水底呼声 -suitei kosei-

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  6−6  

噴水広場から少し離れた路地裏に,スミとセシリアはいた.
空腹だった二人は屋台でパンを買って,人気のない場所に移動したのだ.
食事をしながら少女は,ぽつりとつぶやく.
「私,もう聖女のふりをしなくていいのね.」
少年は,パンをかじりながら聞いた.
「今,すごくほっとしている.けれど心に,ぽっかりと穴があいたよう.」
言葉は宙に浮いて,ふわりと消える.
はかなく,心細さを感じさせる声だった.
スミは幾分かの同情心を覚えて,少女の横顔を盗み見る.
するとセシリアは,普通の顔をしてパンを食べていた.
両手でパンを持って,どちらかと言えば,がつがつと.
「腹が減っていたのか…….」
少女の立ち直りの早さに,あぜんとする.
別になぐさめようとしたわけではないが,これはこれで肩透かしだ.
「え? 何か言った?」
目をぱちくりさせる少女に,スミは思わず笑ってしまう.
「お前,どれだけでかい口を開けて,食うんだよ.」
白いほおが,見る見るうちに赤くなった.
「せっかくきれいな顔をしているのだから,もっとおしとやかにしろよ.」
みゆならばスミよりも少ない量を,スミよりもゆっくりと食べるのに.
「仕方ないじゃない!」
少女は怒って,反論を始めた.
「おなかがすいていたし,パンはおいしいし,それに泣いたら,」
ぴたっと口が止まる.
ちょっとの間考えてから,少女は続きをしゃべった.
「いっぱい落ちこんでいたけれど,泣いたらすっきりしたみたい.」
「よかったじゃん.」
「うん.」
多少不満げな顔でうなずいて,少女はパンを口に運んだ.
「私,単純なのかしら?」
スミと同じパンを,同じ速さで食べる.
「いつまでも,もやもやしているよりはいいんじゃない?」
よって最後の一口は,ほぼ同時だ.
妙にくすぐったい気分で,少年はセシリアがハンカチで口もとをふくのを見ていた.
「私,いつもは禁足の森に家出するの.」
「うん.」
適当に相づちを打って,スミは服に落ちたパンくずを払う.
「でも私が森へ行ったせいで,ライク兄さまに迷惑がかかったから,やめたの.」
「ふーん.」
何があったのか知らないが,再び相づちを打った.
「それで街に出たの.一人で街を歩くのは初めてよ.」
少女は一呼吸を置いてから,
「街に出てよかった,あなたに会えたから.」
雨上がりの空のように,きらきらと輝く笑顔でほほ笑んだ.
「ありがとう.今,そばにいてくれて,とてもうれしい.」
スミはあわてて,目をそらす.
急に自分の顔が,熱を持った.
「スミはいつも,首都神殿の調理場で働いているのよね?」
「うん,まぁ.」
どくどくどくと,どうきが激しい.
どうしたんだ,俺は?
少女に背中を向けて,少年は自問した.
「その,……仕事の邪魔にならないようにするから,これからは調理場に会いに行ってもいい?」
「いや,困るよ.」
調理場で働いているというのは,うそだし.
「そうよね,迷惑よね.ごめん,ずうずうしかった.」
静かに深呼吸をして,スミは何とか心を落ちつけた.
振り返ると,少女はうつむいている.
しかしすぐに顔を上げて,にこっと笑みを作った.
「今日は付き合ってくれて,ありがとう.私,帰るね.」
「へ?」
あっけに取られているうちに,セシリアは路地裏から出て行こうとする.
ここで別れたら,二度と会えない.
少年はあせって,少女の腕をつかんだ.
行くなとか,そばにいろよとか,さまざまな言葉が渦巻く.
そして実際に,口から飛び出したせりふは,
「俺は,カリヴァニア王国から来たんだ.」
最悪だ.
少女の青の瞳が見開かれる.
「うそ……,」
少女がつぶやいた瞬間,スミの心のタガが外れた.
「うそじゃない! 俺は結界が壊れたときに,この国に入ってきて,」
坂道を転げ落ちるように,無我夢中で言い募る.
「ずっとけがをして動けなかったけれど,――昨日だって大神殿にいたし,今日だって城に,セシリアのそばにいた!」
「え? ええ!?」
少女は驚いて,身を引いた.
「ショウやユリと話しているのを見ていたし,セシリアがつらそうな顔をしているのに,俺はちゃんと気づいていた.」
なぜ,そんなことを説明しているのか,自分でも理解できない.
しかし分かってほしいと思った.
先ほどまで,二人の気持ちは寄りそっていたのだから.
少女は目もとを赤く染めて,スミを一心に見つめていた.
そして,不思議なことを言い始める.
「神の影が見える.」
まるでウィルのようだ.
スミには見えないものを見て.
「ミユたちからは感じられなかった.あなたは私と同じ,この世界の法に縛られている.」
深い青の瞳に吸いこまれそうだ.
「神の愛を受けている.」
びしゃんと,水をかけられた気分になった.
「俺は,」
分かってくれると思ったのに.
「俺たちカリヴァニア王国の民は,神に呪われている! 愛なんかもらっていない!」
「え? ……でも,」
怒り出したスミに,少女はとまどっていた.
「神が人を呪うなんて,考えられないわ.」
「じゃぁ,なんでカリヴァニア王国は海に沈むんだよ!?」
「私には……,」
薄紅色の唇が,ためらいがちに動く.
「カリヴァニア王国の国王陛下は,何か勘違いをなさっているとしか思えない.」
「勘違い!?」
理性が切れた.
「勘違いで,海に沈んでたまるか!」
青の瞳が,少年を見つめる.
「実際に,海は近づいているんだ.海辺の村は,すでに十以上が海水に浸かっている.」
少女に話しかけるのではなかった.
「王都のやつらは知らないけれど,“世界の果て”ではもっぱらのうわささ.海が大地を侵そうとしているって!」
こんな故郷を思い出させるような,海の色を持つ少女に.
「村が沈んだ村人たちは流民となって,俺の母親は俺を置いて,」
すると少女は,少年を抱きしめた.
「スミ,泣かないで.」
息が止まる.
「あなたの気持ちは分かる,私も同じだから.」
柔らかい腕が,背中に回っている.
帽子が脱げて,銀の髪が流れ落ちる.
甘い香りに,これ以上の誘惑なんてない.
抱きしめ返そうとしたとき,少年は気づいた.
誰かが近づいてくる.
行きつ戻りつしながら,少女を捜して,ここへやって来る.
スミは,少女の体を引きはがした.
そしてびっくり顔の少女を置いて,路地裏の奥へ逃げ出す.
「待って!」
伸ばされた手を振り切って走った.

「スミ!」
セシリアは追いかけようとしたが,少年の足は速く,あっという間に姿を見失った.
少女は一人残されて,ぼう然とするばかり.
何もかもが唐突すぎた.
出会いも,別れも.
しばらくすると,
「セシリア!」
噴水のある広場の方から,少女の名を呼ぶ兄の声が聞こえてきた.
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