水底呼声 -suitei kosei-

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  6−12  

大神殿では十六年に一度,十六才になった聖女を神の塔へささげる.
神から授かった娘を,神のもとへ返すのだ.
娘は,短いときで一日長いときで三十日ほど,塔の中に隠される.
その間,誰も中に入れない.
塔から出てきた娘は,塔の中での記憶をなくし,腹に赤子を授かる.
子どもを身ごもること,それが聖女がなす最大の奇跡だ.
「記憶がなくなるのですか?」
みゆがたずねると,ルアンは「そうだよ.」と肯定する.
「神に会えても,それはとてもおそれ多いことだから,覚えておけないんだ.」
「……ひきょうですね,神様って.」
娘をはらませておいて,自分は,――記憶まで消して,とんずらするのだ.
みゆのしかめっ面に,ルアンはぷっと吹き出した.
「すごいことを言うね.さすが異世界人.」
デュークが聞いたら,またうろたえるのかもしれない.
しかし今,彼はソファーで幸せな眠りについている.
「白井さんも,記憶がなくなるのでしょうか?」
「おそらくね.」
ならば百合に事情を話して,カリヴァニア王国について神に頼んでもらっても,返答が分からない.
「いいよ,許してあげる.」なのか,「駄目だよ,許してあげない.」なのか.
はたまた,お供え物をしろとかお祈りをしろとか条件を出されても,対処できない.
みゆが悩んでいると,ルアンは微笑した.
「でも,やるだけの価値はあるよ.」
「はい,そうですよね.」
あてにするのは危険だが,やらないよりはやった方がいい.
もしも神の許しが得られるのならば,ばんばんざいだ.
「秘密裏に,ユリに会えるように手配するよ.」
お菓子をもっと食べるかい,と似たような口調だった.
大神殿の黒猫にとっては,お菓子の提供と同じくらいに,たやすいことなのかもしれない.
「ありがとうございます.」
みゆは素直に甘えることにした.
「お安いご用だよ.」
うれしそうに,ルアンは笑う.
みゆの隣で,ウィルが不満げに口をとがらせた.
ルアンを頼るつもりはなかったのに頼ることになって,すねているのかもしれない.
ちょっと子どもっぽいしぐさだった.

その後,ウィルは245冊の本すべてを盗み出した.
神官たちは,いまだに本の盗難に気づいていないらしい.
棚に並べられている本がなくなったならば,すぐに分かっただろうか,なんせ廊下に山積みされているだけなのだ.
山の一部が消えても,気づけない.
「図書室に本を戻すときに,分かると思うけどね.」
黒猫の少年は,楽しそうに笑った.
さすがに全部の本を隠れ家まで運べないので,十冊だけ選んで持って帰る.
本はどれも同じ装丁で,中身も,ちがいがないように見える.
しかけはなく,何かがはさまっているわけでもない.
暗号を解くかぎは,どこにもなかった.
いつもどおり人ごみに紛れて首都の街へ戻ると,街はいつもよりも騒がしかった.
人通りが多く,――都会らしく普段からにぎやかなのだが,皆そわそわ,わくわくしている.
少年二人の警戒の水位が,静かに上がった.
「眼鏡は外して,帽子はしっかりとかぶって.」
みゆは,ウィルの指示に従う.
ズボンをはいて男装していた方が,よかったのかもしれない.
スミが赤の他人のように,自然にみゆたちから離れていく.
「僕についてきて.」
黒猫は,スミとは別の方向に歩き出した.
少しだけ早足だ.
すれちがう街の人々は楽しそうな様子で,城の方へ向かっている.
お祭りでもあるのだろうか.
そんな雰囲気だった.
隠れ家に着くと,若草色の髪の少年が先に待っていた.
無事に帰ってきたみゆたちに,ほっとする.
「城の近くの広場で,何かやっているそうです.」
ウィルと短い会話を交わすと,スミは家から出て行った.
相変わらず,こういうときの二人の連携は見事だ.
ツーとカーで通じあうというのか,先ほどなどは目を合わせることすらしなかった.
「ウィルとスミ君って,すごいね.」
「何が?」
きょとんとした顔で,少年が問う.
「すごいことをやっている自覚がないのも,すごいと思う.」
みゆは一人でうなずいた.

