水底呼声 -suitei kosei-

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  9−13  

あのとき,唐突に地球へ送り返されたとき,みゆは心から動揺していた.
歩道橋の上でぼう然と座りこみ,出し抜けに立ち上がる.
泣きそうな顔で,きょろきょろと首を動かした.
誰を探しているのか,聞くまでもない.
彼女のうろたえた様子に,逆に翔は冷静さを取り戻した.
自分が,しっかりしなければならない.
「古藤さん.」
呼びかけて,彼女の手を握る.
「落ちついて.」
みゆはうなずいた.
けれど目は混乱して,視線はあちこちにさまよっている.
翔は彼女を捕まえたまま,改めて周囲を見回した.
翔も,みゆほどではないが動揺している.
橋の上を行き過ぎる人々,高いビルの街並み.
太陽の位置から昼間だと分かるが,肌寒い.
遠くから,歩行者信号が青だと知らせるメロディが聞こえる.
近くに,予備校の校舎があった.
大きな看板に,栄成(えいせい)予備校と書かれている.
翔たちが通っていた学校だ.
いくら確認しても,ここは日本である.
いつまでも,ぼうっとしているわけにはいかない.
落ちつける場所へ向かい,これからのことを考えなければ.
しかし,どこへ?
財布も金も,カリヴァニア王国に置き去りだ.
これが翔一人ならば,話は簡単だった.
予備校へ行き,家族に連絡を頼めばいい.
だがみゆは,どうする?
彼女は,家に帰る予定がない.
翔はふと,自分たちが注目されていることに気づいた.
歩道橋を渡る人たちが,じろじろとではないが,いぶかしげにこちらを眺めている.
なぜ? とまゆをひそめた後で納得した.
目立っているのは,翔たちの着ている異世界の服だ.
日本社会において,そこまで奇抜なデザインではない.
が,あきらかに浮いている.
化学繊維などいっさいない,日本ではアンティークと言っていい布地の服だ.
ここは人目がありすぎる,ひとまず歩道橋から降りよう,と決めたとき,
「柏原?」
小さな声で呼ばれた.
振り返ると,ジャンパー姿の青年が丸い目をして立っている.
リュックを背負い,片手にはコンビニのレジ袋を持っていた.
「澤木(さわき).」
翔は彼の名前を言い当てる.
「やっぱり柏原!」
澤木は走り寄ってきた.
予備校のクラスメイトである.
何度かゲーセンやカラオケでともに遊んだことがあり,比較的親しい間柄だ.
翔はとっさに,背中にみゆをかばう.
「お前,今までどこにいたんだ?」
心配げな表情をした澤木は,翔に詰め寄った.
「白井は? 古藤は? 一緒じゃないのか?」
たずねた後で,みゆに目をとめる.
「誰?」
翔は黙った.
どのように説明すればいい?
すると横合いから,悲鳴が上がった.
「柏原! 百合はどこ?」
派手な女性たちの,四,五人程度の集団がやってきて,翔たちを囲む.
リーダーらしい娘が,翔の胸ぐらをつかんだ.
「百合はどこにいるの? あんたはどこにいたの? 私たちも探していたのに.」
乱暴に揺さぶられて,答えることができない.
「落ちつけよ.」
澤木が,翔と女性たちの間に入る.
「うるさいわね,あんたは誰よ?」
「百合は私たちの友だちなんだから,返してよ!」
「そうだ,返せ! 返せ!」
猫のキャラクターのついたハンドバッグで,翔はなぐられた.
金切り声を上げる百合の友人たちの騒ぎに,続々と人が集まってくる.
もはや翔たちは,歩道橋にいるすべての人に注視されていた.
中には携帯電話で,写真やムービーを撮る人もいる.
「何,あれ?」
「けんか?」
「ほら,あそこの予備校,学生が三人もいなくなった.」
ささやき交わす声がする.
やばい,どうすればいいんだ?
どんどんと悪い方へ進む事態に,翔はあせった.
この調子では,予備校の講師たちも駆けつけるだろう,下手をすれば警察も来る.
みゆは翔の後ろで,おろおろとするばかり.
冷静にものが考えられる状態ではない.
澤木が突然,彼女の正体に気づいた.
「まさか,古藤さん?」
彼女の手を取ろうとする.
みゆは手を振り払って,後ずさりした.
すると彼女の両肩を,誰かが背後からつかむ.
「古藤! 柏原!」
怒声が響き渡る.
翔は,みゆを捕まえる男を見た.
顔を真っ赤にして,鬼みたいな形相をしている.
「上野.」
翔たちのクラス担任だ.
もう騒ぎを聞きつけてきたのか,こういうときだけは鼻がきく.
「お前ら,どれだけ予備校に迷惑をかけたと思っているんだ!」
「離して.」
みゆが身をよじって逃れようとする.
彼の表情が,さらに険しくなった.
「ふざけるな! お前らが問題を起こしたせいで,俺は職を失いかけているのだぞ!」
両手に力をこめて,彼女の細い肩をつぶそうとする.
「きゃぁ!」
たまらずに,みゆが悲鳴を上げた.
「やめろ,乱暴をするな!」
翔は駆け寄る.
瞬間,彼女の体が赤く光る.
いや,みゆ自身ではなく,首にかけているペンダントが強い光を放つ.
地球では異常なことだ,だが翔は瞬時に理解した.
魔法だ,ウィルが来たんだ.
恋人の危機を,あの少年が放っておくわけがない.
みゆは,目の前でいなくなった.
衆人環視の中,ぱっと消えた.
誰も言葉が出ない.
信じられない出来事に,ただ沈黙する.
「俺じゃない!」
急に上野が叫びだした.
「俺のせいじゃない!」
混乱のあまり,口から泡を吹いている.
「勝手に消えたんだ.俺は悪くない,俺の責任じゃない.」
翔は,へなへなと座りこんだ.
知らず,笑いが漏れる.
古藤さんは帰ったんだ.
ウィルが迎えに来たんだ.
自己保身にわめき続ける上野.
突如起こったオカルト現象に興奮する若者たち.
やっと駆けつけた二人の警官.
翔は日本の秋空を振り仰いで,友人の帰還を見送った.
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