水底呼声 -suitei kosei-

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  6−9  

昨日,仕上げた親書を,ライクシードは翔に手渡した.
彼はつまらなさそうな顔で,受け取る.
「どんなことが書いてあるんだ?」
「気にしてどうする?」
冷ややかな声で,バウスが応じた.
「君の仕事は,親書を届けること.それだけだろう?」
翔は,ふんと鼻先で笑った.
「内容を教えろ.でなければ届けない.」
「好きにすればいい.」
翔のおどしに,兄はまったく動じない.
「君が届けなくても,わが国にはなんら不利益はない.」
すると翔は,封筒をびりびりとやぶいた.
「ショウ!」
やめろ,とライクシードは手を出しかけたが,兄が止める.
翔は封筒の中身を取り出して,書面に目を通した.
彼もみゆと同じく,この世界の文字が読めるのだ.
「何だよ,これは.」
いらだたしげに,顔がゆがむ.
「お前ら,神に祝福された国の人間なんだろ.何もしないのか?」
「あぁ,何もしない.」
胸をそらして,兄は答えた.
「わが国には関係のない話だからな.」
本当は何もしないのではなく,何もできないのだが.
「カリヴァニア王国はせっぱつまっている.こんな返事をもらっても困る.」
翔は親書を突き返そうとしたが,バウスは受け取らない.
「俺はまた貢物を持って,この国に来るはめになるじゃないか.」
「歓迎してやるさ.」
兄は意地悪くほほ笑む.
「歓迎よりも,呪いをはらってくれ.俺は早く日本へ帰りたいんだ.」
「他人任せだな.」
肩をすくめて,くすりと笑みを刻む.
「文句やお願いばかりで,情けない男だ.」
「なっ!?」
翔は屈辱で,ほおを赤くした.
うつむいて,唇をきつく引き結ぶ.
腕が,ぶるりと震えた.
「俺こそ,カリヴァニア王国とは関係ないんだ.」
うめくように言う.
「運が悪かったな.」
「ふざけるな!」
かちんと切れて,翔は兄の胸倉をつかんだ.
「俺の人生が台なしじゃねぇか!? 受験の失敗なら,一年で取り戻せるはずだったのに!」
二人を引きはがすためにライクシードは動いたが,兄が目線で制する.
「センター試験までに帰れなかったら,お前ら全員恨むからな.私立なんかどうでもいい,東大か京大しか許されないんだよ,俺の家は!」
「何を叫んでいるのか,さっぱり分からん.」
兄はにやにやと笑いながら,翔の手を服から取り外した.
親書は床に落ちて,踏まれてしまっている.
「だが君には,道が残されている.」
「は?」
翔は,ふいをつかれた顔をした.
「呪われた王国を救う方法を,この国で探せばいい.」
「なぜ俺が……,」
眼鏡の奥の瞳がうろうろと動き,彼はとまどっている.
「援助は惜しまない.ミユを探して協力すればいい.彼女はすでに,手がかりをつかんでいるのかもしれない.」
ライクシードにも,兄の真意がはかりかねた.
「それともミユにはできることが,君にはできないのか?」
兄は,わざと翔をあざけっている.
あおって,自分にとって都合のいいように彼を動かすために.
「できるさ.ただそんなことをして,俺が得するのかどうか考えているだけだ.」
自尊心を刺激された翔が,早口で言い返した.
「ミユを探せ.二人で仲よくがんばった方が,王国のためにも,君の帰郷のためにもいいぞ.」
兄は,ライクシードに目配せをする.
「この城には何日滞在しても構わない.」
考えこむ翔を置いて,部屋から出る.
ライクシードはついていった.

