水底呼声 -suitei kosei-

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  7−5  

スミを探しに行ったウィルは,すぐに家に戻ってきた.
「見つかった?」
みゆがたずねると,少年は首を横に振る.
「貧民街にはいなかった.」
捜索範囲を広げると言って,再び外出した.
スミはいったい,どこにいるのか.
夜に出かけたとしても,少年は必ず朝までには帰ってくる.
もしも帰らないにしても,ちゃんと連絡を入れるだろう.
つまり少年は帰還できず,連絡もできない状態なのだ.
みゆが不安な気持ちで待っていると,黒猫が難しい顔をして帰宅した.
「見つからない.」
そしてまた,街へ出て行く.
それを何度か繰り返した後で,やっとウィルは手がかりをつかんで帰ってきた.
「城の中に,捕らわれているのかもしれない.」
少年いわく,城の外側を警備している兵士たちの様子がおかしいのだ.
「ぴりぴりしている,ということ?」
みゆが問うと,少年はううんと否定する.
「いつもよりも,まじめに働いている.しっかりと周囲を見張っているから,近づきにくい.」
普段は手を抜いた仕事をして,すきだらけなのだろうか.
みゆは返答に困ったが,それは重要な情報だった.
城で何かあったのか,あるいはこれからあるのだ.
ウィルは悩んでいる風で,口に手を当ててうつむく.
「城に忍びこむ?」
みゆは聞いたが,少年はにわかには答えない.
「今日も,王子様たちが貧民街にいる.」
低い声でつぶやいた.
ライクシードと翔は,今日もみゆの捜索のために,貧民街を歩き回っている.
だからウィルはスミを探しつつも,みゆを心配して,こまめに家に戻ってきてくれた.
城に侵入すると,それができなくなるのだろう.
「ウィル,大丈夫よ.」
みゆは,少年を安心させるようにほほ笑んだ.
「この家には,ルアンさんのかけてくれた魔法がある.」
建物全体に,他者から認識できなくなる不思議な力が働いている.
ルアンの術は,想像以上の効果があった.
実はライクシードたちは,ほぼ毎日,家の前を通っているのだ.
しかしけっして,立ち止まらない.
彼らが通過するたびに,ウィルとスミは警戒するが,特に危険なことはなかった.
「家から出ずに静かにしておくから,スミ君を探しに行って.」
「でも,」
少年は,みゆの提案を受け入れたくないようだった.
「僕はスミを探すよりも,ミユちゃんを守る方が大事.」
ぞんがいに真剣な調子で言われて,みゆは照れてしまった.
だが今は,恋人に特別扱いされて喜んでいる場合ではない.
「今は,私よりもスミ君を心配して.」
城には,あのバウス王子がいるのだ.
彼は,相手が子どもだからといって容赦しないだろう.
「スミ君を探して,そして助けて.」
ウィルは迷った様子だったが,しぶしぶ了承した.

薄暗い牢の中で,若草色の髪の少年は自身にかけられた縄を解いていた.
牢の番人たちは昨夜はいたのだが,朝目覚めたときには消えていた.
スミはこれ幸いと,靴底に隠していたナイフで縄を切り始めたのだ.
やっと自由になった体で立ち上がる.
「早く,帰らなくちゃ.」
みゆとウィルは,昨夜家に帰らなかったスミを心配しているだろう.
少年は懐から細長い針を取り出して,牢の扉にかけられた錠にさしこむ.
錠を外そうとしていると,複数の男たちのしゃべり声が,足音とともに聞こえてきた.
バウスと護衛の騎士二人が,石階段を降りて,こちらにやってくる.
彼らは牢の扉に取りついた少年に気づくと,意外そうに目をまばたいた.
「優秀だな.すでに縄が下に落ちているぞ.」
王子は,にやにやと笑っている.
スミの行動をおもしろがっているようだ.
「牢をやぶるのに長けているのは,悪い方の優秀さですよ.」
ちょびひげのある騎士が,バウスをたしなめる.
彼は王子よりも,年上に見えた.
「まぁ,いい.話を聞こう.判断をくだすのは,それからだ.」
バウスは,柵ごしに少年に近づく.
「スミ,カリヴァニア王国から来たそうだな.」
間近に立つと,少年よりも背が高いためか,威圧感があった.
「そしてセシリアを利用した,――城の内部情報を得るために.」
「そうだ.」
にらみつけて,肯定する.
「あいつは世間知らずだから,だますのは簡単だった.けれど,ほとんど役に立たなかった.」
「なるほど.」
バウスは,くっと笑みを刻んだ.
「夜が明けても,君の主張は変わらないか.しかしなぜ,誘拐しなかった?」
「は?」
思わず問い返す.
「あの子の持つ情報など,たかが知れている.君が言ったように,ほとんど役に立たない.」
彼は淡々と話した.
「セシリアに価値があるとすれば,人質としてのみだ.」
俺が君の立場ならば,セシリアを連れ去り城の王子たちを脅すだろう,と平然と言う.
スミは,ぽかんと口を開けた.
確かに,彼の言うとおりなのだが.
「君は城の奥まで入りこめて,牢から脱出するのにも慣れている.」
対してセシリアは,普通の子どもだ.
いくら奇跡の力があり,多少護身術が使えても,無力なものである.
「誘拐することも殺害することも,君には可能だったはずだ.」
バウスは,すさまじく客観的だった.
王子の指摘するとおりスミには,油断さえしなければ,少女を誘拐することは可能だった.
しかし,そんなことができるわけがないし,そもそも思いつきもしなかった.
反論できずに黙っていると,王子が騎士たちに指示を出す.
「牢の扉を開けろ.」
スミはぎょっとした.
だがこのせりふに驚いたのは,少年だけだった.
若い方の騎士が,扉の錠にかぎをさし入れる.
外側から扉が開かれたが,スミは出るべきか迷った.
「出てこいよ.」
バウスは顔に青筋を立てて,唐突に怒る.
「セシリアから君とのなれそめを聞かされて,しかも仲よくしてねとお願いされて…….」
こぶしを作って,手をぱきぱきと鳴らした.
身の危険を感じて,スミはあとずさる.
「殿下,落ちついてください.それに論点がおかしいです.」
ちょびひげの騎士が,主君の肩をつかんだ.
「先ほどの会話で,この少年とは敵対しないと決めたのでしょう?」
だから扉を開けたのですよね,となだめる.
すると王子は,無理やりな笑顔を作った.
「昨夜から,セシリアは利用されただけで悪いことはしていないと,かばってくれてありがとう.」
あの子の兄として礼を言うよと,ひきつった口もとでつむぐ.
「君を牢に入れてすまなかった.腹が減っているだろう? 朝食を用意させるから,こっちに来いよ.」
スミは,首をぶんぶんと振った.
バウスのせりふと表情は,あきらかに合っていない.
「俺の妹に声をかけたんだ.それ相応の覚悟はできているよな?」
彼は,先ほどまでの冷静さのかけらもなく,どこからどう見ても切れていた.
とうとう牢の中に入ってきて,
「一発ぐらいなぐらせろ!」
子どものけんかのように,スミを追い回し始めた.
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