水底呼声 -suitei kosei-

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  6−5  

バルコニーから,城の美しい中庭が見おろせた.
中央にはあずまやがあり,その周囲にはバラの生垣がある.
ピンク色のかわいらしい花が咲いているが,翔の目を楽しませることはない.
手すりに両手をついて,さりげなく中庭全体を眺める.
一人,二人,三人,――翔が確認できただけで,三人の兵士たちが隠れている.
彼らは,地球からやって来た翔と百合を見張っているのだ.
不愉快な光景に翔はまゆをひそめてから,振り返った.
「百合,あの話は危なくないか?」
彼女はだらしなく,建物の壁にもたれている.
「あの話って?」
「一人で妊娠するなんて,おかしいだろ.」
ひざを立てて座っているので,スカートの中が見えてしまう.
正直,目のやり場に困った.
「何がおかしいの?」
「……塔の中で男に襲われても,知らんぞ.」
はっきりと言いたくなかったが,翔は言った.
「ええー!? それはないでしょー!」
百合は驚いて,声を高くする.
「もしもそうだったら逃げるよ.あー,でも別にいいかも.」
「はぁ!?」
翔は本気で,耳を疑った.
「ライクシード王子級にイケメンだったら,何をされてもいい.」
うっとりと目を細める.
翔はあきれた.
「日本に帰らなくていいのか?」
「だって受験したくないし.どうせまた落ちるよ.私,英才教育の失敗作なんだから.」
彼女はセミロングの茶髪を引っぱって,毛先を見る.
「この世界で聖女として,ちやほやされる方がいい.」
指を離すと,髪が細い肩に落ちた.
翔はため息を吐いて,腕時計の日付と時刻を見る.
2004.09.12. PM 02:16
この世界に来てから,すでに一週間がたっていた.
みゆの失踪を翔が知ったのは,彼女が予備校に来なくなってから二日後のことだった.
――親御さんは大変,心配していらっしゃる.
クラス担任の上野(うえの)が教壇に立ち,面倒そうな顔で翔たちクラスメイトに告げた.
そして,彼女の居場所に心当たりのある者は申し出るように命じた.
しかし心当たりなど,あるわけがない.
彼女はクラスの中で孤立していた.
けれど,うわさ話は盛り上がった.
「ただの家出だろ.」
「拉致されたんだよ,拉致!」
「自殺じゃないの? いつも暗い顔をしていたから.」
さらに,刑事が予備校に来た,テレビ局も来るかもしれないと言いふらす者まで現れた.
ばかばかしい話に興奮するクラスメイトたちから,翔は距離を置いていた.
なのに,巻きこまれた.
朝,予備校に向かう途中,信号待ちの交差点で百合とともに召喚された.
今ごろ,予備校はどうなっているのか.
同じクラスから,学生が三人もいなくなったのだ.
それこそ皆の期待どおりに,警察もマスコミも来るだろう.
カリヴァニア王国の国王は,ことが済んだら地球へ帰すと約束してくれた.
謝礼として,金貨五百枚を差し出すとまで言ってきた.
だが金貨をもらっても,何の助けにもならない.
この失踪を,まわりにどう説明すればいい.
しかも翔はみゆを追いかけるようなタイミングで,百合とともに消えた.
クラスメイトたちから,どんな憶測をされているのか考えたくない.
「くそっ!」
バルコニーの柵を,片足でどんとける.
受験に失敗して,浪人しているだけで恥なのに.
「やってられるか!」
足が痛くなるほどに,けりつける.
自分を笑う親や親せき,クラスメイトたちの声を消すように.
「どうしたのよ,翔ぉ.」
百合が気の抜けるような声を出す.
聖女という居場所を見つけた彼女が,ふいにねたましくなった.

