水底呼声 -suitei kosei-

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  6−10  

大量のビスケットにパイ,食べやすい大きさに切られた果物にハチミツの入ったびん.
ルアンがどこからか,――おそらく大神殿の調理場だと思うが,持ってきたものたちだ.
それらがテーブルいっぱいに並べられて,お茶がいれられていく.
けが人なのに,そんなに動き回っていいのだろうか.
「背中の傷は大丈夫なのですか?」
みゆがたずねると,ルアンは平気だよとほほ笑んだ.
「昨日,医者にみてもらったからね.」
そして,お茶のカップを差し出す.
受け取って中をのぞきこむと,小さな花が三つ浮かんでいた.
「わぁ,かわいいですね.」
「このお茶,リアンが好きだったんだ.」
懐かしそうに笑う.
同じようにお茶をもらったウィルとスミは,
「変なものが浮いている.」
「一緒に飲んでいいのですか,これ?」
こそこそと言い合っていた.
大神殿にあるカリヴァニア王国の本をすべて盗むために,みゆたちはルアンの部屋へやって来た.
もちろん正面玄関から入ったのではない,地下の秘密通路を利用したのだ.
裏口からやって来たみゆたちを,ルアンは大喜びで迎え入れる.
「うれしいよ,さっそく僕に会いに来てくれるなんて.」
「本を取りに来ただけだよ,お父さん.」
少年がにっこりとほほ笑むと,彼はしょんぼりと肩を落とす.
しかしめげずに,お茶とお菓子を用意するのであった.
「あの,いいのですか?」
カップを両手で持ちながら,みゆは視線をちらりと扉の方へやる.
廊下へ続く扉のそばには,金属製のよろいを着た兵士が一人立っていた.
テーブルについて,今からまさにお茶会を始めようとするみゆたちを,退屈そうに眺めている.
「あの人は……?」
「あぁ,彼は僕の見張りだよ.」
ルアンは,おおように答えた.
「おととい,サイザー様とけんかしちゃったから,警戒されているんだ.」
あれは,けんかというレベルなのだろうか.
部屋の壁はところどころが焦げて,花びんにいけられた花やタペストリーで隠されていた.
だが家具や調度品は汚れておらず,――いや,きれいすぎるので入れ替えたのかもしれない.
兵士が守っている扉も,新しいもののようだった.
「私たちを捕まえないのですか?」
ためらいつつも,みゆは話しかけてみた.
兵士は苦笑する.
「ちょっとばかり剣が扱えるだけの俺に,君たちをどうこうできると思うかい?」
ルアンはくすくすと笑った.
「賢明だね.無駄な努力はしないことだ.」
兵士は疲れたように,ため息を吐く.
「好きにしてくれ.どうせ俺は左遷された身だ.」
「左遷されたのですか?」
それは気の毒だ.
「誰かさんたちのせいでね.」
彼は意味深な顔をして,みゆとウィルを見る.
「俺のこと,覚えていないの?」
「え?」
どこかで会っただろうか.
頭の中をひっくり返していると,
「わいろなんか受け取るからだよ.」
今度はウィルが,くすくすと笑った.
「彼は首都神殿の警備隊長デューク正騎士,ミユちゃんを監禁していた人だよ.」
「あ,……えっと,おひさしぶりです.」
言われてみれば,見覚えがあるような気がする.
「ひさしぶりだね.君が元気で安心したよ.」
彼はしみじみと,みゆの姿を眺めた.
「今だから話すけれど,あれは嫌な仕事だったよ.しかも君はどんどん不健康になっていくし.」
上にかけあっても,とにかく閉じこめておけと言うだけで何もしなかったと,ぐちをこぼす.
「君が逃げて,ある意味ほっとしたな.」
「はぁ.」
舞台裏のぶっちゃけ話に,みゆはコメントしづらい.
「別に君を自由にさせるために,わいろをもらったわけじゃないけどね.」
「お金がほしかっただけだよね.」
ウィルがにこにこと笑うと,
「おっしゃるとおりですよ,ラート・ウィル.」
彼はおどけた風で,肩をすくめた.
「じゃ,そろそろ盗みに行こうかな.」
オレンジを口に入れて,黒の少年は立ち上がる.
「おともしましょうか?」
口をもぐもぐさせながら,スミが問うた.
少年の前に置かれた皿には,ビスケットがほとんど残っていない.
「僕一人でやる.スミはミユちゃんとここで待っていて.」
了解ですと返事をして,スミは少し離れた場所にある別の皿を取った.
「いってらっしゃい,気をつけてね.」
緊張感のない光景だ.
ウィルは,にっこりとほほ笑む.
「いってきます.」
扉の守護をしているはずのデュークはあっさりと道を譲り,黒猫は廊下へ出て行った.
一方のスミは,かぼちゃのパイを一人で食べている.
「おいしいかい?」
お菓子の提供者であるルアンは,ご機嫌な様子だ.
「はい.ありがとうございます.」
笑顔を見せてから,スミはナイフとフォークをいそがしく動かす.
少年が彼に友好的な態度を取るのは,初めてではないだろうか.
ルアンは,スミの“えづけ”に成功したようだ.
二人が仲よくなるのは喜ばしいことだが,
「そんなにお菓子ばかり食べて,昼食が入らなくなっても知らないわよ.」
太るわよと注意すると,少年は逆に聞き返してくる.
「ミユさんこそ,もっと食べなくていいのですか? 甘いものが食べられるなんて,めったにない機会ですよ.」
びっくりするぐらいに,少年は大まじめだ.
「お菓子って,めったに食べられないものなの?」
カリヴァニア王国の城でも,神聖公国の城や首都神殿でも,しょっちゅう出されたが.
「そうですよ,ミユさんはぜいたくですね.」
少年はちょっぴりあきれ顔だ,ルアンも苦笑している.
「彼女はこの国の賓客だったからね.」
カリヴァニア王国でも,そうだった.
みゆは王城で,メイドのツィムにお菓子を分け与えたときのことを思い出す.
「こんなに食べきれないわ.ツィム,一緒に食べましょう.」
すると少女は,大仰に遠慮したのである.
「私のようなメイドが,口に入れていいものではありません.」
それでもと強く勧めると,少女は瞳をうるませて感激した.
「ありがとうございます.このご恩は一生忘れません.」
そんな大げさなと感じたが,ツィムの態度は当然だったのだ.
この世界ではお菓子は,気軽にコンビニで買えるものではなく,高級品なのだろう.
「私って,世間知らずだわ.」
ショックだ.
いや,異世界から来たのだから,世間知らずで当たり前なのだが.
「仕方ありませんよ.」
スミが,パイを食べる手と口は休めずに,なぐさめる.
「僕の方が世間知らずだよ.」
ルアンは,妙に得意げだ.
「なんせ大神殿に隠されている黒猫だからね.この世界で一番,世の中のことを知らないよ.」
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