スミは隠れ家を出て,広場を目指した.
大通りに入ってからは,人の流れに逆らわずに進む.
広場が近づくにつれて,どんどん人が増える.
ところどころに城の兵士たちがいて,広場へ案内していた.
人ごみにのみこまれながら,少年は広場に足を踏み入れる.
中央に大きな立て看板があり,一枚の紙が張ってあった.
看板の両脇には二人の兵士が立ち,周囲は張り紙を見ようとする人でごった返している.
「古代文字か何かじゃないか.」
「いや,あれは暗号だ.なぞ解きなら,多少の自信があるぞ.」
「解読できたら,きっとほうびがもらえるのよ!」
街の人々は,不思議な掲示物に興奮していた.
広場の端では騒ぎに便乗して,屋台がにぎやかな客寄せの声を上げている.
スミは人ごみを縫って,看板に近づいた.
張り紙に書かれている文字を見た瞬間,驚く.
――日本語だ.
みゆがカリヴァニア王国の城で,机に座って書いていたものだ.
いけにえの監視役だったスミは,彼女は何をしているのか疑問に思っていた.
後で彼女自身に聞いたところ,“受験勉強”という作業をしていたらしい.
なぜ,日本語が記されているのか?
答は単純だ,翔か百合が書いたのだろう.
みゆにしか読めない,彼女にあてた手紙を.
どうにかして彼女を連れてくるか,もしくはこの紙を盗むかしないといけない.
スミには,何が書かれているのか分からない.
じっと紙を凝視していると,いきなり後ろから肩をたたかれた.
「なっ!?」
ぎょっとして振り返る.
間近にあるのは,青い海の瞳.
銀の髪が,日の光に輝く.
害意がなかったために,さらに大勢の人の気配に紛れていたために,まったく気づかなかった.
「スミ.」
街娘の扮装をした少女は,にっこりとほほ笑む.
「ここにいれば,会えると思っていた.」
粗末な衣装に身を包んで,髪をやぼったくお下げにして.
けれどただの街娘ではないことは,少女の浮世離れした雰囲気から分かった.
「お前,なんでここに?」
「あなたを待っていたのよ.今,そう言ったでしょ.」
うれしいような困ったような,微妙な気持ちにスミはなった.
自分とセシリアの立場を考えるのならば,突き放すべきなのだが.
「また首都神殿から,一人で出てきたのか?」
なんとなく,耳をかく.
ほおが熱いような気がする.
「ううん,城からよ.私,昨日から城で暮らすことになったの.」
スミは昨日,バウスが少女を迎えに来たことを思い出した.
あのまま,王子は妹を城に連れ帰ったのだろう.
しかし翌日に即,家出しているとは,先が思いやられる.
「よく簡単に脱走できるよな.」
護衛の兵士とかが,いるのではないだろうか.
「悪いけれど,皆には眠ってもらったわ.」
少女は少しだけすまなさそうに,――だが反省はしてなさそうだ,笑った.
どうやって眠ってもらったのか,想像がつく.
ウィルと同じように,魔法の呪文を唱えたのだろう.
「でも夕食までには帰ると手紙を置いたから,大丈夫よ.」
「はぁ.」
なんと気軽な家出だ.
心配しているであろう王子たちに,スミは同情した.
「話があるの.人のいない場所に行きましょ.」
スミの手を引いて,少女は歩き出す.
その手を振りほどけない,かといって握り返せない.
おとなしく連行されていったとき,視界の端にとんでもない人影を発見した.
あわてて少女の手を引いて,銀色の頭をつかむ.
下に引っこめさせて,自分も背を低くした.
「な,何?」
赤い顔でびっくりしている少女に,小声でささやく.
「ライクシード王子がいる.」
これまた,あまりの人ごみで気づかなかったが,広場の隅の方に銀髪の青年がいた.
「多分,向こうもお忍びだ.」
「大変! 見つかったら怒られちゃう.」
「お前ら本当に,軽々しく外に出る兄妹だよな.」
スミはセシリアとともに,ライクシードのいない方向に,こそこそと逃げていった.
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