水底呼声 -suitei kosei-

戻る | 続き | 目次

  7−3  

スミたちは,カリヴァニア王国へ帰る準備を着々と進めていた.
みゆは聖女になった百合と会い,王国の救済を頼んだ.
そして翌日,スミとウィルは,暗号の本をすべて隠れ家へ運んだ.
百合が神の塔に入るために,大神殿全体があわただしい日に合わせて,やったのだ.
次はこれらの本を,カリヴァニア王国の王都まで運ばなければならない.
秘密裏に,かつ安全に.
十冊や二十冊程度ならば,どうにかなったのだが,245冊は手に余った.
さらに,翔を誘拐しなくてはならない.
しかし彼のそばには,ライクシードがべったりと張りついている.
王子との対決は避けられず,困難な仕事になるのは確実だった.

夜,スミは,城の中庭に忍びこんでいた.
セシリアに,別れのあいさつを告げるためである.
ここから少女の部屋まで行くのは,たやすいことなのだが.
少年は,よじ登った木の上で,ため息を吐いた.
昨日もおとといも,ここでちゅうちょしている.
そして無意味に,少女の部屋をのぞいている.
何をやっているのだろうなぁ,俺は.
自分で自分にあきれる.
別れのあいさつというが,そもそもスミは,セシリアとそこまで親しくない.
たった二回,街で会っただけだ.
それに,城の中にある少女の部屋までやって来て,「やぁ,こんにちは.」はない.
どう考えても,スミは不法侵入の不審者だ.
兵士たちを呼ばれても,文句は言えない.
いや,兵士たちを呼ばなければ,「無用心すぎる!」とスミがセシリアをしかりたくなる.
少女はまた,城から抜け出して街を歩かないだろうか.
そうしたら,偶然を装って声をかけるのに.
スミが一人でもんもんとしていると,少女の部屋に訪問者があった.
短い銀の髪をした男,いつもは鋭い目が優しく細められている.
セシリアのはとこ,王子バウスだった.

