水底呼声 -suitei kosei-

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  6−14  

お菓子が高級品だと知らない.
文字も,――魔法の力で読めるが,本当の意味では読めない.
日本から来たみゆは,世間知らずで無知な人間だ.
そして世間知らずという点では,ウィルもスミもルアンも,似たようなものではないだろうか.
ルアンなどは今日,世界で一番,世の中のことを知らないと豪語した.
そんな特殊な人間たちが集まっても,難解な暗号は解けない.
もっと世間を知る人間,例えばカーツ村の村長たちや,王城のメイドのツィムや調理場のバースの方が暗号を解けるのではないか.
ウィルに暗号の解き方を教えた国王や,大神殿の知者だったカイルを頼るべきではないか.
カリヴァニア王国の学者や見識のある人に,暗号の本を見てもらうべきではないか.
みゆたちだけでがんばるよりも,そちらの方がずっと効率がいい.
王国の救済のために残された時間は,あと四年しかないのだ.
「私は暗号本をすべて,カリヴァニア王国へ持って帰りたい.」
王国全国民の知恵をもってしたら,きっと本のなぞは解ける.
みゆの言葉に,少年たちは二人とも,あっけに取られていた.
だが,黒の少年の方がいち早く,瞳の焦点を取り結ぶ.
「君が望むのなら.」
甘いほほ笑みで,何もかもを受け入れる.
「ありがとう.」
神聖公国で得られるものは,この暗号本以外にはないだろう.
そして神に会うという仕事は,ルアンの助言どおりに,百合に頼めばいい.
だからもはや,この国に滞在する理由はないのだ.
「白井さんに会ってから,――できれば,彼女が神の塔を出た後にもう一度会ってから,柏原君を連れて王国へ帰ろう.」
みゆには,神の塔は得体の知れない恐ろしい塔に思える.
ただ,みゆが潔癖で,頭の固い性格をしているから,そう感じるだけかもしれない.
百合は,聖女になることを承知したのだ.
しかし一応,彼女が無事に塔から出たのを確認して,安心したかった.
「ちょっと待ってください!」
あわてたように,若草色の髪の少年が声を上げる.
「王国へ帰るって,――帰れるのですか?」
「帰れるよ.」
ウィルは簡単に言い返した.
「暗号本を持って帰れば,ドナート陛下は喜んで僕たちを迎えるはずだ.」
国王の望みは,王国の救済.
そのための手がかりを持って帰るのだから.
「カイル師匠は,どうなのですか? 俺たちは,殺されるところだったのですよ.」
スミは不安そうに言い募った.
「師匠よりも先に,陛下に会えば大丈夫.陛下が僕たちを保護してくれるよ.」
「でも,もったいなくないですか? あんなに苦労して,この国に来たのに.」
出ていけば,二度と戻れない.
スミが慎重になるのは当然だった.
「ごめんなさい,ウィル.」
みゆは,黒の少年に対して謝った.
「せっかくお父さんに会えたのに.」
「気にしなくていいよ,ミユちゃん.」
少年は,大したことではないように笑う.
けれど,やはり寂しそうだった.
ウィルの隣で,スミは悩んでいる.
まだ,気にかかることがあるようだ.
「スミ君?」
声をかけると少年は,はっとして顔を上げる.
「もう神聖公国には,用はないのですね?」
みゆはしっかりとうなずいた.
「分かりました.一緒に帰りましょう.」
少年は,なぜか悲しそうに見えた.

