水底呼声 -suitei kosei-

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  9−7  

もの思いにふけっていると,部屋の扉が開いた.
「カイル,なぜこの部屋にいる?」
不機嫌な顔で,シャーリーが入ってきた.
年は二十才,髪はくすんだ金髪で,体はやせている.
外見も中身も,あまりさえない若者だ.
王族だが,残酷ないけにえの儀式を避けるように城から離れていた.
帰ってきたのは,もう儀式はないという話を聞きつけたからだろう.
いけにえであったみゆが神聖公国へ行ったために,ドナートは儀式の続行を断念した.
別の方法で水没する国を守るのだと,翔と百合をカイルに召喚させた.
二人を使者として送り出した後に,シャーリーはひょっこりと戻ってきたのだ.
国王であるドナートには,子どもがいない.
よって,王位継承者はおいのシャーリーだと,城ではうわさされている.
ドナートの意志は知らないが,シャーリーはその気らしい.
言動から透けて見える.
「本を眺めても,君は暗号を解けないだろう?」
「はい.」
険のある言葉だったが,カイルは受け流した.
カリヴァニア王国の本は,双対複冊式という暗号で書かれている.
神聖公国では過去に失われた技術だ,カイルでさえ名前しか知らなかった.
けれどカリヴァニア王国では,今でも王族によって使用されている.
神の呪いによって国がほろぶという秘事を伝えるために.
シャーリーが暗号を解けば,カイルは本の内容を知ることができる.
カリヴァニア王国は,なぜ呪われているのか.
神の意図,――真意は何なのか.
長年のなぞが,やっと解決される.
過去,カイルは疑問をそのままにしたままで,呪いを回避する術を編み出した.
なので,なぜ異世界の女性がいけにえとして必要なのか,分からなかった.
彼女たちはこの世界とは異なる神を祭っているから,と考察してみたが納得はできない.
加えて,いけにえが若い女性である説明もつかない.
もっとちがう,呪いの根幹に関わる理由があるはずだ.
「いつまでに,解読できますか?」
問いかけると,シャーリーは顔をしかめた.
急かされたと感じたのかもしれない.
「二百四十六冊もあれば,時間がかかる.だが必ず私がやる.」
そうさ,とつぶやく.
「君たち外国人の仕事は終わった.あの趣味の悪い儀式は,もう必要ないのだから.」
カイルたちが,罪のない女性たちをいけにえとしてささげたことを非難する.
「はい.」
カイルは再び同意した.
彼はカイルを,――正確に言えば,カイルとウィルを嫌っている.
しかしカイルは,シャーリーに対しては興味すら持てなかった.

一か月後,ドナートは黒猫の訪問を受けた.
ウィルは左足に大けがをしているにもかかわらず,普通に歩いてやってきた.
「傷は痛まないのか?」
部屋にいた従者たちを下がらせてから,ドナートはたずねる.
医者からは,まだ治療が必要なのに,少年は自室にこもったと聞いた.
「痛むよ.」
少年はそっけなく答える.
「なら,医者を頼ってほしい.」
「この程度なら,一人で治せるよ.」
ドナートは心配しているのに,ウィルはあっさりしたものだ.
この子は昔から,自分の体を大切にしない.
不意にドナートは,違和感を覚えた.
ドナートの知っている少年と,今,目の前にいる少年は何かがちがう.
少年は左足の傷をかばいながら,ゆっくりと片ひざをつく.
頭を下げて,臣下の礼をとった.
「国王陛下.」
ドナートは驚きのあまり,言葉をなくす.
少年が初めて,ドナートにこうべを垂れたのだ.
「あなたにお願いがあります.」
ドナートとウィルは主君と臣下という関係だが,それは厳密なものではない.
ドナートは人目のないところでは少年を甘やかしているし,ウィルもある程度は甘えている.
だからほかの臣下のように,へりくだって話すことはないし,平気でわがままも言う.
「コトー・ミユの帰還を,私の師カイルにお命じください.」
少年の口からすべり出たのは,子どものわがままではなかった.
一人の男が頭を下げてまで,ドナートに頼みごとをしているのだ.
人は,ここまで変わるものなのか.
ドナートは,がくぜんとした.
故郷の神聖公国へ行ったことが,少年を大きく成長させた.
子どもから,大人へと.
だが…….
「すまない,ウィル.」
ドナートは謝った.
「カイルには,すでに命令した.」
ウィルの恋人であるみゆを連れ戻せ,と.
それから,翔も.
ほうびを渡すと約束していたのに,礼さえも言わずに帰すなんて.
しかしカイルは,ドナートの命令を受け入れなかった.
彼は昔から,ウィルに関することは譲らない.
少年に黒猫の仕事をつがせたときも,今回も.
「分かった.」
ウィルの声に落胆の響きはない.
予想していた答だったのだろう.
少年は,多少ぎこちない動作で立ちあがった.
黒の瞳がひどく澄んで,どきりとさせる.
みゆの目だ.
ドナートに真っ向から反抗した,異世界の娘と同じ目をしている.
「力になれなくて,すまない.」
見つめ返すことができず,ドナートはうつむく.
「陛下,僕は黒猫をやめるよ.」
驚かなかった.
今の少年なら,そう望むと思った.
「あぁ,今まですまなかった.」
子どもであったウィルに,殺人を強いたのはカイルとドナートだ.
カイルが少年を暗殺者に仕立て,ドナートはその技を利用した.
裏切り者を殺せと,命令を下した.
「何が?」
少年はなぜ謝罪されたのか理解できずに,まゆをひそめる.
そのとき,ドナートは違和感の正体に気づいた.
ウィルは,まったく笑みを見せていないのだ.
以前は薄気味悪くなるくらいに,にこにこしていたのに,今はにこりともしない.
理由は,容易に見当がついた.
彼女がいなくなったから.
少年の表情は厳しくなり,緩むことがない.
ドナートがしゃべらないでいると,少年はきびすを返し,部屋から出て行く.
自分から離れていく背中を,ドナートは見送った.
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