水底呼声 -suitei kosei-

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  11−20  

比較的手ぜまな食堂に案内されて,ツィムが茶と菓子を用意してくれる.
彼女が向かいの席に腰を落ちつけてから,みゆは話を切り出した.
「城に勤めている兵士で,ラスという男性を知っている?」
ウィルに絶対に近づかないでと言われた,ウィルが殺したテアの弟だ.
ツィムは目を丸くしたが,ちょっとしてから心得えた顔になる.
「彼はウィル様を恨んでいません.」
みゆは多少,拍子抜けした.
次に,ほっとする.
城のどこかにウィルを憎んでいる人がいることは,みゆにとってつらいことだった.
被害者の遺族にとっては腹立たしいだろうが,これがみゆの本音である.
「もちろん,わだかまりはありますが,ラスは許しているそうです.」
みゆは何となくだが,ドナートが彼に頭を下げたのではないかと思った.
昨日,みゆに頭を下げたように.
「……ウィル様の方が,ラスを避けています.」
ツィムは言いづらそうに,言葉を落とした.
結局,どうあがいても,ウィルの犯した殺人の罪は消えない.
ウィルとラスが仲よくなることはないのだろう.
気持ちの沈んだみゆに,ツィムはいたわるようにほほ笑んだ.
「よかったら,食べてください.」
菓子の入った皿を手で示す.
「調理場の者たちが,ミユ様が帰ってきたと聞いて,ニホンのものを作ったのです.」
皿には,キノコとタケノコを模したクッキーが入っていた.
みゆの口もとから笑みがこぼれる.
確かに,日本の菓子だ.
そして王城に十日間滞在していたときに,何度も作ってもらったものだ.
「あなたは変わらずに,ウィル様を愛しているのですね.」
ツィムに感慨深げに言われて,みゆは照れる.
「うん.」
菓子を食べようと手を伸ばしたが,さきにのどを潤そうとカップを取った.
茶の香りを楽しんでから,口に含む.
「だから,あんなにも見目うるわしい男性に口説かれても,なびかなかったのですね.」
その男性が誰か分かって,みゆはふき出しそうになった.
「え?」
なぜツィムが知っている?
「ライクシード様が教えてくれました.」
彼女は苦笑した.
「それに彼とウィル様の態度から,気づいている人も多いです.」
みゆは反応に困る.
「この際だから教えますが,さきほどのメイドはライクシード様にほれています.」
ツィムに「ちゃんと聞いてね.」とお願いしていた女性だ.
「ミユ様が彼に気がないか確かめてほしいそうですが,……確かめるまでもありません.」
ツィムは妙に,誇らしげだ.
しかしその後で,あきれた表情になる.
「実は,シャーリー殿下の部屋で,カーツ村からウィル様に届いた手紙を見つけたのは彼女です.」
意外な事実に,みゆは驚いた.
「本来ならば,メイド長か国王陛下に伝えるべきなのですが,」
ツィムはため息を吐く.
「彼女はライクシード様に手紙を渡しました.」
つまり手紙は,彼に近づく口実に使われた.
「ライクシード様がすぐに陛下にお知らせして,シャーリー殿下を追いかけてくださったから,結果としてはよかったものの,」
メイドとしてやってはいけない公私混同だと,ツィムは怒ってしゃべった.
「そう言えば,シャーリー殿下はどこにいるの?」
昨日から城の中をうろうろしているのに,彼に一度も出会わない.
ただ,会いたいわけではないので,会えなくても支障はないが.
「彼は城から逃げました.」
ツィムは,つんと澄まして言った.
「私たちメイドが追い出しました.」
みゆはぎょっとする.
「当たり前ですよ! ウィル様がどれだけミユ様を求めていらっしゃるか,その姿がどれだけ痛々しいか,城にいて知らない者はいません.」
彼女はどんどんヒートアップする.
「ミユ様たちの邪魔をするものは,私が責任を持って排除します!」
ツィムは,みゆの想像以上に過激な性格だったらしい.
思い返せば二年前も,国王からウィルをもらうように勧めたし,みゆたちを応援しているとも言った.
なので,前からこういうノリだったのかもしれない.
ところで,シャーリーを追い出す方が公私混同では?
要するに,手紙を隠した彼は,こんな形で罰を受けたのだ.

