水底呼声 -suitei kosei-

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  5−7  

ウィルが魔法で出した光の球を頼りに,みゆたちは暗い地下通路を進んだ.
土の地面には水たまりが多く,しずくが天井から落ちてくることもあった.
ひたすら歩いていくと,どん詰まりに上へ通じるはしごがある.
縄はしごを,まず黒猫がするすると登った.
天井のふたを開けると,日の光が差しこむ.
ウィルは周囲の安全を確認して,はしごを登るようにみゆに向かって言う.
みゆはカリヴァニア王国の本をスミに預けて,はしごに手をかけた.
慣れないはしご登りに苦戦しながら,なんとか地上へ出る.
ぜいぜいとあえいでいるうちに,本を服にはさんだスミが上がってきた.
「大丈夫ですか?」
「……うん.ありがとう.」
見渡すと,そこは草原だった.
高台にあるらしく,下の方に大神殿が見える.
いくつかの窓から,灰色の煙が吐き出されていた.
まるで火事でも起こっているかのように.
――そろそろ,サイザー様が大神殿へ着くころだ.
ルアンの言葉が,脳裏によみがえる.
その瞬間,みゆは自分のうかつさを呪った.
彼はみゆたちを逃がすために,サイザーたちと戦っているのだ.
逃げるべきではなかった.
ルアンとともに残り,……いや,一緒に逃げればよかったのだ.
「ミユちゃん.」
大神殿を見つめていた黒の少年が,みゆの方を振り返る.
「言って.僕は君のためならば,何でもする.」
甘い恋人の顔をして,ほほ笑んだ.
うそをつかないで,とみゆは言い返しそうになる.
今,この場で,ルアンの身を誰よりも案じているのはウィルだ.
けれど少年は,分かっていない.
それどころか,みゆがルアンのために危険な場所へ戻るように頼むと思っているのだ.
どんと爆発音が,草原まで届く.
煙の色が濃くなり,建物を覆っていた工事用の足場が崩れ落ちた.
今は,話し合っている余裕はない.
「ウィル,私のお願いを聞いて.」
私はあなたが望むのならば,どんなことでも口にする.
「あなたのお父さんを助けて.」
「ん,分かった.」
少年はにっこりと笑んで,すぐに駆け出そうとする.
「待って,」
少年の腕をつかんで,みゆは引き止めた.
「けがをしないで帰ってきて.」
今度こそ,自分の願いを.
「私はウィルが一番大切だから,必ず私のもとへ帰ってきて.」
少年は驚いたようにまばたきしてから,うれしそうに瞳を細めた.
「気をつけるよ,行ってきます.」
「いってらっしゃい.」
みゆの手を離れて,草原を走っていく.
一目散に,父親のもとへ.
ウィルの背中を見送って,みゆはぎゅっと両手を握りしめた.
お願い,私を後悔させないで.
そして再び,大神殿を見やる.
遠くから眺めると,それはひどく不かっこうな建物だった.
屋根の高さがばらばらで,まったく対称ではない.
外壁の色も統一されておらず,――基本的に白のようだが,茶色だったり黄色だったりする.
中央にひとつ飛びぬけて,高い塔があった.
あれがきっと,神の塔だろう.
正面玄関から前庭へ,ぞくぞくと人が流れ出る.
大きな荷物を抱えている人が多く,混乱している様子がよく分かった.
「ねぇ,スミ君.」
ともに残った少年に声をかけると,
「ミユさん,」
背後から抱きつかれた.
「あのルアンという人が,ウィル先輩の父親だと信じているのですか?」
なぜか,ものすごく寂しげな声だった.
「私はそう思ったけれど,スミ君はどう思ったの?」
返事はない.
代わりに少年は,突拍子のないことを言った.
「俺と一緒に逃げませんか.」
「へ?」
「ウィル先輩を置いて,二人でどこか遠くへ行きましょう.」
思いつめて,調子外れの声で.
「スミ君,どうしたの?」
いったい何が起こっている?
強い力で抱きしめられて,身動きが取れない.
「お願いです.俺と一緒に,――俺の方を選んでください.」
助けてくれと,少年の心が叫んでいる.
「だってずるいですよ! 先輩には父親もミユさんもいて,俺には誰もいないのに!」
はたと少年の言葉が止まる.
腕の拘束が,ゆるりと解けた.
みゆは振り返って,スミの顔を真正面から見据える.
「すみません.俺,どうかしていました.」
視線から逃げるように,少年は真っ赤な顔でうつむく.
いつも明るいこげ茶色の瞳が,泣き出しそうだった.
スミの過去を,みゆは知らない.
母親に捨てられたのではないかと推測しているのみだ.
聞けば,ある程度は教えてくれただろうに,何もたずねなかった.
ウィルの生い立ちにも,――ルアンが現れるまでは,ほとんど興味が持てなかった.
自分自身についても,少しも語らなかった.
みゆたち三人は,自分たちの親について話すことはしなかった.
家族のことについて,たがいに触れないようにしていた.
同じ傷をなめあっていたのだ.
なのに,ウィルには父親がいた.
なんとなぐさめればいいのだろうか.
私はスミ君の友だちだよとか,弟みたいに思っているとか.
だが,どれも安っぽい言葉に思えた.
みゆが迷っていると,いきなりぱぁんと音を立てて,少年が自分のほおを打つ.
「何をするの!?」
ぎょっとするみゆに,少年は悲しそうな笑顔を見せた.
「すみません,本当にごめんなさい.」
再びほおを打って,情けなさそうに笑う.
「ウィル先輩には今のこと,内緒にしてください.俺,殺されてしまいます.」
「スミ君!」
自身を罰する少年に,みゆは体当たりするような勢いで抱きついた.
「私のことはお母さんと呼んでいいからね!」
言ってから思う.
思い浮かんだなぐさめの言葉の中で,もっとも間抜けなものを選んでしまったと.
スミは楽しそうに笑い声を上げた.
「それはちょっと勘弁してください.」
そっと背中に回される腕.
私たちをつなぐのは親の不在という共通点だけではないと,みゆは少年を抱きしめた.
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