水底呼声 -suitei kosei-

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  8−1  

翌朝,みゆたちはバウスの訪問を受けた.
メイドたちが朝食を下げたダイニングテーブルに,みゆとウィル,バウスとスミが向かい合って座る.
スミは王子が苦手らしく目を合わせないし,ウィルは興味なさげな無表情だ.
みゆは,初めてバウスと会った日のことを思い出した.
あの日も,朝食の後すぐに面会した.
ライクシードとともに.
それは,とても昔のことに感じられた.
みゆが神聖公国に来てから,一か月程度しかたっていないのに.
「昨日は,本当にすまないことをした.」
バウスはまず,みゆに向かって深々と頭を下げた.
「謝らないでください,殿下が悪いのではありません.」
かしこまった態度の王子に,恐縮してしまう.
彼は顔を上げて,ほほ笑んだ.
「いろいろと,すまなかった.」
おそらく,昨日のことのみを指していない.
「私こそ隠しごとばかりで,申し訳ございませんでした.」
今度は,みゆが頭を下げた.
王子は苦笑する.
「もう済んだことだ.」
「はい.」
うなずいて,みゆは彼と和解した.
バウスはにこりと笑んで,黒の少年に顔を向ける.
「君とは初めましてだな,ウィル.」
少年は返事をしない.
「今思えば,君の容姿と力を聞いたときに,なぜ彼の息子だと気づかなかったのだろう.」
自分の鈍感さを,おかしそうに思い返す.
「あの,」
ウィルが彼を無視し続けるので,みゆは口をはさんだ.
「ルアンさんと,どのような関係なのですか?」
「七年前に一度,会っただけさ.昨日までは,彼の名前すら知らなかった.」
バウスは,はればれとした様子で話す.
「彼は俺に言った.ラート・ネリーやラート・サイザーがいなくなっても,自分が結界を守ると.」
ネリーは,サイザーの前の代の聖女だ.
すでになくなっていると,セシリアから聞いたことがある.
「そして約束どおりに,切れた結界を直してくれた.」
青の瞳に,深い感謝の念が映る.
「代わりに,大神殿の修繕工事を頼まれている.古い建物で痛みが激しいらしい.」
雨漏りする箇所がいくつかあるそうだ,と平然と言う.
みゆは,「はぁ,そうですか.」と気の抜けた返答をした.
いきなり話のスケールが下がった気がする.
バウスは,くつくつと笑った.
「住環境の整備は大切なことだぞ.こう言っては何だが,あの工事には結構な金がかかっている.」
国王が神の栄光をたたえるために,修繕工事をしている.
前に読んだ本にはそんな風に記述されていたが,実際はちがったらしい.
ルアンの快適な生活のためだったようだ.
みゆは王子に,自分が神聖公国に来た理由を打ち明けた.
百合が神の塔から出るのを待って,翔とともにカリヴァニア王国へ帰ることも告げる.
語り終えると,
「できるかぎりの援助をしよう.」
バウスはおもむろに,口を開いた.
「ユリに会えるように,こちらで手配する.暗号本の運搬に関しては,ロバを何頭か与えよう.」
丈夫な荷袋も必要だな,準備しておこうと言い足す.
「帰国までは,ぜひ城に滞在してほしい.宿泊費などはいらない.食事も三食用意しよう.」
いたれりつくせりだ.
みゆはまじまじと,彼の顔を見つめた.
ライクシードの件での謝罪も含まれているとは思うのだが,それにしても親切すぎる.
みゆは,素直にたずねてみることにした.
この王子に,下手な小細工は通じない.
「なぜ,そんなにしてくれるのですか?」
「勝手にこそこそ動かれるより,楽だからだ.」
彼はあっさりと教えた.
「俺の願いは,君たちが神聖公国から出ていくことだ.」
バウスは積極的に,みゆたちの背中を押したいらしい.
「加えて俺は,結界を維持する黒猫の機嫌を損ねるわけにはいかない.」
ルアンはつくづく,すごい人物だったようだ.
みゆたちの前では,ただの子ぼんのうなウィルの父親なのだが.
みゆは,ふと思い出したことを口にした.
「バウス殿下,暗号本をライクシード殿下は持っていませんか?」
彼は,かすかにまゆを上げる.
「昨日,ライクシード殿下に言われたのです,王国について書かれた本を手に入れたと.」
表情が少し険しくなっただけで,彼は威圧感が増す.
ライクシードに関することを質問するのではなかったと,みゆは後悔した.
「知らないな.」
バウスは,手をあごに当てる.
「それにライクは昨夜,使者としてカリヴァニア王国へ発った.確かめるすべはない.」
「え?」
みゆは驚いた.
彼は感情を読ませない声で,言葉を続ける.
「神の呪いを解く手助けをするために,行ったんだ.」
何と答えればいいのか,分からなかった.
より正確には,その事実をどのように受け止めればいいのか.
「王国で会ったときに,弟に直接,聞いてほしい.」
それは嫌だ,怖い,……もやもやとしたものが形になる前に,
「やだよ,顔を合わせたくないもの.」
黒の少年が先取りした.
「王子様を見つけたら,本をこっそりと盗んであげるよ.」
愉悦の表情で,くすくすと笑う.
「ウィル!」
バウスをはばかって,みゆは声を上げた.
しかし彼は怒らずに,苦笑する.
「気にしなくていい.ウィルのせりふはもっともだ.」
そして王子は立ち上がった.
が,思いついたようにスミに視線を送り,にやりと笑みを顔に刻む.
少年はびくっと,いすから腰を浮かしかけた.
「セシリアとは,いい友だちでいてくれ.」
友だちという単語に,すさまじく力が入っている.
「じゃ,またな.」
みゆたちには普通の笑顔を見せて,彼は部屋から立ち去った.
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