水底呼声 -suitei kosei-

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  12−1  

カリヴァニア王国の王都には,街を囲む壁がない.
なので,どこまでが城下街か判然としない.
民家がまばらになってきたので,そろそろ街の外かもしれないが.
愛馬サウザーランドの足を進めながら,ライクシードは故郷を思い起こした.
神聖公国の首都リナーゼは,石壁と堀に囲まれている.
百年以上前の内乱のときに,建造されたものだ.
現在は,結界がなくなったときの,外国からの侵攻を防ぐために維持されている.
対して,カリヴァニア王国の王都は無防備だ.
外から攻撃されることを,まったく想定していない.
「ユリ,」
ライクシードは馬の足を止めて,背中にしがみついている娘に呼びかけた.
「ラート・ルアンに何も告げずに,王都を出ていいのか?」
この質問は,すでに三回目である.
「いいの.ルアンは私のことは,どうでもいいもの.」
「彼は毎日,君に会いに城まで来てくれたじゃないか.」
それに,百合を王都まで連れてきたのはルアンだ.
百合は大層,彼の世話になっている.
なのに彼にあいさつせずに立ち去るのは,気が引けた.
「私には,あなただけなの.ルアンのことはいいから,私を世界の果てへ連れて行って.」
ライクシードは説得をあきらめて,サウザーランドを歩かせる.
目指すは,北の世界の果てだ.
十六日前に出発した,みゆとウィルを追う形になる.
よほどのことがないかぎり,ふたりに追いつくことはないが.
みゆたちが王都を去ってから,百合はますます情緒不安定になった.
地球へ帰りたいと言う日もあれば,ずっと城にいたいと言う日もあった.
国王も困り果てて,彼女を扱いかねていた.
「桜に会いたい.」
ある日,百合はぽつりとこぼした.
「でも私は駄目な母親だから,あの子のそばに寄れない!」
漆黒の瞳から,涙があふれる.
ライクシードは彼女をなだめ,事情を聞きだした.
だんだんと育児がうまくいかなくなったこと.
子どもが泣くといらいらして,どなったりなぐったりしてしまったこと.
わが子を殺してしまいそうで,距離を置いたこと.
桜を,大神殿の乳母たちに奪われた気持ちがしたこと.
自分は母親として失格だと感じていること.
最後の言葉に,ライクシードは「それはちがう!」と強く否定した.
ライクシードは,わが子に無関心をつらぬくセシリアの両親を知っている.
彼らに比べれば,百合は未熟だが立派な母親である.
その日から彼女は,毎日ほうけたように何かを考えていた.
そしてライクシードに,神聖公国へ連れて行ってほしいと頼んだのだ.
つまり彼女は,わが子のもとへ戻る決意をしたらしい.