翌日,みゆはウィルとともに,さまざまな人たちに出発のあいさつをして別れを告げた.
王妃のリズとも初めて顔を合わせたが,想像どおりの体型をしていた.
とても優しい女性で,ウィルを暖かなまなざしで見つめていた.
王都での滞在は,たったの三日間で終わった.
北の世界の果てまで,とんぼ返りである.
今度の旅は,時間が早く過ぎるように感じられた.
世界の果てに着いたら,ウィルとはしばらく会えなくなる.
洞くつをくぐって神聖公国へ行けるのは,地球の人間であるみゆだけだからだ.
カーツ村では予想どおりに,村長は礼金を受け取らなかった.
「私たちは城に手紙を送っただけで,ほかには何もしていないよ.」
なのでウィルは,国王からの手紙のみを渡した.
世界の果ての森に入ると,彼はみゆをカイルの墓へ連れて行く.
墓は,神聖公国へ続く洞くつの近くにあった.
大きな石が二つ積み上げられているだけの,シンプルなものだ.
みゆはルアンや百合とともに,このそばを通ったはずだが,見過ごしていた.
ひざをついて,手を合わせる.
カイルとは,ほとんど話したことはない.
けれど,
「神よ,彼らに安らぎを.とこしえの平安を与えよ.」
ウィルの顔に苦しみはなく,悲しみだけが広がっていた.
「変わらぬ世界の風は止まり,変わる世界の大地は揺れる.」
詩を朗読するように,祈りをささげる.
「我は神の血に連なる者,わが名はエリューゼ.」
ふっと彼の体が光に満ちて,その光が天に昇った.
胸が苦しくなるぐらいに,きらきらと美しい.
この場所でウィルは,カイルの死体を前にひたすら涙を流していた.
「さようなら,師匠.」
彼がどのような気持ちでウィルに接していたのか,みゆには分からない.
だがカイルが助けなければ,ウィルは赤ん坊のときに死んでいた.
みゆは墓に向かって,静かに頭を下げた.
立ち上がって振り返ると,緑色で塗りつぶされた山の斜面に,ぽっかりと穴が開いている.
物理的に遠いはずのカリヴァニア王国と神聖公国を結ぶ,不思議な洞くつだ.
王国は,大陸の東側に位置する水の国の内部にある.
対して神聖公国は大陸の中央にあり,水の国とは国境を接しているが,カリヴァニア王国とは接していない.
洞くつのそばまで歩み寄ると,
「これをスミに渡して.」
ウィルはみゆに,手紙を持たせた.
「うん,任せて.」
みゆは手紙を,たすきがけにしているかばんに入れる.
そして,恋人の顔を見上げた.
離れたくない.
ここから動きたくない.
ウィルの腕が,みゆを包みこむ.
初めてこの洞くつに来たときのことが,ずいぶん昔に思えた.
カリヴァニア王国を救うために,みゆはひとりで旅立った.
ウィルは泣いて引き止めた.
なのに今は,ないだ海のように落ちついている.
みゆはウィルに,ぎゅっとしがみついた.
行きたくないと,だだをこねてしまいそうだ.
「離れていても,君の声は僕に届くから.」
なだめるように,彼の手が髪をなでる.
「うれしいとき,悲しいとき,さびしいとき,――どんなときも僕を呼んで.」
みゆのほおに手のひらを当てて,軽く上を向かせた.
「覚えていて,僕は君のものだ.君だけを愛している.」
別れの口づけは長く,いっそう離れがたくなる.
ウィルはほほ笑んで,みゆの体をそっと洞くつへ押し出した.
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