水底呼声 -suitei kosei-

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  8−2  

バウスが部屋から立ち去った後,スミはさっそくセシリアの部屋へ向かった.
王子公認の友だちであるらしいので,会いに行ってもいいだろうと考えたのだ.
扉をたたくと,中年女性のメイドが顔を出す.
彼女は,王女はベッドから出られない状態であり,スミとは会えないと告げた.
「病気なのですか?」
聞いても,教えてくれない.
スミはすげなく追い返された.
仕方がないので,中庭を経由してバルコニーから,寝室へ忍びこむ.
するとベッドの上に,毛布の山ができていた.
これは何だと思ったが,中に少女が入っているのだろうと推察する.
近づくと,ひっくひっくと泣き声が漏れていた.
まるで,誰か親しい人がなくなったかのように.
少年は,先ほどのバウスの,ライクシードは旅立ったというせりふを思い出す.
何もできずに,ただ立ち尽くした.

みゆは,ウィルと二人で大神殿へ出かけた.
スミは,みゆたちが出発する前に,どこかへ消えてしまった.
行き先を告げずに部屋を出たことから,セシリアに会いに行ったのだと思う.
昨日といい今日といい,スミはそういうことなのだろうか.
少年の恋を祝福する気持ちより,心配する気持ちの方が大きかった.
地下道を歩いて大神殿にたどりつくと,ルアンはいつもどおりの大歓迎である.
「今日は城から来たのかい?」
「はい.」
みゆは答えてから,帰国まで城に滞在することを教えた.
彼にはすでに,カリヴァニア王国へ帰ることを話している.
暗号の本を首都の隠れ家に運んだ日に,打ち明けたのだ.
彼は悲しい表情を隠せなかったが,みゆたちの意向を尊重してくれた.
みゆは神聖公国を出る日まで,できるだけ彼との時間を持とうと決めていた.
もちろん,実の親子であるウィルとルアンのためである.
しかし実際に顔を合わせると,――今日もそうなのだが,言葉を交わすのはみゆとルアンばかりだ.
ウィルは,あまり口を開かない.
みゆはもどかしく思うが,ルアンがうれしそうなので,多分いいのだろう.
「そうだ,ミユちゃんに渡したいものがあるんだ.」
ルアンは,飲んでいたお茶のカップをテーブルの上に置いて,席を立った.
戸棚から何かを取り出して,戻ってくる.
向かいの席から,赤い石のついた指輪をよこしてきた.
だいぶサイズが小さく,ささやかな宝石以外は何の装飾もない.
光沢もなく,新しいものではないことが分かる.
「これは,何ですか?」
たずねると,ルアンはさらりと答えた.
「リアンの遺品だよ.」
びっくりする.
つまりウィルの母親の,形見の指輪だ.
「大切なものですよね?」
聞いた後で,愚問だと感じる.
大切でないわけがない.
こんな風に簡単に,渡していいものではない.
「そうだよ,だから君が持っていて.きっとリアンが守ってくれるから.」
「でも,」
断ろうとしたが,ルアンの瞳がとても優しく,みゆを思いやっていることに気づいた.
彼は,ライクシードのことがあったために,案じてくれているのだ.
「大切にします.」
みゆは指輪を,そっと握りしめる.
「ありがとうございます,本当に.」
ルアンには,いくら感謝してもしたりない.
みゆたちは自分たちで分かっている以上に,彼から助けられている.
ルアンはにっこりとほほ笑んで,指輪をつけるように促した.
みゆはうなずいて指輪をはめようとしたが,はたと手を止める.
隣の席の,ウィルの顔を見た.
恋人は,どうしたの? と不思議そうに首をかしげる.
この世界には,エンゲージリングの習慣はないのだろうか.
ウィルとルアンの気にしていない様子から察するに,なさそうだ.
みゆは,説明して指輪をはめさせてもらおうかと悩んだが,想像しただけで恥ずかしくなった.
ごまかし笑いをして,ちゃっちゃと小指を指輪にくぐらせる.
ところが,途中までしか入らない.
リアンの指輪は,相当に小さいのだ.
「小柄な方だったのですか?」
みゆの質問に,ルアンは懐かしそうに目を細める.
「うん,彼女はすごく小さかったよ.」
そしてみゆに,金の鎖を渡した.
「これで首からかけて.」
「はい.」
指輪を,細い鎖に通す.
ウィルの母親は,どんな女性だったのだろう.
「ウィルも何かほしいかい?」
ルアンは少年に問いかけた.
「いらないよ.」
少年は笑顔だが,返事はそっけない.
けれどルアンは,いとしそうに微笑した.
「そうだろうね.君は君自身が,リアンの忘れ形見だ.」
ネックレスを首からかけたみゆは,二人の様子をしげしげと眺める.
今はウィルとルアンは,一見して親子だと分かる.
容姿が似ていることもあるが,それ以上に流れている空気がそうなのだ.
彼をウィルの父親かどうか疑ったことが,うそみたいだ.
少年がはぐらかした態度を取るのは,親からの愛情に慣れていないせいかもしれない.

ベッドの中で,どれだけ泣いたのだろう.
いい加減,ここから出なくてはならない.
セシリアは,のそのそと毛布からはい出ようとした.
朝から何も食べていないので,情けないことに,おなかがすいている.
視界が開けたとたんに,驚く.
若草色の髪の少年が,ベッドに腰かけていたからだ.
背中を向けて,ぼーっとしている.
が,すぐに視線に気づいて,振り返った.
ばつの悪い顔になる.
「勝手に部屋に入って,ごめん.」
少女は,ほおを緩めた.
無理に笑顔を作らなくても,ほほ笑むことができる.
「そばにいてくれて,ありがとう.」
スミがいるから.
少女がつらいとき,さりげなくそばにいてくれる.
初めて街で会ったときと同じように.
「どういたしまして.」
少年は,少しだけ寂しそうに笑った.
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