「兄さん,どういうつもりですか?」
二つ隣の部屋に移動してから,問いただす.
「カリヴァニア王国には関わらないと決めたのでは?」
兄の口から,みゆと協力するというせりふが出るとは.
ライクシードには,うれしいことかもしれないが.
「あぁ,関わらないさ.」
長テーブルのいすを引いて,兄は行儀悪く横から腰かけた.
「いずれショウは追い返す.その前にミユを,――できれば彼女の仲間たちも捕まえるだけだ.」
なんとなく座る気にはならず,ライクシードは立っていた.
「捜索は,あきらめたのではなかったのですか.」
バウスは,みゆたちの捜索を三日で打ち切った.
成果が上がらなかったし,街の住民からの苦情が多かったからだ.
――貧民街に逃げこんだのだろう.
兄は苦い顔をして言ったものだ.
「あんな犯罪者を放っておくことはできない.」
声は静かだが,強かった.
「彼女は結界の一部を切った.」
「それは偶然,」
「カリヴァニア王国との間にある結界だけが消えた.偶然と言うにはできすぎだな.」
深い青の瞳が,射ぬくように鋭くなる.
「ミユは結界を壊すための工作員だ.これから先,いつどこに穴を開けるのか分からない.」
――私は,自分の行動には自分で責任を負います.
首都神殿で,ライクシードが兵士たちと剣を交えようとしたとき,彼女はそう話した.
つまりみゆは自分の意志で,神聖公国を守る国境を開放させたのだ.
「結界がなくなったとき,どんな人物が何人入ってきたのか,今でも判明しない.」
そのことを兄は,翔と百合にたずねた.
しかし彼らは,結界がつぶされたことすら知らなかった.
カリヴァニア王国にとって都合のいい事実しか,教わっていないのだろう.
「あの洞くつから,次は軍隊でも送りこまれたら,どうなる? 禁足の森は首都リナーゼのすぐそば,国の中心だ.」
今では森に,大勢の兵士たちを配置している.
また異常が発生したときにただちに城に知らせることができるように,のろし台も作った.
だが国中が混乱するのは必至だ.
「さらに,すべての結界が消されたら,この国は破滅だ.聖女の喪失を待つ必要などない.」
兄は何年も前から,結界がなくなった場合の備えをしてきた.
多額の国家予算を割いて,四方の国境に砦を築き,軍隊を常駐させている.
けれどまだ備えは万全ではないし,たとえ万全であっても,この国の軍隊がどこまで持ちこたえられるか.
他国との戦争はもちろん,内乱でさえも,ここ数十年は経験していないのだ.
「そんな危険な能力を持つやつを,自由にさせることはできない.」
国の安全のために,殺してしまいたい.
兄の心の声が聞こえるような気がした.
その考えは,一国の統治者としては正しいのだが,
「本当にミユの役割は,結界の破壊だと思うのですか? もしもそうならば,今ごろとっくに何回もやっているでしょう.」
結界が修復されてから十日以上たったが,再び攻撃を受ける気配はない.
そしてカリヴァニア王国の国王は,結界がくぐれる異世界人の使者だけを送ってきた.
みゆにも国王にも,結界をもう一度切る意志があるとは思えない.
「そうか,そうだよな.」
珍しいことに,兄はライクシードの言に納得した.
そして情けなさそうに,表情を崩す.
「彼女は何を考えているのだろうなぁ.それとも結界をやぶれるのは,一回だけなのか?」
答えられない.
みゆに関しては,分からないことばかりだった.
「いずれにせよ,彼女を引きずり出さないといけない.聞きたいことがたくさんある.」
翔はえさだ,と低い声で言う.
「あいつがミユを探せば,彼女は何らかの行動を起こすだろう.」
翔は,カリヴァニア王国の国王が送ってきた使者なのだから.
その彼が会いたいと求めるのならば,みゆたちは無視できないだろう.
それに彼女たちの方でも,連絡を取りたいはずだ.
ましてや翔は,みゆの同郷者なのだから.
「翔の監視は,私が引き受けます.」
ライクシードが見張っていても,あのウィルは飛びこんでくるだろうか.
「あぁ,頼む.」
うなずいた後で,兄はかすかにうろたえた.
「監視は,別のやつにやらせる.」
「なぜですか?」
けげんに思って,問う.
この手の仕事は,いつも自分に任されるのに.
「お前,」
兄は少しだけ,ちゅうちょしてから聞いた.
「カズリ殿とは会っているのか?」
彼女とは会っていなかった.
婚約の解消を切り出してからは,彼女の方がライクシードを避けていた.
正直に答えることができなくて,ライクシードは視線を落とす.
兄は追及してこない.
「ショウの監視は任せる.けれどその前に,お前はお前の婚約者に会いに行け.」
ライクシードの肩をたたいて,兄は部屋から立ち去った.
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