水底呼声 -suitei kosei-

戻る | 続き | 目次

  11−14  

「女の神の命をあがなうために,魔物たちはいけにえにささげられる.」
五百年かけて,男の神は地形を変える.
十万人以上の人が,大地ごと湖の底に沈むのだ.
その犠牲によって,一柱の神が復活する.
「待ってください.」
みゆはドナートの話をさえぎった.
「湖ですか? 海ではなかったのですか?」
「王国の三方を取り囲む,私たちが海だと認識していたものは,湖だったんだ.」
彼の顔には,疲労の色が濃い.
湖を海だと勘違いすることがあるのか?
湖ならば,潮のにおいはしない.
水が口に入っても塩辛くないし,――いや,塩湖という可能性がある.
加えて,大きい湖ならば波も存在する.
案外,湖も海も似たようなものだと,みゆは思い直した.
「私たちが五百年後,つまり今から二年後に死んだのち,神の器である聖女に女の神がよみがえる.」
みゆは,隣に座るウィルを見る.
彼とルアンはイレギュラーで男性だが,ほかの聖女はみんな女性だ.
サイザー,セシリア,百合,桜,――彼女たちのうちの誰の体に,神が宿るのか.
ウィルは,無表情で口を開く.
「カイル師匠は,神の供物となるために自害した.」
ルアンは,カイルは暗号の本に書かれていた神の意志に従っただけとしゃべっていた.
神の意志とは,いけにえの命により女の神が息を吹き返すことだ.
「十六年前に,カイルは私の頼みを受けて,呪いを回避する魔法を作った.」
国王の表情は暗い.
「その魔法では,私たちの代わりに異世界の女性たちをいけにえにする.」
神の命をあがなうために,カリヴァニア王国の国民は殺され,カリヴァニア王国の国民の命をあがなうために,日本人の女性たちは殺された.
これは,命の連鎖だ.
呪いを解く方法は,血でしかない.
「しかし,途中で失敗した.いや,」
ドナートはうめく.
「失敗してよかった.」
みゆの体は,小刻みに震えだした.
自分は人柱になった方がよかったのか.
王国全土が沈むよりは…….
「私はまちがっていた.王国を守るためならば,少数の犠牲はやむをえないと思っていた.けれどその少数は,どんどんとふくらんでいった.」
いや,ちがう!
悪いのは,すべての元凶は,
「男の神は,どこにいるのですか?」
神自身ではないか.
なぜ,こんな不平等な世界を作った?
周辺の国々をあわれに感じなかったのか?
両手に力が入り,爪が手のひらに食いこむ.
「塔の地下に眠っていると書かれている.女の神が生きかえるときに目覚めるそうだ.」
いきなり,ウィルに肩を抱き寄せられた.
「な,何?」
突然のことに驚いて,恋人に問いかける.
彼はにっこりと,ほほ笑んだ.
「男の神をなぐりたい,と顔に描いてあるよ.」
図星だったので,みゆはほおを赤くする.
「駄目だよ,そんなことをしたら,君の手が痛む.」
こぶしを作っていた手を取られて,口づけを落とされる.
「君が考えていいのは僕のことだけ.なぐるなら,僕をなぐりなよ.」
「ウィル,無茶を言うな.」
ドナートがあきれて声をかけた.
みゆは恥ずかしくなって,ウィルから逃げる.
国王の前で何をやっている? と思うが,おかげで熱くなった頭が冷えた.
そして,あることを思い出した.
みゆはドナートに向き直る.
「私は,神は天にいて,聖女が塔に入るときのみ塔に降りてくる,と聞いたのですが.」
なので,神に会いたければ塔に入ればいい,とルアンが大神殿で教えた.
ドナートはうなずく.
「ルアン殿と話したが,おそらく本に書いている内容の方が正しい.」
神聖公国にも王国にも正しい知識が伝わっていない,と彼は言ったという.
「ルアン殿は,王国には魔物が住んでいると信じていたらしい.私たちが,湖を海だと疑わなかったように.」
