水底呼声 -suitei kosei-

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  7−4  

油断した,うかつとしか言えない.
少年は起き上がろうとしたが,体に力が入らない.
もがいているうちにバウスに髪をつかまれて,顔を上げさせられた.
「子ども?」
「スミ!」
王子の声に,セシリアの声がかぶさる.
「ごめんなさい.すぐに術を解くから,」
「セシリア!?」
近寄ってくる少女を,彼は背中で押しやった.
「何を言って,――この子を知っているのか?」
ふっと,体に活力が戻る.
しかし王子の方が反応が早い!
少年はバウスに背中に乗られて,手首を取られた.
嫌な方向に力を入れられて,痛みにうめく.
「やめて,兄さま!」
少女が悲痛な声を上げる.
「スミは悪い人じゃないの.多分,私に会いに来て,」
「ばか!」
こんしんの力で,少年はどなった.
「俺はあんたを利用したんだ!」
どやどやと,兵士たちが部屋に入ってくる.
今,この場で逃げるのは不可能だと,少年は判断した.
「利用?」
少女が,首をかしげる.
さらさらと長い銀の髪が流れ,ついうっかりと見とれてしまう.
「私のこと,余計なお世話じゃなかったの?」
「わーーー! ばかばかばか.どうしてそんなに,ばかなんだよ!?」
少女のせりふを打ち消すべく,大声を張り上げる.
「俺は城に敵対する人間だ.だからあんたを利用,うぐっ,」
バウスに,後ろから口をふさがれた.
「セシリア,この子は何者だ.」
十数人ほどの兵士たちが,まわりを取り囲む.
「兄さま,スミを離して.彼は私を助けてくれた人なの.」
「その助けてくれた人が,なぜお前の部屋に,しかも夜に忍びこむ?」
王子の声は鋭い.
が,少女は負けていなかった.
「理由は知らないけれど,スミはいい人なの!」
少年は思わず脱力しそうになる.
バウスの言い分はもっともだ,少女の反論はめちゃくちゃだ.
「こいつは勝手に,城の中に入ったのだぞ.」
「でも,どろぼうとかじゃないの.」
二人の言い争いに,兵士たちはとまどっている.
スミは何もできずに,少女を見守った.
結果としてセシリアは,スミと街でこそこそと会っていた.
どのような悪事を働いたのか,裏切り者として疑われる要素がありすぎる.
「おい,セシリアを部屋から連れ出せ.」
らちの明かない話し合いに,王子は兵士たちに命じた.
「やだってば! スミをいじめないで.」
少女は抵抗したが,簡単に男たちに囲まれる.
「私の話を聞いてよ,兄さま!」
バウスは,少年の口から手を離して,体の上からどいた.
三人の兵士たちが,少年の体を床に押しつけて,体に縄を巻き始める.
「君の話を聞こうか.」
酔いが残っているが冷静な目で,王子は少年を見下ろした.
そのとき,ひときわ高く,少女が「きゃぁ!」と悲鳴を上げる.
「うわっ,すみませ,」
「そいつに触るな!」
顔を上げて,スミは叫んだ.
「逃げろ,セシリア!」
すると部屋の中にいる者全員が,びっくりして少年を見つめ返す.
「あ,」
顔に朱が上がるのが,自分でも分かった.
セシリアを囲んでいる兵士たちも,少女本人も.
少女の髪に手を引っかけさせている,一人の兵士も.
バウスでさえ,あっけに取られて,ぽかんと口を開けていた.
この城の中で,少女に危害を加える者がいるわけがないのに.
まるでセシリアが殺されそうな場面のように,スミだけが大騒ぎして.
「縄を巻け.」
いち早く,沈黙から脱したのはバウス.
「はい.」
兵士たちによって手早く,少年は縄でぐるぐる巻きにされる.
セシリアは,少年の視界から消えてしまった.
「とりあえず,この子は地下牢へ連れていってくれ.」
王子は疲れたように,どかっと部屋の壁にもたれる.
「後で問いただす.」
頭を抱えて,ずるずると腰を落とした.
「殿下?」
一人の兵士が心配げに声をかけると,酔いが回っているだけだと答える.
スミは兵士たちに担がれて,部屋から出された.

翌朝,みゆが目を覚ますと,同じベッドで寝ていた少年はすでに起き上がっていた.
静かに瞳を閉じて,めい想している.
寝ぐせで跳ねている黒い髪,寝間着も黒い.
そばにいるのにいない,そばにいないのにいる,そんな不思議な存在感.
少年の気配が霧散し,薄く淡く広がっていた.
みゆが起きたことも,カーテンのすき間から日光が差しこんでいることも,古い家の壁についている傷のひとつひとつまでも,少年には見えている.
みゆも,そっと目を閉じた.
少年という海の中に,どぼんと潜りこむ.
暖かい海水が体を包み,ゆっくりと沈んでいく.
おぼろ月のかすかな光が,みゆの背中を押した.
暗い森の中,一人の男が走っている.
「私はこの子に名を与えない.私はこの子に愛を与えない.」
呪いの言葉をつぶやいて,しかし大切に,産まれたばかりの赤ん坊を腕に抱いている.
苦しげな顔をして,愛すべきか呪うべきか,決めかねている.
しばらくすると男は足を止めて,眼前の大きな洞くつを見上げた.
洞くつの両脇には,まがまがしいモンスターの石像がある.
「神よ.私は今,あなたと決別します.」
男が洞くつに足を踏み入れた瞬間,赤ん坊が大きな声で泣き出した.
「呪われたものを呪われた地へ運びます.これが私の最後の忠誠です,ラート・ルアン.」
みゆとウィル,二人が出会えたのは奇跡に近い.
与えられた死の影から,はい出して.
初めから,少年には見えていたのかもしれない.
姉をうしなって泣く,みゆの姿が.
「ミユちゃん.」
呼ぶ声に,みゆは深い海の底から浮上した.
まぶたを開くと,まばゆい.
「ウィル,おはよう.」
「おはよう.」
ほおにキスをした後で,少年は黙った.
妙な表情をしている,何かを悩んでいるような.
「どうしたの?」
少年は少し考えてから,口を開いた.
「スミがいない.家の中にも,周囲にも.」
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