,彼女を使者として呪われた王国から逃がしたのだ.
カリヴァニア王国で,移住はできないと認識しているのは,彼ら二人だけだろう.
ルアンは,本人が話すように世間知らずなので,気づいていないと思われた.
「待ってください.ミユさんは知れば,王国へ帰ると言います.」
スミが訴える.
「だからウィルはお前に,彼女をこの国から出すなと頼んだのだろう?」
「無理ですよ.」
ウィルは,自分がもっとも信頼する少年に,恋人の安全をたくした.
「縄で縛ってでもいいから,彼女を引き止めろ.」
スミの表情が,情けないほどに崩れる.
「セシリアにも,事情を説明せねばなるまい.」
事実を知った少女の悲しみを想像すると,バウスは片手で胸をかきむしった.
本音を言うと,みゆにもセシリアにも内緒にしておきたい.
けれどそうすれば,彼女たちは二人で協力して真実を探り始めるだろう.
隠しとおすことはできない.
そして,国王である父に解説は不要だが,彼は親書を読んだとたんに卒倒するにちがいない.
さらに,今,真正面に座っている少年は,カリヴァニア王国人だ.
「状況によっては,お前を俺の親衛隊から追い出す.」
「え?」
スミは心底驚く.
「その場合,お前は自分の身を守り,いつか必ずセシリアのもとへ帰ってこい.」
少年はぼう然とした.
しばらくしてから,
「承知しました.バウス殿下.」
覚悟を決めて,表情を引きしめる.
最初のころ,スミは腰が引けた様子で“殿下”と口にしていた.
今はとても自然に呼んでくる.
バウスだって,少年のことが気に入っている.
「しっかりしろよ.俺はお前に兄さんと呼ばれる日を,しぶしぶ待っているのだから.」
バウスは無理やり笑った.
もうひとりの弟,――水底にしずむ王国にいるライクシードのことを考えると,目の前が真っ暗だった.
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