水底呼声 -suitei kosei-

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  11−13,14(ドナート視点)  

「昔々の物語だ,大陸に二柱の神が舞い降りた.」
ドナートはみゆに,本の内容を説明し始める.
彼女にとっては,縁もゆかりもない国の話だ.
けれど,これ以上はないほど熱心に聞いてくれる.
「それが,神聖公国ラート・リナーゼですか?」
ドナートは肯定する.
「しかし何百年かたつうちに,楽園の中に,神に不満を持つ者たちが現れた.」
不熱心なのは,ウィルの方だった.
まったく聞いていない.
彼にとっては知っている話なのだから,当然かもしれないが.
ウィルは,みゆの方ばかりを見ていた.
「そうして築かれたのがカリヴァニア王国だ.結界に閉ざされて,国から出ることはかなわない.」
ドナートは,両の手のひらに視線を落とす.
「神を手にかけたのは私の祖先,初代カリヴァニア王国国王.」
自分の先祖が,神を殺した.
それが,すべての始まりだった.
「女の神の命をあがなうために,魔物たちはいけにえにささげられる.」
目を上げると,みゆは変わらずに真剣な表情をしている.
ウィルは,にやにやと笑いながら,恋人の横顔を見ていた.
ドナートは意図して,彼から視線を外す.
ウィルを見ていると,話す気が失せる.
二度と会えないかもしれない恋人と再会したのだから,仕方がないのだが.
すると,
「待ってください.湖ですか? 海ではなかったのですか?」
話の途中で,みゆは質問をはさんだ.
「王国の三方を取り囲む,私たちが海だと認識していたものは,湖だったんだ.」
これを告白するのは,大変に情けないことである.
無限の広がりを持つと思っていたものは,単なる湖だった.
広いと思っていた国は,想像以上にせまかった.
ドナートたちは,自覚する以上に無知だった.
「私たちが五百年後,つまり今から二年後に死んだのち,神の器である聖女に女の神がよみがえる.」
みゆは,隣に座るウィルを見る.
ウィルは,自分が注目されて喜ぶと思いきや,表情を消した.
「カイル師匠は,神の供物となるために自害した.」
カイルがウィルに与えた影響は,大きい.
みゆを取り戻してもなお,こんな平坦な感情の乗らない声を出すほどに.
「十六年前に,カイルは私の頼みを受けて,呪いを回避する魔法を作った.」
ウィルがあわれだった.
「その魔法では,私たちの代わりに異世界の女性たちをいけにえにする.」
いけにえであったみゆの顔が,見れなかった.
「しかし,途中で失敗した.」
ウィルがみゆを連れて逃げたために.
「いや,失敗してよかった.」
顔が上げられない.
申し訳なくて,申し訳なくて.
「私はまちがっていた.国を守るためならば,少数の犠牲はやむをえないと思っていた.」
一人,二人,三人と,血塗られていく.
「けれどその少数は,どんどんとふくらんでいった.」
なんとひきょうな言いぐさか.
どれだけなじられても仕方がない.
「男の神は,どこにいるのですか?」
固いみゆの声に,顔を上げる.
すると彼女は怒っていた.
何に対してか分からないが,体を奮わせるほどに.
「塔の地下に眠っていると書かれている.女の神が生きかえるときに目覚めるそうだ.」
いきなり,ウィルがみゆの肩を抱き寄せる.
「な,何?」
みゆも驚いているが,ドナートも驚いた.
ウィルはにっこりとほほ笑む.
「男の神をなぐりたい,と顔に描いてあるよ.」
図星だったのか,みゆは顔を赤くする.
ドナートは,口をぽかんと開けた.
神をなぐる?
彼女は正気か?
「駄目だよ,そんなことをしたら,君の手が痛む.」
ウィルは色気たっぷりにほほ笑んで,みゆの手を取り口づけた.
「君が考えていいのは僕のことだけ.なぐるなら,僕をなぐりなよ.」
そういう問題なのか?
さらに,「僕をなぐりなよ.」は,相当に変態な発言だが.
最近の若い者たちは,こういうことを恋人にささやくらしい.
四十五才のドナートには,ついていけない世界だった.
「ウィル,無茶を言うな.」
聞き入れてもらえると思わなかったが,一応,声をかける.
みゆは赤い顔のままで,ウィルから逃げた.
そして,ドナートに向き直る.
「私は,神は天にいて,聖女が塔に入るときのみ塔に降りてくる,と聞いたのですが.」
完全に頭を切り替えたらしい.
みゆの立ち直りの早さに,ドナートは感動した.
「ルアン殿と話したが,おそらく本に書いている内容の方が正しい.」
ウィルは熱い視線を送っているが,みゆは無視している.
これはこれで,ウィルがあわれだった.
「彼は,王国には魔物が住んでいると信じていたらしい.私たちが,湖を海だと疑わなかったように.」
あ,とみゆは声を上げた.
それから,うんうんとうなずく.
「さらに,結界が切れたとき,男の神は何もしなかった.」
ウィルはみゆが相手をしてくれなくて,つまらなさそうだった.
テーブルに,ほおづえをついている.
「そのために,ウィルとスミは神聖公国へ行くことができた.よって,神は眠っている.」
みゆは,手をあごに当てて考え始めた.
「ただ,よほどのことがあれば,神は起きると思うが.」
彼女の表情が,好戦的なものになっていく.
次は,神をけろうと考えているのか,剣で切ろうと考えているのか.
なんという気の強さだ.
そもそも,みゆに対する印象は,気の強い娘であった.
国王の前で萎縮しない,遠慮しない,それどころか真っ向からはむかう.
みずからに力があろうがなかろうが頓着せずに,立ち向かっていく.
ウィルが,くすくすと笑い出した.
「陛下,ミユちゃんが物騒なことを考えているから,キスしていいかな?」
ドナートは脱力しそうになった.
このウィルと,このみゆが恋人同士なのか.
普段はどんな会話をしているのだ? と思わないでもない.
「ウィル,いい加減にしないと嫌われるぞ.」
ドナートは軽く,額に手を当てた.
こんなことで二人が仲たがいをすれば,先ほど床に手をついて頭を下げたドナートの立つ瀬がない.
ドナートたちの会話に,みゆは顔を上げた.
「こんな巨大な結界を作って,地形を変えられるほどに力を持つ神と対決しちゃいけないよ.」
ウィルが言って,みゆはうっと言葉を詰まらせる.
彼女はあくまで,神と戦いたいらしい.
空に浮かぶ雲に矢を放つようなものだと,ドナートは感じるのだが.
「それに私たちは,逃げるつもりだ.」
話がここまで来たことに,少なからず安堵した.
みゆの考えることや,ウィルの言うことは突飛すぎる.
常識知らずで,めちゃくちゃだ.
けれど,そういう彼らだからこそ,誰も行くことのできなかった神聖公国へ行くことができた.
「要は土地が下降するだけだから,移住すればいい.」
今,目の前にいる彼女にかける.
ドナートの気持ちは,すでに決まっていた.
王国の命運は,みゆに預けると.
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