水底呼声 -suitei kosei-

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  5−5  

「ラート・リアンは病気ではなく,出産のためになくなりました.」
秘事を告げる神官長の顔は,妙に落ちついていた.
だが両手はしっかり組み合わせて,テーブルの上に置いている.
その両手は,彼がソファーに腰かけてから微動だにしない.
ライクシードはそれを観察しながら,心の中で衝撃を受け止めた.
ちらりと横目で探ると,隣に座るセシリアは,完全に顔色をなくしている.
「父親は誰なのですか?」
気が進まないが,たずねた.
「大神殿に隠された聖女に近づける男性は,一人しかいません.」
淡々と答える.
「双子の弟のラート・ルアンだけです.」
毒でも飲まされたような気分だ.
聖女の姦通という罪には,近親相姦の色までついている.
「ラート・リアンはなくなりましたが,赤ん坊は生き残りました.」
まるで死んだ方がよかったような言い方に,ライクシードは反発心を覚えた.
「もっとも神に近く,もっともけがれた血を持つ,存在が許されない赤ん坊でした.」
双子の聖女の間に産まれた赤ん坊,つまりウィルは聖女だ.
――その子は死んだはずの子どもです.生きているとは思いもよりませんでした.
サイザーのせりふを,ライクシードは思い出した.
聖女の結界をやぶることができる者は,聖女でしかありえない.
だから自分の結界が壊されたときに,彼女は悟ったのだ.
首都神殿から,みゆをさらった者の正体を.
神官長の話は,さらに過去にさかのぼる.
話が前後するのは,内心の動揺の現れかもしれない.
リアンの腹が大きくなり,大神殿は大騒ぎになった.
しかし聖女が神の塔へ入る前に妊娠することは,過去にいくつか例のあることだった.
だがライクシードもセシリアでさえも,聖女の密通など聞いたことがない.
今までずっと,大神殿の内部だけで隠していたらしい.
また近親相姦の末にはらむのは,さすがに初めてだと言う.
不義の子を宿したリアンは,逆に丁重に扱われた.
無事に出産して,その後すぐに神の塔へ入ればいいのだ.
妊婦は塔へ入れないが,出産後は特に問題がない.
しかしリアンは男児を産み落とすとともに,息を引き取った.
ルアンは片割れの死を悲しみ,神官らは聖女の喪失を嘆いた.
彼らはルアンを責め,母親の聖女マールも責めた.
「ラート・マールは,繊細な女性でした.」
神官長の顔に,苦い色がにじむ.
「彼女は幼いころから,神の塔を恐れていました.」
すなわち,一人で次代の聖女を身ごもることを.
母親のサイザーが,神から子を授かることがどれだけ誉れ高いことか,説明しても無駄だった.
十六歳になったマールは,青い顔をして震えながら神の塔へ入った.
そして産まれた赤ん坊は,双子だった.
赤ん坊の世話役の巫女たちが「まれに双子が産まれることがある.」となだめても,
「私は神の怒りを買ったのだ.」
「私が至らない聖女だから,このような失敗をしたのだ.」
と,ひたすらにおびえていた.
そして子どもたちが罪を犯し,再び神の塔へ入ることを強いられたとき,彼女は恐怖のあまりみずから命を絶った.
「後は,殿下方がご存じのとおりです.」
神の一族の中で,一番血の濃い者を聖女にすればいいと.
「えぇ,よく知っているわ.」
セシリアが,まゆをつり上げた.
「血の濃い女児を産むために,お父様とお母様は結婚させられて,私が産まれたのよね.」
「セシリア!」
たしなめても,少女の口は止まらない.
「その当時,一番力の強い神の一族は,サイザー様の子どもであるお父様だった.」
ライクシードは六歳で,兄のバウスは九歳だった.
大人たちが右往左往する様を,いまだによく覚えている.
「でもお父様は男.神の塔へ入っても,妊娠はできない.」
興奮する少女を,神官長は平坦な顔で眺めている.
「だからお母様と結婚させた.お父様もお母様も,ほかに愛し合う人がいたのに!」
少女はまさに,聖女になるためだけに産まれてきた.