洞くつに入ったみゆは,十歩ほど進んだところで振り返る.
最後にもう一度,ウィルの顔を見たかったからだ.
彼は,振り返ったみゆにびっくりしていたが,すぐににっこりとほほ笑んだ.
「体に気をつけてね!」
大きな声を上げる.
「ウィルも気をつけて!」
みゆも笑って,手を振った.
そしてまた前を向いて,歩く.
洞くつは最初はまっすぐだが,途中から緩やかに曲がる.
歩き疲れないうちに,出口が見えてきた.
神聖公国ラート・リナーゼ,神に祝福された国だ.
出口には,四人の兵士がいる.
四人のうちのひとりはみゆの顔を知っていて,スミに連絡しますと請け負ってくれた.
みゆが前回,神聖公国から出る際にも,ここで見張りをしていたらしい.
彼の名前はトティで,スミとは親しいと言う.
なので自然に,森の外へ向かう道中の話題は,スミのことになった.
少年は明るく社交的な性格のために,まわりからかわいがられているらしい.
バウス王子や国王からも頼りにされているようだ.
けれどそんな少年を嫉妬し,嫌がらせをする者もいる.
「嫌がらせですか?」
「心配無用だよ.スミはちゃんと報復しているから.」
トティは,おおらかに笑う.
「あれだけ美しい恋人がいれば,嫌がらせの十や二十ぐらい気にならないさ.」
そして大げさな手ぶりで嘆いた.
「あんなガキに恋人がいて,俺には誰もいないなんて,世の中は不平等だと思わないか?」
森の際でみゆが返事に困っていると,疾走する騎馬が二体,近づいてきた.
一体にはスミが,もう一体にはうわさの美しい恋人が乗っている.
みゆは,セシリアが来たことにも,少女が馬に乗れることにも驚いた.
スプーンよりも重いものは持てそうにない外見をしているが,意外に活動的らしい.
そばまでやってくると,スミたちは馬から降りた.
セシリアは,こわばった表情をしていたが,二年前よりも一段と美しくなっていた.
体つきが,ぐんと娘らしくなっている.
つぼみの愛らしさはなくなって,今,まさに花開こうとする麗しい乙女だ.
スミがねたまれるのが,よく分かる.
「ミユさん.」
少年は早足でやってきた.
「ウィル先輩と会えなかったのですか?」
心配している少年に,みゆは安心させるようにほほ笑む.
「彼とはすぐに会えたわ.今回は別の用事があって,神聖公国へ来たの.」
「別の用事ですか?」
「うん.それから,これはウィルからスミ君へ.」
かばんから,封筒を取り出して渡す.
「先輩が手紙なんて,めずらしいですね.」
少年は目を丸くする.
しかし,封筒から便せんを取り開いたとたんに,表情をくもらせた.
どんなことが書いてあったのか,少年はまゆをひそめている.
紙をすばやく折りたたんでから,たずねる.
「用事って何ですか?」
「ごめん.ここでは…….」
人目を気にして,みゆは断った.
まわりには,禁足の森を警備している兵士たちがいる.
彼らの前でしゃべっていい内容かどうか,みゆでは判断がつかない.
「了解です,森の奥で話しましょう.――トティさん.迎えの馬車が到着したら,知らせてください.」
前半はみゆに,後半はトティに向かって言った.
そして少年はみゆに,手を差し出す.
「足もとに気をつけてください.」
みゆは手を引かれ,少年についていく.
が,なぜかセシリアはついてこない.
「馬車と一緒にここまで来るつもりだったのですが,待ちきれなくて,さきに馬で走ってきました.」
少年は快活に笑い,そこで足を止めた.
「セシリア? ついて来いよ.」
少女はほおを真っ赤にして,怒っていた.
腕が震え,青色の瞳には涙がたまっている.
「スミのばか! 大っ嫌い!」
体いっぱいでさけぶと,少女は再び馬に乗り,首都の方へ走らせた.
「へ?」
少年はぽかんとして,少女を見送る.
何がなんだか,さっぱり理解できない風だ.
だが,みゆにはセシリアが腹を立てた理由が分かった.
トティたちも感づいているようで,苦笑したり,にやにやしたりしている.
ただひとり,分かっていない少年は,
「すみません,ミユさん.あいつは最近わがままなんです.」
この一,二か月ほど,けんかばかりしているとグチをこぼす.
「スミ君,追いかけた方がいいよ.」
みゆは,おせっかいを焼くことにした.
「セシリアは,すごく傷ついている.」
スミがみゆのことばかり優先し,森に入るのにみゆの手を取ったから.
そのくせセシリアに対しては,ついて来いよと命令するのみで.
「え? 気にしなくていいですよ.」
少年はまだ気づかない.
「今日だって,俺は来なくていいと言ったのに,なぜか一緒にミユさんを迎えに行くと言い張って,」
鈍感な少年に,みゆはあきれた.
「セシリアは私に嫉妬して,とっても悲しんでいるの.さっさと追いかけなさい!」
しかりつけた瞬間,スミの目の玉が飛び出る.
「嫉妬!? あのセシリアが!?」
見る見るうちに,顔面が赤くなる.
少年は,あたふたと馬に乗った.
次に思い出したように,馬上から,
「ごめんなさい.ちょっと待っていてください.」
言い終わるが早いか,大あわてで恋人の影を追いかけた.
そもそもセシリアが禁足の森まで来たのは,やきもちを焼いたからだろう.
最初から,少女の顔色は悪かった.
そして目の前で見せつけられて,ショックを受けた.
みゆにもスミにも恋愛感情はないが,確かにスミの行動はひどかった.
悪意はなかったのだろうが,セシリアをないがしろにしていた.
「このまま振られちまえばいいのに.」
トティが,冗談なのか本気なのか分からない調子でぼやいた.
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