水底呼声 -suitei kosei-

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  11−1  

世界の果ての山を降りるのに,五日もかかった.
ウィルや翔たちと歩いた前回は,三日で出たのに.
ルアンと百合との旅は,何かと手間取った.
なぜなら,みゆたちは皆,旅慣れていない.
馬を引いて山道を進むのも食事や寝床の準備をするのも,すべてが四苦八苦だ.
みゆは今まで,いかにウィルに依存していたか知った.
同じルートをたどればいいだけなのに,道をあまり覚えていない.
なので何度もまちがえては,引き返す.
また,道中は息苦しかった.
百合は常にうなだれて,ほとんど口をきかない.
さらに静かに涙を流したり,子守り歌を歌ったり,桜の名を呼んだり.
子どもを捨てたはずなのに,子どもを奪われた母親のようだった.
しかしみゆが大神殿に戻るよう勧めても,首を振るのみだった.
ところで目的地は,王都である.
王城にいるカイルに百合を預けて,みゆとルアンはウィルの捜索を始める.
少年は今,どこで何をしているのか.
王都ならば,消息が分かる可能性が高い.
二年前に引き裂かれた場所へ,みゆは戻る.
もしかしたら恋人はずっと,あの場所で待っているのかもしれない.
さびしげな目をして,一人でぽつんと立っているのかもしれない.
みゆは一分一秒でもはやく王都へ向かいたかった.
けれど百合のことを考えると,神聖公国へ戻った方がいいのではないかと思えた.
そんな調子だったので,カーツ村に着いたときには心身ともに疲れ果てていた.
「村長さんの家へ行きましょう.」
みゆはルアンたちに提案する.
村を歩くと,住民たちが興味しんしんに眺めてくる.
相変わらず,旅人は珍しいのだろう.
だが何人かの人たちはみゆを覚えていて,声をかけてくれた.
そして村長と妻のヘイテが,みゆを大喜びさせることを教えた.
ウィルは,村によく,――少なくとも三か月に一回は訪れているらしい.
つい一か月前も,来たばかりだと言う.
「君を探しているよ.」
「これ以上はないほど,熱心にね.」
家の玄関先で,夫婦は冷やかして笑った.
ウィルは,みゆを見つけたら王城に知らせてほしいと頼んでいるそうだ.
あっけなく手に入った情報に,みゆはぽかんとする.
長い苦難の道のりを覚悟していたのに,世界はとても甘かった.
「ウィルは元気でしたか? けがとか病気とかしていませんでしたか?」
血まみれで泣いていた姿を思い出して,村長にたずねる.
するとヘイテの方が口を開いた.
「かっこよくなっているわよ.」
村に来るたびに背が高くなってね,と楽しげに話す.
そのときになって初めて,みゆはルアンと百合を紹介していないことに気づいた.
「紹介が遅れてごめんなさい.こちらはルアンさんといって,ウィルのお父さんです.」
「え?」
二人は目を丸くする.
ルアンはにっこりとほほ笑んで,手を差し出した.
「初めまして.息子が大変,お世話になっているようですね.ありがとうございます.」
村長は意外そうに彼を見て,握手を交わす.
ルアンとウィルはそっくりなのに,彼らの反応は奇妙だった.
「こちらは白井百合さん,私と同郷の人です.」
次に百合を紹介したが,彼女はぼんやりとうつむいたままだった.
「よろしく.」
気を悪くせずに,村長は笑みを浮かべた.
そしてみゆに向かって言う.
「さぁ,中へ入りなさい.母も君に会いたがっている.」
家に入ると,ユーナは暖炉のそばの安楽いすに腰かけていた.
だいぶ足腰が弱くなったらしい.
けれど変わらぬ優しさで,みゆをぎゅっと抱きしめた.
「また会えてうれしいわ.」
「私もです.」
彼女の体が細くなっていて,みゆは切なくなる.
「すぐに王城へ手紙を出しましょう.ウィルは,」
しわの深い顔に,同情がこめられている.
「本来ならば,私たちと接することのない身分の方なのね.」
「は?」
みゆは間抜けな声を上げた.
ユーナは,あら? と首をかしげる.
「母さん,私たちの勘違いだよ.」
村長が話しかけてきた.
「ウィルは王子様で,君たちは駆け落ちしていたと考えていたのだけど.」
「ええ!?」
みゆは仰天する.
「すまないね,妙な誤解をして.」
村長は頭をかいて,苦笑する.
「急いで手紙を用意するよ.ちょうど今,村に郵便配達夫が来ているんだ.」
そそくさと居間から逃げる.
代わりに,にこにこ顔のヘイテがやってきた.
「運がいいわよ,配達夫は月に一度しか来ないから.」
カリヴァニア王国では,日本みたいにポストがあり,毎日集配されているわけではない.
確かにみゆはタイミングがいい,しかし.
「王子って何ですか?」
駆け落ち説の衝撃は強かった.
「ごめんなさいねー,物語のような恋を想像したわ.」
だから,ルアンを紹介されて驚いたのだ.
彼らの推理では,ウィルの父親は国王なのだから.
悪びれないヘイテの後ろで,ルアンがくすくすと笑い声をたてる.
ユーナもおかしそうに笑った.
「すっかり信じこんでいたわ,あなたたちは身分ちがいの恋に苦しんでいると.」
もともとウィルとみゆは城から逃げ出して,村にたどり着いた.
しかも次に寄ったときは,城へ帰ると告げた.
従って,この誤解はもっともかもしれないが.
王子ウィルと平民みゆの恋を思い描いて,みゆもふき出してしまった.
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