「私が不幸なのも,お父様とお母様が不幸なのも,全部ルアンとリアンのせいだったのね!」
そのような事情で夫婦になったセシリアの両親は,少女に対して冷淡だった.
いや,冷淡という言葉では言い表せない.
彼らはいつも,わが子が見えていないかのように振る舞う.
だからライクシードもバウスも,少女の“家族”は自分たちだけだと思っている.
兄などは本気で,
「セシリアは俺たちの妹だ.聖女ではなく王家の姫だ.いつか必ず城へ返してもらおう.」
と言う.
神官長は,何も言い返さない.
少女は,ぱたんと口を閉じた.
ライクシードは,少女の白い手を握る.
けれどセシリアは気づかずに,険しい顔で宙の一点をにらみつけていた.
そうしなければ,泣いてしまうかのように.
「それで,赤ん坊はどうしたのですか?」
とりあえず話題を変えたくて,質問をする.
「殺しました.」
聖女の姦通,近親相姦の罪の下で産まれ,母親と祖母を死に追いやった赤ん坊.
まだ赤ん坊が女児だったのならば,救いはあった.
しかし赤ん坊は男児だった.
聖女にはなれない,ただうとましいだけである.
サイザーと神官長は,ルアンから赤ん坊を取り上げた.
ルアンは抵抗したが,十五歳の未熟な少年を押さえつけることは容易だった.
それに加えて母親ではないルアンには母乳が出ずに,赤ん坊を育てることは不可能だった.
ルアンとルアンに味方する神官と巫女たちは,牢の中に閉じこめた.
殺さないでくれ,助けてくれと,ルアンは声がかれるまで泣いて訴えた.
「リアンの忘れ形見なんだ.返してくれ,僕たちの子を!」
赤ん坊は一人の神官に命じて,禁足の森の中に埋めさせた.
神の目が届かぬ,呪われた森の中に.
「それですべてが終わったと思っていたのですが,」
赤ん坊は生きていた.
生きて,新しい聖女となるみゆを首都神殿から連れ去った.
神官長はすぐに,赤ん坊を埋めたはずの神官を問い詰めた.
なぜ,あの赤ん坊が生きていると.
すると彼は簡単に白状した.
赤ん坊は,双子の教育係だった神官のカイルに奪われたと.
カイルはこの子をけっして幸福にしないと約束して,カリヴァニア王国へ行った.
「神に呪われた王国で,けがれた出生にふさわしい存在として生きさせる.」
だから見逃してくれと.
カイルとしては,苦肉の策だったのかもしれない.
神官としての責務と教え子たちへの愛情を,ともにかなえるためには.
「カリヴァニア王国へ行けば,けっして戻って来れない.そう考えて,カイルの好きにさせたのです.」
それに加えて,いくら罪深いとは言え,赤ん坊を殺すことに抵抗を感じていたらしい.
ライクシードは,
「当たり前でしょう! 赤ん坊を手にかけられる人間がいたら,見てみたいですよ!」
と叫びたくなるのを,こらえねばならなかった.
だが,絡まっていたなぞの糸が少しだけほどけた.
聖女であるウィルは,呪われた王国で育ったのだろう.
そこで,みゆとウィルは出会い,神聖公国へやって来た.
二人がこの国へ来たのは,復讐のためなのか?
少なくとも,ウィルには動機がある.
けれど彼女からは,そのような暗さは感じられなかった.
おそらくまだ,ライクシードの知らない事実が隠れているのだ.
「今,ラート・ルアンとウィルのもとに,ミユはいるのですね?」
確認すると,神官長はうなずく.
「えぇ.けれど彼は,もう二度と子どもを離さないでしょう.」
「彼らのことは,私には関係ありません.」
ライクシードは言い切った.
「私が求めているのは,」
テーブルの上には,兵士たちが拾ったみゆの落し物が置いてある.
異世界のものだからなのか,驚くほどに薄くて軽い.
「新しい聖女になるミユだけです.だからラート・ルアンのもとへ案内してください.」
率先して,ソファーから立ち上がる.
「彼についていった,ミユと話がしたいのです.」
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