机でぼんやりと本を読んでいた少女は,突然の兄の来訪に驚いた.
「バウス兄さま,どうしたの?」
これを口実に勉強を休むことにして,扉のそばまで迎えに行く.
とたんに,大きな腕に抱きすくめられた.
ぷーんと,酒のにおいが鼻につく.
「お酒くさいよ!」
腕の中で暴れたが,バウスは離さない.
逆に強く,抱きしめられた.
「セシリア.お前はまだ,大人になるなよ.」
少女には,兄の落とした言葉の意味が理解できない.
しかし,なぜ兄が酔って,こんな不可解なことを言うのかは分かった.
「ライク兄さまが,大人になってしまったから?」
少女の大切な二人の兄は今,深刻な仲たがいをしている.
二人とも何も教えてくれないが,セシリアはちゃんと気づいていた.
「ミユのことで,もめているのよね?」
処刑にしたいバウスと,守りたいライクシードで.
兄は,少女の体を離した.
ひざをついて,同じ目線の高さになる.
「俺は,お前やライクに幸せになってほしいんだ.」
酔いのために,ほおが赤かったが,言葉はしっかりしていた.
「そうじゃなくて,ミユを処刑にしないでほしいの.」
少女は言い返す.
バウスは,ほほ笑んだ.
「処刑にはしないさ.彼女はそこまで危険な人物ではないからな.」
「え?」
ならば,いったい何が原因で,けんかしているのだ?
「けれど彼女は,危険な“能力”を持っている.結界を壊してしまう能力だ.」
兄の話は続く.
「できればすぐに,この国から出ていってもらいたい.」
結界は,外からの侵入を許さないという性質上,どうしても内からの攻撃には弱い.
「もしもこの国に滞在するとしても,俺の目の届く範囲にいてほしい.」
みゆは,呪われた王国との間にある結界を切った.
結界は二日後には修復されたが,そのときの騒ぎをセシリアは忘れることができない.
少女はサイザーたちとともに,ほとんど不眠不休で祈り続けた.
過労で倒れる者もいたし,恐怖心から泣き叫ぶ者もいた.
結界が直るまで,生きた心地がしなかった.
直ってからも,どこかに魔物が潜んでいるのではないかと,しばらくの間おびえていた.
「ミユと同じく異世界から来たユリとショウにも,同様の能力があるのかもしれない.」
兄の顔が,苦しげにゆがむ.
「俺は本当は,ユリが聖女になるのにも反対だった.」
静かに告白した.
「だがミユのときとちがい,反対できるだけの根拠がなかったから,反対できなかったんだ.」
彼は一人で,この国を背負っている.
セシリアたちが祈っていたとき,バウスは国王に代わって軍を動かし,首都の城門を閉じた.
落ちついた振るまいをして,首都の住民たちに浮き足だたないよう言い渡したのだ.
今でも城のメイドたちが,うっとりとしたまなざしで教えてくれる.
神聖公国が大きな混乱に陥らなかったのは,バウスのおかげだと.
「もう一人,俺が警戒している人物がいる.」
ライクシードと道をたがえてしまったバウスの孤独を,少女は見た.
「ミユを首都神殿から連れ出したウィル.彼にも国境の結界を消す能力があるのかもしれない.」
少年は,聖女であるサイザーが張った結界を,内側から破裂させたのだ.
尋常な力の持ち主ではない.
「でも私は,」
小さな声で,少女は反論した.
「ミユとも,カリヴァニア王国から来た人とも,仲よくなれると思う.」
兄は怒るかと思ったが,穏やかな笑みを浮かべたままだった.
「そうかもしれない.けれど俺は,彼女と腹を割って話したことはないから,何とも言えない.」
それは,セシリアも同じだった.
みゆは誰にも,心のうちを明かさなかった.
「俺のミユに対する印象は,秘密を抱えている女,目的を持ってこの国へ来た女.」
兄の言葉が止まる.
「彼女を愛することが,ライクのためになると思うか?」
真剣なまなざしで,少女を見つめた.
だから,少女も真剣に答えなくてはならない.
たとえ間違っていたとしても,自分自身で考えた最上の解を出さなくてはならない.
「そう思っていた,少し前までは.」
ライクシードが首都神殿でみゆを連れて逃げたとき,セシリアは心底驚いた.
普段ことを荒立てない兄が,サイザーに表立って反抗したのだ.
そしてみゆは兄を守るために,みずから神殿の兵士たちに捕まった.
二人はたがいに深く想いあっているのだと,少女は確信した.
禁足の森での出会いは,セシリアではなくライクシードにとっての運命だったのだ.
「私は,ミユに聖女になってほしかった.」
彼の想いは,少女には都合のいいものだった.
「だから,聖女になったミユと結婚すればいいと言った.」
けれど彼女には,恋人がいた.
「でも今は,追いかけてほしくない.」
今さらだ.
兄をたきつけておきながら,今さら何が言えるのだ.
すると急に,バウスの表情が険しくなった.
「セシリア.」
しかられると少女は身構えたが,彼は少女の体をぎゅっと抱きしめた.
そして耳もとで,ささやく.
「虫がいる.この部屋に誰かが忍びこんでいる.」
「え!?」
驚いて首を巡らせようとしたが,兄が少女の頭をがっしりとつかんでいた.
「動くな,相手に悟られる.落ちついて,祈りの言葉をささげろ.」
「う,うん.」
誰かが,この部屋にいる.
城の最奥にあると言っていい,セシリアの自室に.
「神の前で,いつわりのない心を誓え.神の前で,私の心は裸になる.」
多少声が震えたが,気持ちを集中させる.
「すべてをあなたにゆだね,すべてをあなたにささげる.」
奇跡の技で,隠れた闇を暴き出す.
「黒き心よ,消え去るがいい!」
「うわぁあ!?」
少女の背後で,悲鳴と落ちる音.
「ここにいろ.」
兄が少女の体を離して,そこへ向かう.
少女は振り返った.
瞬間,息をのむ.
若草色の髪の少年が,――スミが,少女の術にはまって倒れていた.
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2010 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-