水底呼声 -suitei kosei-

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  10−2  

話の途中で,リアンは四回も気を失った.
ルアンが生まれたばかりの息子を,サイザーらに奪われたこと.
カイルがウィルを,カリヴァニア王国へ連れて行ったこと.
少年が暗殺者として育てられたこと.
みゆがいけにえとして,ウィルと出会ったこと.
少年の人生は優しいものではない.
だが,リアンを喜ばせる話もあった.
ウィルとルアンが再会できたことが,その最たるものである.
――ルアンがウィルを眠らせて閉じこめたこと,ウィルがルアンに刃を向けたことは黙っておいた.
少女は涙を流して喜び,二人の顔が見たいと,より一層ほおをぬらした.
「会いたい,会いたい.」
歩道橋の階段に座り,泣き続ける.
子どもに会いたくない母親はいない.
もしも可能ならば,彼ら親子三人を会わせたい.
ウィルのためにも,ルアンのためにも,リアンのためにも.
みゆは静かに涙ぐんだ.
自分の親も,そう思ってくれたらいい.
いや,リアンを見れば信じられる.
両親はみゆを案じている.
だから手紙を翔にたくすことができて,よかったのだ.
彼らが迷惑に感じるという心配は,必要ないのだ.
少女は泣き続け,いつまでも泣き続け,いついつまでも泣き続け…….
どれくらいの時間が過ぎたのか.
みゆはなぐさめ疲れてきた.
感傷的な気分も冷めてくる.
これでは日が暮れそうだ.
いや,この世界は夕暮れどころか,ずっと夜なのだが.
「そろそろ泣きやみませんか?」
遠慮しつつ,お願いをした.
しかし,少女の涙は枯れない.
「リアンさん,……その,」
やむことのない雨のように.
「いい加減に,」
とぎれることのない川のように.
「やめてほしいのですが.」
果てのない海のように.
「さっさと泣きやみなさい!」
しかってしまう.
リアンはびっくりして,涙を止めた.
「乳母のマージみたい.」
鈴を転がすような笑い声を上げる.
「すみません,短気なことを言って.」
みゆは謝った.
「ところで相談があるのです.」
泣くひまを与えずに,本題に入る.
「私,カリヴァニア王国の王都へ戻りたいのです.どうやったら戻れるか,方法をご存じですか?」
少女は,ふるふると首を振る.
「分からないわ.私には,ここがどこかも分からない.」
こんな不思議な場所は初めてと,言葉を漏らした.
「ここは,私の夢の中です.」
確かにリアンには,理解しがたい世界だろう.
みゆにとっても,毎日歩いていた通学路が海底に沈んでいる奇妙な光景だ.
「なら私は,あなたに呼ばれたのね?」
「いえ,これのおかげです.」
首にかけている指輪を取り上げる.
「リアンさんが日本で私を守って,ここまで連れてきたのだと思います.」
少女はくすりと笑む.
「あなたの力よ.ありがとう,あなたに会えてうれしかった.」
立ち上がり,みゆの手を取った.
みゆも腰を上げる.
たがいに向き合うと,リアンの背はものすごく低い.
こんな小さな体で,ウィルを産んでくれたのだ.
「これが夢ならば,あなたが望めばどこへでも行ける.」
それに,と言い加える.
「あなたには神の影が見えない.誰よりも自由に生きられる.」
少女の目は,うらやんでいた.
リアンは聖女として,大神殿から出られなかった.
そしてもう,わが子を抱きしめることができない.
「私,行きます.」
そっと手を離して,みゆはほほ笑んだ.
リアンに対する同情が,逆に背中を押す.
迷ったり立ち止まったりしては,失礼な気がした.
「ありがとうございました.私もあなたに会えてうれしかったです.」
きびすを返し階段を降りようとすると,再び手を取られる.
「お願い.ルアンに伝えて,いつまでも愛していると.」
少し目を離しただけなのに,少女の姿は揺らいでいた.
水に映る像みたいに,ゆらゆらと.
「それから私の子どもに伝えて,あの子の名前を.」
時間がないのを悟っているかのように,早口でしゃべる.
「あの子がおなかにいるときに,考えたの.ううん,そうなのだと感じたの.」
黒の瞳から,真珠の涙が落ちる.
「ルアンにもカイルにも教えられずに,私は死んでしまった.」
少女から,さらに存在感が失われた.
「だから今,あなたに伝えたいの.」
両手を上げて背伸びをする.
みゆは腰を落とした.
実体のない細い腕が首に回り,耳もとで告げる.
大切な名前を.
聞いた瞬間,足がふわりと浮いた.
ばさりと羽ばたく音がして,白い羽が舞い踊る.
みゆが振り返ると,一対の翼が背中から生えていた.
巨大な翼越しに,輝く太陽がのぞく.
薄暗かった世界は,光に満ちたものになった.
空は青く晴れ渡り,どこまでも澄んでいる.
しかし,まばゆい光に,リアンは消えかかっていた.
「さようなら,息子の話をしてくれてありがとう.」
みゆの首もとにある指輪に,手を伸ばす.
そして,ふんわりと消えた.
ぬくもりだけを残して.
「一緒にウィルのもとへ行きましょう.」
みゆはつぶやいて,空を見上げる.
太陽を目指して,駆け上がるように飛んでいった.
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