水底呼声 -suitei kosei-

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  8−5  

短い黒の髪,同じ色の瞳.
薄い眼鏡をかけた,異世界から来た女性.
セシリアのような華やかな容姿はしていないが,彼女には内側からりんと輝くものがある.
知性と思いやりの光だ.
「地球へ帰りたいと思わない.」
言葉を選びながら,ゆっくりと話す.
「故郷が懐かしい.両親に会いたい.けれど,帰りたいわけじゃない.」
理由は,彼女の瞳が教える.
愛しているから,ウィルを愛しているから.
彼女の想いは,永遠に終わらない波のようだった.
大きな愛情で,すべてを守り包みこむ.
「俺には自信がないです.」
本音がこぼれ落ちた.
そんな風に,セシリアを愛する自信がない.
ただ好きなだけで,この気持ちがいつまで続くのか分からない.
みゆとウィルは,大げさな言い方かもしれないが,世界を越えて出会った運命の恋人同士だ.
だがスミとセシリアは,そのような特別な関係ではない.
今は仲よくしてもらえているが,いつかうとまれる日が来るのかもしれない.
「スミ,」
思い悩んでいると,初めてウィルがしゃべった.
にっこりとほほ笑む.
「ほしいなら,奪えばいいだけだよ.」
「先輩,」
さすがだ,と感心する.
ある意味,ウィルの思考は単純だ.
「もしもミユさんがチキュウへ帰りたいと言ったならば,どうしたのですか?」
案の定,あっさりと答える.
「僕もチキュウへ行く.」
対してスミは,いろいろなことを考えてしまう.

夕食の後,銀の髪の少女は,ベッドの上で一人でひざを抱いていた.
バウスからは,スミは言いづらかっただけだから,内緒にしていたことを責めないように諭された.
さらに,少年がカリヴァニア王国へ帰るときは,笑顔で見送ってやれよ,とも.
けれどそんなこと,できる気がしなかった.
瞳を閉じると,父と母の姿が映る.
城に住むことになったとき,少女はひとつ不安に感じることがあった.
両親が怒るのではないかと心配したのだ.
「神よ,彼らに安らぎを.」
いや,期待していた.
彼らが城に乗りこんで,娘を神殿に,――自分たちの手に返してくれと主張することを.
「とこしえの平安を与えよ.」
ライクシードはやむを得ない事情があり,セシリアには会えなかったと,バウスから聞いた.
「変わらぬ世界の風は止まり,変わる世界の大地は揺れる.」
でも,一言だけでも言葉を交わしたかった.
もう二度と会えないのならば.
「我は神の血に連なる者,わが名はセシリア.」
祈りの光が,天へのぼる.
なぜ誰も彼も,少女から離れていくのか.
自分には,何が足りないのか.
求めても,答は見つからない.
どれだけ努力しても,聖女にはなれなかったのと同じように.
「セシリア,」
声のかけられた方を向くと,若草色の髪の少年が立っていた.
バウスの言葉を思い出して,少女はほほ笑む.
しかし一瞬後には,泣き崩れた.
「お願い,」
顔を両手で覆う.
「カリヴァニア王国へ帰らないで.」
なぜだろう,スミの前では,うそがつけない.
「いい子にするから,邪魔にならないようにするから,」
初めて会ったときから,少年はセシリアを泣かせるのがうまい.
「私を置いていかないで.」
誰に対して懇願しているのか.
スミなのか,ライクシードなのか,両親なのか.
少女は,さめざめと泣いた.
しばらくすると,
「勝手なことを言うなよ.」
押し殺した少年の叫びが聞こえた.
「俺だって別れたいわけじゃ,」
セシリアは顔を上げた.
スミはつらそうに顔をゆがませて,ほおを紅潮させて怒っている.
何かを言い出そうと口を開き,言わずに口を閉ざし,それをもう一回繰り返した.
すぅっと表情が,いつもの穏やかなものに戻る.
少年は少しの間ぼんやりして,いきなり背中を向けて部屋から出て行こうとした.
「待って!」
セシリアはベッドから降りて,少年にすがりつく.
「私も王国へ行く!」
スミはぎょっとした.
「簡単に言うなよ! それよりも誤解しているし.」
困った風で,少女の体をはがそうとする.
「俺は相談しに戻るだけだから.一人で勝手に予定を変更したら,迷惑がかかるだろ?」
同意を求められたが,何のことか分からない.
少女は不安になった.
するとスミは,まじめな顔になる.
「俺はセシリアを置いていかない,けっして.」
言葉は重かった.
置いていかれる悲しみを知っているからこそ.
自分を保護してくれるはずの存在に去られた痛みは,今もセシリアとスミを苦しめる.
しかし少年は何かを得たように,会心の笑みを浮かべた.
「あのときとはちがう.離れるか離れないかは,俺の意思なんだ.」
確認するように言う.
「今,やっと気づいた.俺自身が決めないといけないことだと.」
スミは少女から一歩離れて,ひざをついて顔を見上げた.
「先が見えなくても,不安なことが多くても,後悔するかもしれなくても.」
自分がとても大切に扱われていることが分かる.
もったいなくなるほどに.
「セシリアの願いは,俺がかなえる.」
たとえようのない感謝の気持ちがわき出して,少女は自分もひざをついた.
自分と同じ大きさの手を取って,両手で包む.
「ならば私が,あなたを守る.」
バウスやライクシードが,少女を愛してくれるように.
「あなたに,どんな悲しみや孤独が襲いかかろうとも.」
心の空洞を埋めるのは,この手のぬくもりしかない.
ならば,せいいっぱいの力で抱きしめる.
「それは俺のせりふなんだけど.」
目じりを光らせて,スミは苦笑した.
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