水底呼声 -suitei kosei-

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  6−11  

カリヴァニア王国の本は,図書室の前の廊下に山積みされている.
おとといの騒ぎでいったん外に出され,まだ本棚に戻されていないのだ.
その本を,黒猫の少年は十冊ずつ盗む.
誰にも見つかっていないのか,あるいは見つかっても黙らせているのか,みゆには分からない.
ルアンの部屋の床には,すでに八十冊の本が置かれていた.
見張りの騎士であるデュークは,見て見ぬふりだ.
みゆはソファーに座って,本の山を眺めた.
「これは,隠れ家に運ぶのも一苦労ね.」
ウィルがざっと数えたところ,本は全部で二百五十冊ほどあるらしい.
ルアンが陶器のコップを持って,ソファーにやって来た.
「イチジクのジュースだよ.前から疑問に思っていたのだけど,聞いていいかい?」
「ありがとうございます.何でしょうか?」
受け取ったコップは,よく冷えていた.
テーブルの方を見ると,スミがおいしそうに飲んでいる.
「ミユちゃんたちは,カリヴァニア王国から来たのだよね?」
ルアンはみゆの隣に,ゆったりと腰かけた.
「なのになぜ,この国で王国について調べているのかい?」
「あ,それは……,」
確かに,何も知らない者から見れば,不思議な行動だろう.
カリヴァニア王国を調べるのに,なぜか王国から出ていって,神聖公国で調べているのだ.
みゆは,これまでのいきさつをルアンに語った.
神の呪いにより,王国が水没の危機にさらされていること.
呪いを解除するために,国王がいけにえをささげていること.
みゆは,いけにえとして召喚されたこと.
ウィルに出会い,命を救われたこと.
王国を呪う神に会うために,神聖公国へ来たこと.
人に話すことで,みゆの頭の中は整理されていく.
このように今まであったことを教えるのは,初めてだ.
特に神聖公国に来てからは,隠しごとばかりをしていた.
語り終えると,答がくっきりと目の前に浮かび上がる.
私の目的は,カリヴァニア王国の救済.
そして――,
扉が開いて,十冊の本を抱えたウィルが戻ってくる.
みゆの視線に気づいて,黒の瞳を甘く細めた.
――ずっと一緒にいたいから.
「今日は,やけに仲がいいね.何かあったのかな?」
ルアンが困った風に笑うと,
「それを聞くのは相当,やぼですよ.」
テーブルから,スミの声が飛んでくる.
冷やかされていることに気づいて,みゆはほおを赤らめた.
恋人はご機嫌な様子で,本を床に積み上げる.
「ウィル.ちょっと休憩をして,イチジクのジュースを飲むかい?」
「うん.」
少年がうなずくと,ルアンは立ち上がって奥の部屋へ消えた.
みゆはコップを持って,テーブルの席に戻る.
「何を話していたの?」
少年が追いかけてきた.
「ルアンさんに,今までのことを説明していたの.」
ルアンがコップを持って戻ってきて,ウィルに手渡す.
そして,いすに腰を落ちつけると,懐かしそうに話し始めた.
「カイルは,聖女の教育係だった.」
ルアンとリアン,そして母のマールは,彼の教えを受けて育った.
カイルは神官であり,学者でもあった.
全神殿の中でもっとも知識に長けた男と,ほまれが高かった.
また武芸にも通じ,彼は聖女の護衛役も兼ねていた.
「すごい人なのですね.」
「そうだね,彼は完璧だった.」
ルアンは,力のない笑みを落とす.
それは悲しそうで残念そうで,少しの皮肉さも含んでいる.
「信仰心も厚く,――今,思えば,妄信していたと言っていい.」
ウィルはカイルの話を,気にした様子はなく聞き流している.
スミはお菓子を食べる手を,とっくに止めていた.
「彼は,この国では死んだことになっている.自筆の遺書もあるよ.」
僕とリアンの教育を失敗した罪のために,という内容のものがね,と苦笑する.
「けれど実際はカリヴァニア王国で生きていて,ウィルを,――どんな形にせよ,育ててくれた.」
カイルがウィルにどのような思いを持っているのか,みゆには想像できない.
単純なものでは,けっしてないだろう.
「僕はね,ミユちゃん.君が神聖公国へ来たときから,君の気配を感じていた.」
この世界のものではない,異質な気配.
聖女であるルアンには,みゆの気配は目立ちすぎたと言う.
「僕が息子に再会できたのは,君のおかげだ.」
本当に感謝していると,ほほ笑む.
「君が望むのなら,何でもかなえてあげよう.君は神に会いたいのだね?」
問いかけに,みゆはこくりとうなずいた.
「君ならば,聖女として神の塔へ入れば,会えるよ.」
「え?」
みゆは驚いた.
しかし,すぐに塔へ入ることの意味を思い出す.
「でも,それは……,」
「そう,神の娘を産むために.」
ルアンは,瞳を伏せた.
「神が天から降りて,この地に生きる僕たちに干渉するのは,その瞬間だけだ.」
普段は何もしてこない.
結界が切れたときでさえ,神は動かなかった.
「神の塔だけが,僕たち聖女と神を結んでいる.その塔が僕は,」
ルアンはいきなり,他者をばかにするような笑みをひらめかせた.
「なんて顔をしているのだい?」
視線を追いかけて,みゆは振り返る.
扉のそば,真っ青な顔色のデュークと目が合った.
「あんたたちは,何の話をしているんだ.」
彼の声は震えている.
「俺には理解できない,信じられない.あんたたちは何をやろうとしているんだ!?」
「お兄さんには関係ないよ.」
黒の少年は何かを,しゅっと投げつける.
赤いリンゴだ.
それはデュークの左胸に命中して,彼は気を失って倒れた.
「眠らせただけだよ.」
少年は,にっこりと笑う.
そして,
「神の塔へ入るの,ミユちゃん?」
まじめな顔で問いかけた.
「入らない.」
みゆは答える.
子どもはほしくない,ウィル以外の男性の子どもは.
「僕も入ってほしくないな.」
ルアンが,するりと口をはさむ.
「出産は女性にとって,命がけの行為だ.君には,そんなことはしてほしくない.」
みゆは彼の瞳に,片翼を失った悲しみを見た.
「それに,塔へ入るべき聖女はほかにいる.」
ひとつまばたきをすると,感傷的な光が奥に隠れる.
「名前はユリ,……だったかな.彼女は今日か明日にでも,大神殿に来るらしい.」
百合は,みゆの予備校でのクラスメイトだ.
スミの話によると,彼女はセシリアに頼まれて,聖女になることを了承した.
みゆには信じられないことだ.
塔の中で一人で妊娠するなど,尋常なこととは思えない.
なぜ,百合は引き受けたのか.
「それは本当に,白井さんの意思なのでしょうか? ラート・セシリアに無理強いされたのでは,」
「セシリアはそんな娘じゃないですよ.」
硬い表情で,スミが否定する.
「簡単に聖女になると言われて,とまどっていましたから.何度も,それでいいのかと,たずねていましたし.」
「そうなんだ.」
過去に,みゆはセシリアに,聖女になるように要請された.
だが少女は,強要したわけでも脅迫したわけでもない.
みゆを首都神殿に閉じこめて,問答無用で聖女にしようとしたのはサイザーだ.
「なんにせよ,神の塔へ入るのはユリだ.」
神に会い,子どもを授かる.
「だから彼女に頼んではどうだい? カリヴァニア王国のことを.」
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