水底呼声 -suitei kosei-

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  9−8  

国王の部屋から出たウィルは,一人で廊下を歩いていった.
廊下で待っていたライクシードはあわてて,少年の後を追いかける.
少年はほとんど物音を立てない,足音もだ.
足の傷は治っていないが,歩行はなめらかだ.
ウィルは自室へ戻るかと思えたが,方向が異なる.
「どこへ行くんだ?」
小さな背中にたずねた.
「おびき出すために,寄り道をする.」
「おびき出す?」
すると少年は振り返り,あきれた表情をした.
それで,分かった.
人気のない方へ歩を進めるウィルに,ライクシードは無言でついていく.
中庭の渡り廊下まで行くと,気配は情けないくらいに分かりやすくなる.
この未熟さは,カイルではない.
花壇の花々を眺めるふりをして,周囲を探った.
敵は,背の低い木々の,おいしげる葉の向こうに隠れている.
前を歩く少年が,立ち止まった.
ひゅっと風を切る音に,ライクシードは剣を抜く!
飛んできた矢をたたき落とす.
同時に,別方向からも二本の矢.
これらは当たらない.
避けることさえせずに,矢の飛来した方向へ視線を投げる.
木の陰に隠れていた一人の少年がうろたえて,弓を捨てて逃げた.
隣の木からも,背中を向けて飛び出す少年がいる.
「おいっ! 逃げるな!」
三人目の少年,――この少年は城の兵士らしく,皮のよろいを着ている,があせって呼び止める.
が,二人は一目散だ.
ライクシードは剣を下げて,逃げるならば追いかけないことを示した.
しかし,三人目は踏みとどまる.
「か,覚悟しろ!」
上ずった声で剣を抜いて,突進してきた.
けれど花壇に足を取られて,まごついた様子で遠回りしてやってくる.
ライクシードは,つまらなさそうな顔のウィルに,目で問うた.
「適当に追いはらって.けがはさせてもいいけれど,命はとらないでね.」
黒服の少年はのんびりと,廊下の柱にもたれる.
ライクシードは,ため息を吐いた.
まさか襲撃者が子どもとは.
ウィルと同じ年ごろだろう.
兵士として城に上がったのも,最近にちがいない.
待っているうちに,兵士というには幼い少年が肉薄してきた.
「どうして黒猫を守るんだよ?」
いらだたしげな剣げきを,しっかりと受け止める.
「君こそ,なぜウィルを害する?」
腕はまだまだだが,気迫がすごい.
「俺はテア準近衛兵の弟,ラスだ!」
これが答だとばかりに名乗る.
そして必死の形相で,右へ左へ打ちこんでくる.
「どけよ,邪魔するなよ.」
難なく対応するライクシードに,怒って叫ぶ.
「お前は何者なんだよ!?」
教えたとして,信じてくれるかどうか.
カリヴァニア王国の国民の多くは,外国の存在を知らない.
自分たちの国が水没することすら.
ライクシードは再び,ウィルの方を見た.
すると少年は,ゆったりとした足取りで近づいてくる.
そしてラスの間合いに入る直前で,足を止めた.
手が届きそうで届かない,絶妙な距離だった.
「復讐したいの?」
「当たり前だろ!」
息を切らして,ラスがどなる.
「なぜ兄さんは,お前に殺された?」
少年のせりふに,ライクシードはぎょっとした.
「国王陛下の不興を買ったからだよ.」
ウィルは淡々としている.
つまりラスの兄は,ドナートによって粛清されたのか.
「なら,ウィルを恨むのは筋ちがいだろう?」
ライクシードは防戦一方から,反撃を開始した.
「そんなの知るか! この人殺しめ,どれだけの人を手にかけた?」
ラスは,意外にしぶとく持ちこたえる.
「数えていないよ.」
ウィルの声が,冷ややかになる.
「僕は国王陛下の黒猫だったから,彼の命令どおりに動いただけ.」
顔には表情がなく,まるでカイルだった.
ライクシードは,ぞっとする.
ウィルの正体が分かったからだ.
国王直属の,影の仕事をする暗殺者.
すなわち,人殺し.
しかし,こんな子どもが?
けれどそう仮定すると,いろいろなことが納得できる.
少年の体が傷だらけなのも,腕がたつのも,メイドがびくびくしていたのも,ドナート以外に味方がいないのも.
手ごたえのない音がして,交しあっていた剣の一方が落ちた.
しまった.
考えごとをして,手加減を忘れた.
剣を失った兵士は,どうしようと目を泳がせる.
だがすぐに,中庭の方へ走って逃げた.
ライクシードは軽く息を吐いて,剣をさやに戻す.
ウィルを恨んでいる人間は,どれだけいるのか.
ラスは退けたが,ラス以外はどうなのか.
ウィルを助けて大勢の人に恨まれたと告げた,シャーリーの顔が思い出された.
ラスを見送ると,ウィルは歩き出す.
今度こそ,自室へ向かって.
ライクシードは,少年についていく.
「今のようなことは,たびたびあるのか?」
「ないよ,僕は怖がられているから.」
だろうな,と思った.
こうして背中を向けているときでさえ,まったくスキがない.
復讐したくても,できるものではない.
「でも,ミユちゃんがねらわれたことがあった.」
さりげなく話すが,声の奥には怒りがひそんでいる.
「僕のそばにいたから.」
振り返った黒の瞳に,炎が揺らめく.
それはラスに対する怒りでも,過去にみゆに目をつけた者に対する怒りでもなかった.
「君が,守ったのだろう?」
声が出にくい.
神聖公国で,ライクシードから守ったように.
「ミユちゃんに何かすれば,――いや,彼女の前に現れた時点で,容赦しないと脅した.」
力のある者だけが持つ優越感が浮かび上がる.
「君一人ではなく家族も危険な目にあう,とも言った.」
ウィルならば,言葉にせずとも気迫のみで,他者を圧倒できる.
現に今,ライクシードは自分よりも小柄な少年に押されていた.
腰の剣に伸びそうになる手を,かろうじてこらえている.
「簡単に引き下がったよ.おかげでミユちゃんは,標的にされたことに気づいてさえいない.」
みゆに手を出したライクシードに対する怒りが伝わってくる.
静かに,ひたひたと忍び寄ってくる.
「なぜ,私を殺さない?」
乾いた声で,聞いた.
息苦しくなるほどの殺意が,二人の間に充満している.
「ライクシードのにおいなんか,その日のうちに僕が消したよ.」
最初,意味をつかみかねた.
だが理解したとたん,頭をがつんとなぐられる.
「護衛はもう,必要ないだろう?」
暴れだす気持ちを抑えて,確認する.
嫉妬で,自制心がはじけ飛びそうだった.
「ラスを追い返してくれて,ありがとう.」
少年は殺気を消してから,あどけない顔で礼を述べる.
いつわりの友人ごっこが終わった瞬間だった.
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