水底呼声 -suitei kosei-

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  8−7  

大神殿には,バウスと翔,みゆとウィルの四人で行く.
立派な王家の馬車に乗り,馬車のまわりを護衛の騎士たちが馬に乗って走る.
首都の街の大通りをまっすぐに,門を目指して進んだ.
馬車の中は,みゆたち日本人の集団に,バウスだけ外国人がまじった印象だ.
偶然にもみゆもウィルも翔も黒髪黒目で,今日は第一王子の従官という立場をもらっている.
翔とは,ひさしぶりに会う.
同じ城に滞在しているのに,すれちがうことはほとんどなかったのだ.
「ひさしぶり,古藤さん.」
みゆの正面に座り,にこりと笑む.
彼は,日本の服を着ていなかった.
きなりの,作業着のようなものを身につけている.
顔のあざや傷は治りつつあり,跡は残らなさそうで,みゆは安心した.
そして前髪がだいぶ短くなり,肌は日に焼けている.
「何か,変わったね.」
聞いていいのか少し悩んだが,たずねた.
「あぁ,前髪?」
「うん.」
あいまいに返答する.
翔は苦笑した.
「陰気な顔をしていると言われて,無理やり切られたんだ.」
彼の右隣で,バウスが楽しげに笑った.
「ドーラにやられたのだろう? 彼女は君のことを,自分の子どもたちのうちの一人だと思っている.」
翔は照れた風に,ほおを赤くする.
「そういうわけでは,――あの人たちは,なんであれほどにおせっかいなのですか?」
「君が特別に,気に入られているだけさ.」
王子は,にやにやしている.
「馬のフンまみれになったからですね.」
翔が情けなく言い返した.
「あのときは俺も驚いたぞ.城のお客様にとんだ無礼を,とイリたちが泣いて謝ってきたからな.」
くっくっくと笑い声を立てる.
しかしみゆは話についていけず,隣の席ではウィルが興味なさげにぼんやりしている.
翔が気づいて,説明してくれた.
「最近,城の馬場で,馬の世話を手伝わせてもらっているんだ.」
意外な答だった.
城の馬場も想像できなければ,動物と触れ合う翔も想像できない.
「あそこの家の子どもたちは,俺が行くといつも怖がる.」
王子がふんぞり返ると,翔が「分かる気がする.」とつぶやいた.
みゆも失礼だが,その光景が目に浮かぶ.
バウスは,迫力があるのだ.
「そうだ,古藤さん.」
翔が思い出したように,話題を変える.
「手紙を書かないか? 俺が地球へ帰ったときに,君の家族に届けるから.」
みゆは心底,驚いた.
彼は外見以上に,中身が変わったらしい.
「ありがとう.」
こんなことが翔の口から出てくるとは,夢にも思わなかった.
「本当に,ありがとう.――すごく,うれしい.」
心にじんわりと,喜びと安堵が広がっていく.
両親に手紙が送れるのだ.
彼らが今,どうしているのか分からない.
心配されている自信も,あまりない.
けれど自分が今,元気でいると伝えることができる.
それがうれしいのだ.
「百合にも書いてもらうよ.」
予備校の元クラスメイトは,快活に笑った.

大神殿の大きな門の前では,神官長といく人かの兵士たちが馬車を待っていた.
門は開いた状態で,前庭や建物が見えている.
バウスが馬車から降りると,
「ようこそ,お越しくださいました.」
神官長は笑顔で迎えた.
が,みゆとウィルが馬車の外に出たとたんに,表情が凍る.
まさか王子とともに来るとは考えていなかったのだろう.
「ラート・ユリのご機嫌をうかがいに参りました.」
バウスは表面上は気にせずに,あいさつをした.
「ついでというわけではありませんが,ラート・サイザーの見舞いにも.」
神官長の老いた目が,あちこちにいそがしく動く.
「殿下,申し訳ございませんが,」
みゆのそばに立つウィルを,横目でちらちらと探っていた.
「ラート・サイザーは,人と会える状態ではありませんので,」
「分かりました.大切なお体ですから養生なさってください,とお伝えください.」
王子は,くったくなく答える.
だが彼は,老聖女と相当に仲が悪かったはずだ.
最初から,断られるつもりだったのかもしれない.
「ラート・ユリには面会できますか?」
神官長は,はい,もちろんですとうなずいた.
「本来ならば,国王みずからが妊娠した聖女に祝いの言葉を述べなくてはならないのですが,」
バウスは,急にかしこまった態度になった.
「今回は俺が代理を務めることを,お許しください.」
「承知しております.彼女は異色の聖女ですから.」
神官長は,表情をくもらせる.
「恐れ入ります.父は過度におくびょうなのですよ.いまだにカリヴァニア王国には魔物がいると信じていますし.」
百合は,異世界出身の聖女だ.
誰に確かめるまでもなく,神聖公国では初めてのことだろう.
だから神官長は“異色の聖女”と表現したのだろうが,それのみにしては彼の表情は暗すぎた.
みゆが疑問に感じて,彼の顔を注視していると,
「殿下,」
神官長は後ろめたいのか,ごにょごにょとしゃべる.
「おともの方々は,ここでお待ち願えないでしょうか?」
彼の目は,ウィルを気にしていた.
おともの方々とぼかした言い方をしているが,実際には少年に大神殿に入ってほしくないのだろう.
さっきからまったく視線が合わないし,距離もちょっとずつ開けられている.
意識しながらも,無視し続けるつもりらしい.
みゆは,むかっときた.
「言いたいことがあるなら,はっきりと言ってくれませんか?」
神官長の方へ向かって,一歩進み出る.
彼の態度は,ウィルに対して失礼すぎる.
すると彼は小さく悲鳴を上げて,兵士たちの後ろに隠れてしまった.
王子が,ぷっと吹き出す.
が,すぐに笑いを抑えて,まじめな顔になった.
「ミユ,あくまで一般論だがな.」
けれど青の瞳が笑っている.
「どんなに気に食わなくても,老人はいたわった方がいいぞ.いつぽっくりいくか分からない.」
彼は譲歩を提案した.
「ごり押ししてもいいが.――どうする?」
強く押せば,バウスとともに百合のところまで行くことができるのだろう.
神殿の兵士など,ウィルがけちらしてくれるにちがいない.
でも,そこまでして彼女に会いたいわけではない.
元気な姿を見て,安心したいだけだ.
加えて百合の方は,再会を望んでいないと思う.
「私とウィルは,ここで待ちます.」
神官長は胸をなで下ろした.
「むだ足を踏ませて,すまない.」
王子が意外にていねいに謝罪する.
みゆは,いいえと首を振った.
「気にしないでください.」
「ありがとう.」
バウスはみゆに対してほほ笑んでから,
「彼だけは連れて行っても構いませんか?」
翔を手ぶりで示して,神官長に問うた.
「はい.構いません.」
やはりウィルか,もしくはウィルとみゆがネックだったらしい.
「古藤さんも会いたがっていたと,百合に伝えるよ.」
翔がみゆに向かって言った.
「ありがとう.」
みゆはほほ笑む.
「できるだけ,おとなしく待っていてくれ.」
王子は軽く手を振って,翔と肩を並べて門の中へ歩き出した.
神官長はそそくさと逃げるように,だが走る速度にはならない程度に足を動かす.
彼らを見送り,みゆとウィルは乗っていた馬車とともにその場に留まった.
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