水底呼声 -suitei kosei-

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  5−6  

ぴりぴりと少年たちが警戒する空気が,みゆにも突き刺さる.
そんな雰囲気の中で,ルアンは先ほどと同じ話をした.
ただウィルの母親がリアンであり,出産時に死亡したことについては言及しなかった.
みゆはそのことに気づいたが,あえて指摘しない.
それを聞いていいのは,ウィルだけだ.
その黒の少年は,みゆに背中だけを見せている.
ルアンからみゆを守るために,そうしているのだろう.
スミも相変わらず,彼の背後に立っていた.
「これで,僕が君の父親だと分かっただろう?」
語り終えたルアンが,弱々しいがかすかに希望のある声でたずねる.
「おじさん,」
少年の呼びかけに,彼の肩が下がった.
「やっぱり僕には,お父さんはいないよ.」
「なぜ? 君はさっき,カイルは自分の育ての親だと言ったじゃないか.」
みゆとスミは黙っていたが,ウィルはあっさりとカイルのことを教えた.
「でもおじさんは,僕の父親じゃないよ.」
少年は強情だった.
「僕は,たとえ僕がどんな存在で何をしていても,愛してくれる人がお父さんだと習った.」
「へ?」
ルアンの口が,ぽかんと開く.
みゆもびっくりした,まさか少年の口からこのようなせりふが出るとは.
「僕は君を愛している.」
彼はむきになって言い返した.
「愛していないよ.」
少年はすべらかに否定する.
「エーヌさんが教えてくれた.愛することは,優しくほほ笑みかけること,柔らかく抱きしめること,素直に自分の気持ちを伝えること.」
ほおに朱が上がるのを,みゆは自覚した.
恥ずかしくなるくらいに,愛されていることが分かった.
反対に,ルアンは顔をうつむかせる.
「ミユちゃん,」
少年は背中のままで呼びかけた.
「このおじさんの話を聞いたよ.これでいい?」
許可を求める.
少年はみゆのために,この部屋に留まっただけなのだ.
本当は一刻もはやく出て行きたいのに,みゆのわがままを聞いてくれたのだ.
「……うん.」
これ以上は,何も言えない.
「ありがとう,ウィル.」
そのとき,どんどんと乱暴に扉をたたく音がした.
「ラート・ルアン! 私はライクシードです.この扉を開けてください!」
突然の訪問者に,みゆだけが驚く.
「ミユと話がしたいのです,彼女を返してください!」
「王子様,」
答えたのは,ルアンではなくウィル.
みゆと扉の間に,すっと入った.
「何の用? 僕たちは王子様に,何の用もないのだけど.」
声には,いらだちが含まれている.
「ラート・ルアン?」
ライクシードが問い返した.
「ちがうよ.僕は,」
少年の言葉が,不自然に止まる.
背中が不安定に揺れたように感じて,みゆは少年の片腕をがっしりとつかんだ.
「ウィルは,ウィルだよ.」
どんな生い立ちであろうと.
今,ここにいる自分自身を疑わないで.
すると少年は振り返り,いつもと同じようにほほ笑んだ.
大丈夫だよ,心配しないで.
しかし,みゆには分かった.
ウィルが顔を見せたから,そしていつもと同じ笑顔を作ったから気づいた.
ルアンの告白で少年は,ひどく動揺している.
「君は,……君がウィルか?」
ライクシードが声の主を言い当てる.
「私も君には用はない.」
はねつけるような,冷たい口調だった.
「私が会いたいのはミユだけだ.――ミユ,いるかい?」
呼びかけられて,どきりとした.
「殿下,ごめんなさい.」
何よりも先に謝罪する.
彼に会ったら謝りたいと思っていたことを思い出したのだ.
「カリヴァニア王国から来たことを隠していて,申し訳ありませんでした.」
力になってくれたのに,ずっと彼をだましていた.
「いいんだ,ミユ.それよりも部屋から出てくれ.もっとちゃんと話をしよう.」
「できません,ごめんなさい.」
はっきりと断る.
「今までありがとうございました.それだけは伝えたかったのです.」
「何がありがとうなんだ!?」
いきなり,どんと扉が打ちつけられた.
「君は私を何だと思っている? いくらでも頼って,利用すればいいのに,」
「そんな,」
「君が好きなんだ! 守りたいと,助けたいと思っているのに.」
苦しみや,やるせなさが押し寄せてくる.
「ごめんなさい.私,好きな人がいるのです.だから,」
「分かっている,ウィルだろう?」
呪詛をつむぐような声だった.
「だが君を一人で神聖公国へ行かすような男に,君を任せたくない.」
みゆは言葉を失う.
扉の向こうにいる人物が,ライクシードではないように思えた.
すると,
「僕がどんな気持ちで,」
少年の声が,体が震えている.
「彼女を見送ったと,」
「ウィル,落ちついて!」
扉を開けようとする少年に,みゆはしがみついた.
と同時に,セシリアがライクシードを止める声が聞こえる.
しかし,ぱっと外の音は消えた.
「音は遮断したよ.」
ルアンが疲れたように言う.
そして部屋の奥の本棚を,片手で,――底に車輪でもついているのか,右へすべらせた.
「ここから逃げればいい,外へ通じているから.」
石壁に,大きな穴がぽっかりと開いている.
「安心して.この隠し通路を知る人は,ほとんどいない.」
だいぶ奥行きがあるようで,穴の中は真っ暗だ.
「あの殿下とやり合うのは危険だよ.相当な剣の使い手らしいし,セシリアもついている.それにそろそろ,サイザー様が大神殿へ着くころだ.」
少年たちがちゅうちょするのが,みゆには感じられた.
みゆも,彼の態度のひょう変に驚いている.
だが足を,前へ動かした.
彼の穏やかな瞳を見つめながら,そばまで歩み寄る.
「行こう,ウィル,スミ君.」
不安げな顔をした少年たちに向かって言った.
こんな誠実な目をした人を疑うことはできない.
暖かな情愛が降り注がれている.
彼は確かに,“親”という存在なのだ.
ルアンは,通路の入り口を隠していた本棚から一冊の本を取り,みゆに手渡す.
「一冊だけでも持っていれば,君は必ず僕に会いに来ると考えていた.」
一目で古いと分かる本だった.
変色しているし,ほこりがこびりついている.
そして表紙には,“カリヴァニア王国の成り立ちについて”と書かれていた.
「ありがとうございます.」
本を持つ手が震える.
ずっと,これを探していた.
「暗いけれど,大丈夫ですよ.地面がぬれているから,足もとに気をつけてくださいね.」
通路の中に入ったらしいスミが,暗闇から声をかける.
「ミユちゃん.」
ウィルが促す.
少年の目は,故意に父親を避けていた.
「さようなら,ウィル.」
ルアンが,悲しげにつぶやく.
少年と同じ色の瞳は,あきらめの念に捕らわれていた.
その瞳に見守られながら,みゆとウィルは穴をくぐり,隠し通路へ抜け出した.
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