みゆへの手紙を展示している広場の隅に,翔はいた.
むろん,一人ではない.
護衛と称した監視人,ライクシードがそばにいる.
ここで,みゆが来るのを待っているのだが,彼女はいっこうに現れない.
もしかしたらすでに広場に来たが,人が多すぎて分からなかったのかもしれない.
翔は,待つことにも,大勢の人の中で立つことにも疲れた.
人ごみから離れて,地べたに座りこむ.
すると王子が目を丸くして,追いかけてきた.
「どうしたのだ?」
翔を軽々と,お姫様のように抱き上げる.
「や,やめてくれ!」
翔は,びっくりして逃げ出した.
「持病があるのか? いきなり倒れるなんて,何があった?」
「持病はない! 倒れていない,座っただけだ.」
大まじめに心配する彼から,後ずさりして距離を置く.
男に抱かれるなんて気持ち悪いと思ってから,気づいた.
コンビニの前や,駅の構内で座りこむ若者たち.
その光景は日本ではありふれているが,外国では見かけない.
ここは,異世界なのだ.
日本語が通じても,日本とは異なる文化なのだ.
翔は,立っていなくてはならない.
自分の世界へ帰る日まで.
翔は視線を,看板に戻した.
「古藤さん,来ないな.」
「カリヴァニア王国の者が,彼女を隠しているのだろう.」
ライクシードの声が苦い.
「古藤さんの彼氏か.王子は,彼女と会ったことがあるんだよな.恋人とも面識があるのか?」
「ないな.」
彼はそっけなく答えた.
「悪い男なんだろうなぁ.」
翔は,ため息を吐く.
みゆがカリヴァニア王国のために働いているのは,恋人にたぶらかされたからだろう.
もしかすると彼女も百合と同じく,日本に帰るつもりがないのかもしれない.
「そもそも,この看板に気づいていなかったりするかもな.」
「いや,それはない.」
王子は落ちついた様子で,否定した.
「ミユはこの街の貧民街に身を隠しているはずだ.この騒ぎに気づかないわけがない.」
「貧民街? なんで,そう分かるんだ?」
まったくの行方知れずだと言ったのに.
「彼女が首都神殿から逃げたとき,すぐに街の門を閉ざして,大勢の兵士たちに探させた.」
だが見つからなかったと,青の瞳を伏せる.
「貧民街だけは,どうしても捜索の手が行き渡らない.だからそこに隠れているのは確実だろう.」
「ならば,貧民街をもっと徹底的に探せばいいだけじゃないか.」
簡単な話ではないか.
なぜ,そうしない.
「やめた方がいい.無理に押し入れば,住民から強い反発を招いてしまう.」
それに,と少し言いづらそうに話す.
「あまり厳しく取りしまるのも,逆に街の治安にはよくないんだ.」
彼のせりふには納得できた.
清すぎる水には魚は住まない.
貧民街は一種の必要悪であり,為政者としては手を出しづらい場所なのだろう.
つまり王子たちは,みゆの捜索よりも街の平穏を優先しているのだ.
「やる気ないのだな.」
翔に彼女を探せと言っておきながら.
「そういうわけでは,」
ライクシードは苦笑した.
「本気で,古藤さんを探すつもりはないだろ?」
かちんと来たように,彼の形のいいまゆが上がる.
図星か,と翔は冷ややかな目で見た.
王子を無視して,広場に背中を向けて歩き出す.
「どこへ行くんだ,ショウ?」
ライクシードが追いかけてきた.
翔は前を向いたままで宣言する.
「貧民街.いや貧民街でなくてもいい,この街にある家を一軒ずつたずねて,古藤さんがいないか確かめる.」
広場で待っていても,らちがあかない.
みゆがここに来るとは限らないし,城に来てくれと手紙に書いたが,彼女がそれにこたえる保障もない.
そしてやり方のぬるい王子たちが,彼女を探し出せるとは思えない.
「今の俺には,古藤さんが必要なんだ.」
翔一人でカリヴァニア王国へ戻っても,国王は再び翔をこの国に送るだろう.
彼は翔を,運送業者か何かだと勘違いしているのだ.
ならば,せめてみゆを連れ帰り,翔の仕事を彼女に押しつけなければならない.
「捕まえる,必ず.」
翔の決意を,ライクシードは肯定も否定もしない.
「俺は絶対に,日本へ帰るんだ.」
センター試験には間に合うように.
これ以上,人生を狂わせるわけにはいかないのだ.
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