水底呼声 -suitei kosei-

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  6−7  

銀の髪を乱して,バウスは少女のもとへ走り寄ってきた.
ともの者は誰もいない.
ライクシードでなくバウスが,単身城下に出ることは珍しい.
しかも今は,とてもいそがしいのではないだろうか.
「兄さま,どうしたの?」
いったい何があったのか.
「どうしたの,じゃない! どれだけ心配したと思うんだ,このばか娘が!」
どなり返されて,少女はびくんと震えた.
「まさか,こんな城の近くにいるなんて,」
言葉途中に体を折り曲げて,ぜいぜいとあえぐ.
「ライクは禁足の森へ行ったし,兵士たちには街の外縁部を中心に探すように命令したじゃないか.」
「ごめんなさい,迷惑をかけて.」
また面倒をかけたと,少女は落ちこんだ.
バウスは,ぶぜんとした表情で顔を上げる.
「迷惑じゃない.思いちがいをするな.」
ぽんと,少女の頭に大きな手をのせた.
優しさが,じんわりと伝わってくる.
再び泣いてしまいそうになって,少女はあわてて目をこすった.
「心配させて,ごめんなさい.探してくれて,ありがとう.」
「まったくだ.」
バウスは少女を,ぎゅっと抱きしめた.
汗のにおいがする.
兄が必死になって走ってくれた証拠だ.
どうして,あんな変な遠慮ばかりをしたのだろう.
昨日から自分がいかに空回りをしていたのか,今ではよく分かった.
「ライクとサウザーランドにも,後で礼を言えよ.」
「うん.」
サウザーランドは,ライクシードの愛馬である.
おっとりとした気性の馬だが,主人を乗せるときは驚くほどの速さで走る.
バウスは少女の体を離して,ほほ笑んだ.
そして,ぷっと吹き出す.
「その妙な男装,悪目立ちしているぞ.」
まだ街娘のふりをした方がマシだなと,少女の髪をぐちゃぐちゃにして,頭をなでた.
「さぁ,城へ帰ろう.」
手を引いて,歩き出す.
「城へ?」
「あぁ,お前は城へ帰るんだ.」
兄の横顔を,少女は見上げた.
「これからはセシリアは自由だ.恋をするのも,友人を作るのも,娘らしく着飾るのも,――今まで我慢していた分,どんなぜいたくもさせてやる.」
ふっと,自分を呼ぶスミの声が聞こえたような気がした.
「あぁ,でも恋愛は待ってほしいな.お前はまだ子どもなのだから.」
振り返っても,誰もいない.
もう一度,会いたい.
何ができるか分からないが,少年の助けになりたい.
スミがセシリアの心を救ってくれたように,少年の心を救いたい.
少年は,少女と同じ悲しみを抱えていた.
親に顧みられないという,心の空洞を.

「おいしい.」
なべの中のイチゴジャムを味見して,みゆは感嘆の声を上げた.
木べらでジャムを混ぜながら,黒の少年がうれしそうに笑う.
「簡単にできたね.」
ウィルは,妙に料理上手だ.
テーブルの上には,すでに豪華な食事が並んでいる.
ほとんどすべて,少年が作ったものだ.
みゆが手伝ったのは,ニンジンの皮むきとパセリのみじん切りだけだった.
「そろそろ,スミを迎えに行く?」
ジャムを保存用のびんに移して,少年がたずねる.
「うん.」
外は夕暮れだ.
母親が子どもに,こんな遅くまで何をしていたのと,しかっていい時間だ.
「じゃ,行こう.」
ウィルは玄関には向かわずに,階段を上っていく.
「窓から出るの?」
みゆはついていった.
ウィルやスミお得意のアクロバティックな出発方法が,運動オンチの自分にもできるだろうか?
「ちがうよ.」
少年は,スミが寝室として使っている部屋の前で,足を止めた.
「スミ,」
部屋の中へ呼びかける.
「出ておいで.それとも僕に,引きずり出されたい?」
意地悪なことを言って,楽しそうに笑う.
どうやらスミはいつの間にか帰宅して,部屋の中に閉じこもっているようだ.
しばらく待つと,
「先輩ぃ,」
という情けない声とともに,若草色の髪の少年が顔を出した.
「勘弁してくださいよ.俺にだって,たまには一人になりたいときがあるのですから.」
まゆを下げて,困った顔をしている.
「ミユちゃんが心配しているよ.」
ウィルが言うと,スミはすぐに謝った.
「すみません,ミユさん.」
「ううん,いいの.」
みゆは,ふるふると首を振る.
少年の顔からは,ウィルを置いて二人で逃げようと言ったときの不安定さが感じられなかった.
何があったのか分からないが,もとどおりのスミになっている.
「おなかがすいているでしょう.一緒にご飯を食べよう.」
「了解です.」
少しはれた赤い目で笑って,少年は先に一階へ降りて行った.
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