水底呼声 -suitei kosei-

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  9−2  

みゆたちは三日かけて,世界の果てから下山した.
一頭の馬と六頭のロバを連れて,カーツ村を目指す.
村は山のふもとにあり,カリヴァニア王国最北端の人の居住地だ.
みゆとウィルは以前に,数日ほど滞在したことがある.
村長の家では,わが子のようにかわいがってもらった.
家をたずねると,家人たちは喜んで迎えてくれる.
どこへ行くとはっきり告げずに去ったみゆたちを,彼らは心配していたのだ.
「元気な姿が見られて,ひと安心だわ.」
村長の妻のヘイテが,おおらかに笑う.
みゆがウィルと姉弟だと,うそをついていたと謝罪すると,
「あら,私たちは皆,気づいていたわよ.」
と,さらに大きな口を開けて笑った.
その横でウィルは村長に,わけあって城を出て行ったが,今回帰ることになったと簡単に事情を説明する.
そして,荷物を運ぶための荷車をくれないかと交渉した.
すると村長は,荷車とロバの物々交換を提案する.
みゆたちは,荷車を引くために必要な二頭のロバを残し,残り四頭のロバで荷車をもらった.
村長たちは,みゆたちが運ぶ大量の本に首をかしげたが,何もたずねなかった.

王都まで,およそ十日間の旅程である.
馬のサウザーランドにみゆと翔が交互に乗り,そのたずなをウィルが持つ.
だが女性ということもあり,主に馬に乗って楽をしたのはみゆの方だ.
荷車を引くロバは,ウィルの部下の男が面倒を見る.
男は無口で,用のあるときしか口を開かない.
なれ合おうとせず,常に距離を置いていた.
なのでみゆは,彼から名前を聞きそびれた.
翔もである.
もう何日も一緒にいるのに,名前が分からない.
しかも本人には聞きづらい.
ウィルに問うてみると,少年も知らないと言った.
「知らないってすごいな.自分の部下なのに.」
翔は,あきれたようにつぶやく.
彼とは,旅の間にだいぶ親しくなった.
「直接,本人にたずねてみる?」
「聞いてもいいけれど,」
翔はぼやく.
「会話が続かなさそうだなぁ.」
「だよねぇ.」
みゆは苦笑した.
ふと,思い至る.
ウィルの本名は何なのだろう.
ウィルというのは,本名ではなく呼び名だ.
初めて会ったときに,少年自身がそう教えた.
呼び名はウィルで,ほかには黒猫と呼べばいいと.
しまった,とみゆは少しだけ後悔する.
ルアンに,ウィルの本名を聞けばよかった.
もしくは,まだないのならば,つけてもらえばよかった.
名前があっても何かが変わるわけではないが,知らないよりは知っている方がうれしい.
名前は,親が生まれてくる子どもに贈る,最初のプレゼントなのだから.

結局,男の名前は判明しないままに,王都に帰りついた.
カリヴァニア王国の王都は,神聖公国の首都リナーゼとは異なり,門も壁もなく解放されている.
街のにぎわいはリナーゼと変わらないが,こちらの方が田舎じみた印象がある.
街を歩く人たちは何となくだが,やせた人が多い.
着ている服も派手ではなく,地味でファッション性がとぼしい.
やはり,神聖公国は豊かな国だったのだろう.
建物は一階建てが多く,背が高くても二階建てまでだ.
道はせまく,まっすぐに伸びていない.
神聖公国で,バウスが乗っていた大きな馬車は通れないだろう.
王城も,神聖公国の城に見慣れた後では,ずいぶん小さく感じられた.
「国の規模がちがうな.」
翔の言葉に,みゆはうなずく.
人口も国土面積も,神聖公国に比べればずっと小さいのだろう.
そして,みゆたちの故郷である日本よりも小さい.
ウィルに見せてもらった地図と実際に歩いた距離から,みゆと翔はそのように考えていた.
九州,あるいは四国程度の大きさではないかと.
さらに王国は,半島の形をしている.
ヨーロッパのイタリア半島が,もっと横に太ったものだ.
北に山脈,南,西,東に海.
地球でいうところの,アルプス山脈と地中海だ.
つまりカリヴァニア王国は,地形的に孤立している.
王都は,半島の中心ではなく北寄りにある.
しかし相変わらず,カリヴァニア王国と神聖公国の位置関係は分からないままだった.
北の山にある洞くつで行き来できるが,二国は隣接していない.
神聖公国側の出口は小さな森の中にあって,山などないのだから.
翔の考えでは,あの洞くつはワープ装置みたいなものではないか,とのことだ.
みゆたちはしゃべりながら,のんびりと街を歩く.
王城の城門まで着くと,ウィルの部下である名前不明の男が,門番のうちの一人に声をかけた.
すでに話が通じているらしく,簡単に前庭に通される.
ほとんど人はおらず,静かに花だけが咲いている.
背の低い木々がひっそりと立ち,みゆたちを見ていた.
建物の方に視線をやると,両開きの大きな扉の前では,カイルが冷たい目をして待っている.
歓迎されているようには思えなかった.
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