あ,とみゆは声を上げる.
確かに,そのとおりだ.
「さらに,結界が切れたとき,男の神は何もしなかった.」
結界を直したのは,ルアンたち聖女だ.
彼いわく,小さな穴だったが,修復に三日もかかったと.
「そのために,ウィルとスミは神聖公国へ行くことができた.」
本来ならば水底に沈むはずの二人が,結界から逃げた.
ウィルは聖女だから見逃されたかもしれないが,スミはちがう.
「よって,神は眠っている.」
みゆは,百合に連れられて塔に入ったときのことを思い起こした.
塔の中には何もなかった.
しかし,しっかりと床を調べたわけではない.
地下に,何かあったのかもしれない.
「ただ,よほどのことがあれば,神は起きると思うが.」
ならば,塔の内部を調査して地下に降りて,たたき起こせばいいのではないか.
女の神の再生をあきらめるように,説得すればいい.
いや,むしろ完全に覚醒する前に刃をつきつけて,脅せばよいのでは?
みゆひとりでは難しくても,スミに協力を頼めば,
「陛下,ミユちゃんが物騒なことを考えているから,キスしていいかな?」
「ウィル,いい加減にしないと嫌われるぞ.」
みゆが顔を上げると,ウィルがにこりと両目を細めた.
「こんな巨大な結界を作って,地形を変えられるほどに力を持つ神と対決しちゃいけないよ.」
正論に,みゆはうっと言葉を詰まらせる.
「それに私たちは,逃げるつもりだ.」
国王は,かすかにほほ笑んだ.
「要は土地が下降するだけだから,移住すればいい.」
「移住ですか?」
意外な答だった.
「あぁ,君が再び洞くつの結界を切れば可能だ.」
今度はウィルとスミのみではなく,全国民を避難させる.
「でも,」
みゆは言いよどんだ.
そんなことをすれば,神聖公国との間に衝突が起こるのではないか?
「もちろん,さきに神聖公国の王に話は通す.」
向こうが要求するだけの財を渡し,どのような条件を提示されても承諾する.
もらうのはどんな荒地でもいい,水没する土地よりはましだ.
「君が使者として交渉するんだ.もしも神聖公国が無理ならば,王国を取り囲む水の国か,遠い場所だが,ラセンブラ帝国,スンダン王国,バンゴール自治区に.」
ことの大きさに,みゆは身がすくむ.
いや,国ひとつを救おうとしているのだから,これぐらい大仰で当然だ.
むしろ,今まで自覚がなかった.
ウィルだけではなく,大勢の人たちの運命を左右している自覚が.
「神が寝ている間に逃げる.ルアン殿と話して,より一層,移住がもっとも安全だと感じた.」
なぜなら,結界がちょっと切れたぐらいでは,神は目覚めない.
「王国を救えるのは君だけだ.いや,実のところ,君ではなくユリに頼んでもいいし,ルアン殿にほかのニホン人を召喚してもらってもいい.だが,」
ドナートはみゆを,まっすぐに見つめた.
「君が一番,信頼できる.」
こくり,とつばを飲みこんで,みゆは視線を受ける.
「けれど,もしも重荷ならば断っていい.」
彼は身を引いた.
「神聖公国にもどこの国にも,君ひとりで行かせることになる.君の安全は保障できない.」
みゆは首を振る.
初めて神聖公国へ行ったときとちがい,今は知らない人ばかりではない.
スミがいるし,バウスやナールデンも多少は力になってくれるだろう.
「神聖公国ならば頼れる人たちがいます.私が行きます.」
神聖公国以外の国へ行くならば,そのときにまたウィルや国王と相談すればいい.
「ありがとう.」
ドナートは,深く頭を下げた.
戻る | 続き | 目次

Copyright (c) 2012 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-