手早く昼食を済ませた後,ライクシードはカリヴァニア王国国王へ返す親書を書いていた.
本来ならば父である国王が作成するものだが,兄に指示されてライクシードが作っている.
――貴国のこと,大いに同情する.
しかしわが国からの援助はできかねる.
贈りものは返却するので,みずからの力で事態を打開してほしい.
兄の結論は出ている.
呪われた王国には関わらない,と.
だが,ライクシードの答は出ていない.
自分はこれから,どうすればいいのだろう.
みゆを助けるためには…….
悩んでいると,いきなり隣室からどたん! と大きな音が響いた.
続いて,兄のどなる声.
何があったのだと隣室の扉を開くと,バウスが恐ろしい顔をして振り向いた.
彼のそばには神殿の兵士たちが数人いて,一人は鼻血を流して,しりもちをついている.
「兄さん,何をやったのですか?」
「ライク,セシリアを探せ.」
声がかぶさる.
「昼前から行方不明だ.」
「え?」
血の気が,ざっと失せる.
昼前? それはいったいどれほど前なのだ.
「今まで何をして!?」
神殿の兵士たちをにらみつける.
「まさかセシリアが首都神殿からいなくなったのに,気づかなかったのか!?」
連絡が遅すぎる.
いつもなら,すぐに少女を連れ戻してくれと頼みに来るのに.
「申し訳ございません!」
震え上がって,兵士たちは謝罪した.
が,彼らを責めるのは後だ.
「サウザーランドで,禁足の森へ行きます.」
急いで妹を探さなくては,手遅れになってしまう.
「分かった.俺は城の兵士たちに,リナーゼの街を探させる.」
兄の返事を聞いて,ライクシードは駆け足で部屋から出て行った.

弟の背中を見送ってから,バウスは神殿の兵士たちに冷ややかな目を向けた.
「神殿では,もうセシリアに用はない,ということか?」
「いえ.そのようなわけでは,……その,新しい聖女様を迎える準備でいそがしく,」
ごにょごにょと言い訳をする.
だがこれでは,肯定しているようなものだ.
「ならばセシリアは城へ返してもらう.あの子は王家の姫だからな.」
そしてバウスとライクシードにとっては,大切な妹だ.
その大切な妹を,信用のならない神殿に預けるのは許しがたいことだった.
今までならば人心の安定のためには仕方がないと,ある程度は我慢していた.
情けないことに,若い聖女がいないだけで,この国は不安に揺れる.
だがもはや,新しい聖女が見つかった.
セシリアが,見つけたのだ.
人払いをしている国王の部屋に,メイドのマリエが無理やりに入ってきて,バウスに耳打ちをした.
バウスはあわてて,ライクシードとともにセシリアのもとへ向かった.
少女は使者たちとの面会を済ませて,首都神殿へ帰るところだった.
――ユリが聖女になることを承諾してくれたわ.
バウスたちは聖女になると決めた百合に驚き,次は彼女に会いに走った.
そして百合の意志を確認した後は雑事に追われて,結果としてセシリアを放っておいたのだ.
本当ならばバウスは,一人で勝手なことをした少女を,しからなくてはならなかった.
そして,なぜ兄である自分たちに相談しなかったのか聞き出すべきだった.
けれどさまざまな仕事に忙殺されて,後回しにしてしまった.
大人たちの都合で産まれたあの子を,自分が親になって育てようと決めていたのに.
バウスは,城の兵士たちにセシリアを探すように命じた.
聖女として首都神殿に連れ戻すのではなく,王家の姫として城に連れ戻せと.
少女が一人で禁足の森へ向かう理由を,バウスは分かっている.
少女は人の目から,神の目からも逃れたいのだ.
周囲の期待どおりの聖女になれないから.
そして,もうこの国から逃げ出したいと,カリヴァニア王国へ続く洞くつを見つめているときもある.
だからライクシードはすぐに,少女を迎えに行く.
そこまで考えて,気づいた.
今回の家出は,いつものものとちがう.
新しい聖女が見つかったのだ.
それに今,禁足の森は,セシリアが一人で過ごせる静かな森ではない.
ならば少女は,どこに…….
頭が答を導くよりも早く,バウスは部屋から飛び出していた.
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