水底呼声 -suitei kosei-

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  10−3  

白く輝く太陽を目指して飛翔する.
大きな翼が力強く羽ばたき,みゆを天上へ連れてゆく.
泳いで下った街なのに,今は空を飛んで上がる.
まぶしい光に目を細めて,太陽に飛びこんだ!
光そのものが圧倒的な物量で,強い向かい風になって襲いかかる.
はじき出されそうになりながら,みゆはいろいろなウィルを見た.
初めて出会ったときの,やみ夜に立つ少年.
「こんな包丁の使い方をしたら,けがをするよ.」 と言って,包丁を取り上げる少年.
兵士たちを魔法で吹き飛ばして,みゆを首都神殿から助け出す少年.
ルアンの部屋のソファーで眠る少年.
隠れ家の中で,ライクシードと刃を交える少年.
時間も場所もばらばらだ.
みゆはあせる.
しかも映っているのは,すべて過去だ.
過去に行ったら,――まるで笑い話だが,今のみゆと昔のみゆでウィルの取り合いになる.
未来を選ばなくては.
みゆは,光の中を進んだ.
未来は,過去とちがって見えない.
手探りで,ちょっと先の未来をつかんだ.
赤と黒のまだら模様の細い腕だ.
引っぱって,世界を越える.
「ウィル!」
目の前に,恋人がいた.
――会いたかった!
歓喜して抱きつく.
けれど少年は,みゆを視界に入れていなかった.
血まみれの姿で,悲しみや苦しみを押し出すように泣いている.
そして少年の前には,
「ひっ,」
みゆは悲鳴を上げて,視線をそらした.
力なく投げ出された両足に,羽虫がまとわりついている.
鮮やかな赤色,生臭いにおい.
死んでいる.
誰だか分からないが,なきがらが横たわっていた.
「ウィル,ウィル.」
みゆは呼びかける.
髪をなでて,背中をさすり,自分の体温を分け与えようとした.
「けがはない? 何があったの?」
しかし少年は気づかない.
ただ悲しみに沈み,声を聞いてくれない.
「お願い,答えて.」
私がそばにいるのに,一人で泣かないで.
「ウィル.」
少年の体が,ぴくりと動いた.
ゆるゆると面を上げる.
瞬間,みゆは後ろに引っぱられた.
「何!?」
少年の姿が小さくなる.
背中の翼が折れ,白い羽が無残に散る.
見えない何者かの手によって,みゆはウィルから離された.
「やめて!」
抵抗しても,逆らえない.
「ウィルに会いたいの.」
少年の姿はもう見えない.
みゆは暗闇の中,つるつるとすべっていく.
「私を見捨てるの?」
恨みがましい女の声が,耳もとでした.
白い腕がまとわりつく.
「逃がさないわ,古藤さん.」
「白井さん!?」
神聖公国に置き去りにした,予備校のクラスメイト.
罪悪感が胸をしめつける.
みゆのせいで,彼女は召喚された.
その結果,望まぬ妊娠をした.
ごぽりと,口から息が漏れる.
代わりに苦しみが入ってきた.
暗い水中で,みゆは流される.
光のない冷たい世界へ.
「痛い!」
どすんと,しりもちをついた.
硬い床,――手触りは大理石のよう,に落ちたのだ.
屋内のようだが,あたりは真っ暗で何も見えない.
どこからか,おそらく壁の向こうから何か声が聞こえた.
みゆが待っていると,一条の光が差しこむ.
「ほら,いたわ.」
勝ち誇った女の声.
「信じられない.」
ろうばいする男の声.
みゆは光に目を細め,それでも彼らの顔を確認した.
女性の方は,百合だ.
体の線が分からない,白い服を着ている.
彼女は扉を開いて,そこから光が漏れていた.
「ひさしぶりね,古藤さん.」
歩み寄ってきた百合を,みゆは見上げる.
手を差し出されたので,つかんで立ち上がった.
茶色だった髪は毛先を残して黒くなり,また短くなっている.
顔色は悪く,ほおは少しこけていた.
「やせた?」
あまり健康な状態とは思えない.
おなかの赤ん坊は大丈夫なのだろうか.
百合は皮肉げに笑った.
「あなたは変わらないわね.私は子どもを産んで太ったわよ.」
「太った?」
そうは感じられないが,服のせいで太って見えないのかもしれない.
「ここはどこ?」
明るくなった周囲に,視線を巡らせる.
石壁の丸い部屋に,みゆたちはいた.
天井は恐ろしく高く,窓はない.
そばには百合と,神官らしい中年男性が一人.
家具もじゅうたんも飾りもない,本当に何もない部屋だ.
「大神殿なの?」
みゆの問いかけに,百合は意地悪な表情で答える.
「神の塔よ.」
聖女が子どもを身ごもるための塔だ.
「なんで,そんな場所に?」
みゆは飛び上がった.
冗談ではない,妊娠してしまう.
「私があなたを呼んだからよ.」
百合はみゆの手を引いて,部屋から連れ出した.
廊下へ出ると,神の塔は普通の部屋に見える.
扉の上には,古めかしい銅板が飾られていた.
彫られている文字は,神の塔と読める.
廊下の窓には,外の景色が映っていた.
どうやらここは一階で,日は高い.
すると,
「あなたのせいで,」
どんと肩を押される.
「え?」
みゆはよろめいて,二,三歩さがった.
「私の人生はめちゃくちゃよ!」
百合は前進して,腕を振り上げる.
「ちょ,待っ…….」
みゆは足をもつれさせて後退した.
「ラート,おやめください!」
神官が百合を止める.
みゆは後ろ向きに逃げ続けて,バランスを崩した.
が,倒れる体を,誰かが背後から支える.
「ミユちゃん.」
振り返ると,黒髪の男はにっこりとほほ笑む.
「ひさしぶり,僕の息子は元気かな?」
「ルアンさん!」
別れたときと変わらない,ウィルの父親だった.
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