水底呼声 -suitei kosei-

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  10−7  

翌朝,バウスはスミとともにルアンの部屋へやってきた.
みゆは,寝ぼけ眼で迎える.
バウスの外見は,スミほどに変わっていなかった.
ただ,雰囲気が変わった.
他者を追いつめる威圧感が消えて,成熟した大人だけが持つゆとりや余裕があった.
銀髪の王子は,みゆを見て苦笑する.
「あわてて支度したという顔だな.」
「すみません.」
みゆは恥じ入って,謝罪した.
彼らが来る直前まで寝ていたので,顔を洗っていないし髪もとかしていない.
「疲れているんだよ,仕方ないさ.」
ルアンがくすくすと笑って,フォローしてくれる.
「今日の昼にここをたつ予定なのだろう.今は休んでいたら,どうだ?」
バウスは言い,スミも首を縦に振る.
みゆは迷ったが,ルアンも彼らに賛同した.
「出発は明日にするかい?」
「嫌です.」
みゆは即答した.
ルアンは,優しくほほ笑む.
「なら,眠りなさい.バウス殿下は僕と話をするために来たのだから.」
ちゃんと休まないと出発を延期するよ,と脅してくる.
みゆは,彼らの好意に甘えることにした.
「ありがとうございます.――すみません,殿下.せっかく来ていただいたのに.」
王子は,おおように笑う.
「気にするな.」
みゆは,ベッドのある隣室へ戻る.
昨夜はみゆはルアンのベッドを借りて,彼はどこかの客室のベッドを使うと言っていた.
だが,ちらりと視界に入ったソファーから,彼はそこで寝たのではないかと思えた.

みゆの後姿を見送ってから,バウスは表情を険しくする.
ルアンが座った後で,ダイニングテーブルの向かいの席に腰かけた.
そして厳しい声で問いかける.
「あなたを責めてもいいでしょうか?」
背後に立つスミが,驚いた気配がした.
黒猫はくすりと笑んで,続きを促す.
「俺との約束をやぶるのですか?」
「今のところ,やぶるつもりはないよ.」
不安になるせりふを,簡単に吐く.
「僕は,この国を守るために行くのだから.」
それから,お茶すら用意できなくて悪いねと謝罪した.
「いえ,構いません.」
ルアンは笑みを消して,テーブルの上で指を組んだ.
「ユリはもう駄目だ.」
言葉を落とす.
「いつ感情を爆発させて,結界を内側から壊すか知れない.」
二年前のミユちゃんみたいに,と付け加えた.
バウスにはよく分からないが,セシリアたちは,異世界の人間は神の影響を受けないと主張する.
ゆえに,奔放で強大な力を持つと.
「あなたの力で,抑えられないのですか?」
「僕には無理だ.もちろん,サイザー様にも.ユリの力は尋常ではなく強い.」
百合は神聖公国始まって以来の,ちがう世界からの聖女だ.
過去の聖女たちとは,同列に扱えない.
「聖女の力は三十代のころが一番強くて,二十才でここまでの力を持つことはありえないのだけど.」
バウスはぞっとした.
国を愛さない聖女ほどに,危険なものはない.
百合の聖女就任に,もっとしっかりと反対すべきだった.
結局,自分は,セシリアを神殿から解放するために,強く異議を唱えなかったのかもしれない.
妹かわいさのあまり,判断をまちがえたのか.
「ユリは結界の外へ,――この国から出すべきだ.」
ルアンは告げる.
「彼女のために,神聖公国のためにも.」
「分かりました.けれど,あなたまで出る必要はないでしょう?」
自分が生きているかぎりは,結界を維持すると約束したのに.
「ユリは一人旅なんかできないよ.」
「ミユがいるでしょう.そのためにラート・ユリは,彼女を呼び寄せたのではないですか?」
みゆには迷惑で,荷が重いだろうが.
「ミユちゃんとユリの二人旅かぁ.……心配だなぁ.」
ルアンは苦笑した.
確かに,女二人では心もとない.
盗賊に対して襲ってくださいと言わんばかりだ.
いや,それ以前に彼女たちは,馬に乗れたり地図を読めたりするのだろうか.
「だから,あなたが同行するのですか?」
ルアンはうなずいた.
「彼女たちには信頼できる護衛をつける,と俺が約束しても?」
「ミユちゃんは僕にとって大切な人だ.ほかの誰かには任せられない.」
それに,と言いよどむ.
「僕はもう,大神殿にいたくない.」
白い顔に暗い影が降りる.
「サクラちゃんは僕もかわいいよ,この国にとって何より大切な子どもだ.」
バウスは口をつぐんだ.
ルアンが今しゃべっていることは,容易に口出しできることではない.
くわしい事情は知らないが,そう感じ取っていた.
「でも,僕の息子が得られなかった祝福や愛情を,目の当たりにするのはつらい.」
「禁足の森まで,スミを護衛としてつけましょう.」
話を打ち切るべく,バウスは口を開いた.
ルアンはにっこりとほほ笑む.
「ありがとう.ミユちゃんが喜ぶよ.」
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