水底呼声 -suitei kosei-

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  4−7  

抱きしめたみゆの体から,力が抜けていく.
しばらくすると,規則正しい寝息が聞こえてきた.
ウィルは彼女の体をベッドに横たえて,毛布をかける.
眼鏡を外すと,目の下にはクマがある.
少年は自分を責めた.
みゆがここまで衰弱するまで,助けることができなかった.
彼女が暴力を受けているのではないか,――性的なものも含めて,と心配でたまらなかった.
ウィルがスミとともにリナーゼの街に着いたとき,街は厳戒態勢の中にあった.
城門は閉ざされて,大勢の兵士たちが守っていた.
そして周囲には,なぜか人だかりができている.
彼らの多くは,売りものをかかえた商人だった.
兵士たちが,
「ここは魔物たちとの戦場になる恐れがある.別の街に避難してくれ.」
と呼びかけても,――どうやら神聖公国には魔物がいるらしい,
「門を開けろ! 客が待っているんだ!」
と言って,まったく引かない.
ウィルは彼らの中に紛れこみ,これからどうすべきか思案した.
しかし運のいいことに,その日のうちに門は開く.
商人たちは門に殺到した,そして門からは街の外へ出ようとする人々があふれ出る.
移動する人や馬やロバで,あたりは大混乱になった.
「結界は修復された.聖女様に感謝せよ!」
兵士たちの張り上げる声が,さまざまな物音に埋もれながら聞こえた.
ウィルは街に入り,貧民街の中に隠れ家を確保する.
スミを医者にみせて,みゆの行方を捜した.
すると彼女は,街の有名人になっている.
ライクシード王子の恋人,結界を壊した反逆者,聖女になる女性.
人間の皮をかぶった魔物,天から降りてきた神の使い,バウス王子の政敵の娘.
国立図書館で見かけただの,ライクシード王子と駆け落ちしているだの.
みゆに関する情報は多く,そのほとんどが信ぴょう性のないものだった.
それでも,彼女が首都神殿に隠されていることは簡単に知れた.
さっそく忍びこもうとすると,建物全体に結界が張り巡らされている.
結界の力により,許可を得た人間しか神殿に入れなかった.
そこでウィルは,ライクシードのもとへ足しげく通っているカズリに目をつける.
彼女の家の使用人になり,そそのかした.
二度と王子の前に現れないように,みゆにくぎを刺しておくべきだ,と.
「無理よ.よほどのことがないかぎり,ミユさんとの面会は許されないわ.彼女は聖女なのよ.」
気弱なことを言うカズリに,少年はにっこりとほほ笑む.
「神殿の兵士にわいろを渡して,こっそり会えばいいよ.」
「でも……,」
彼女は,なかなか話に乗ってくれなかった.
だが三日後,唐突に会いに行くと言い出す.
「かわいそうだけど,婚約のことを教えてあげないといけないわ.」
ライクシードとの婚約が決まったことを自慢したいらしい.
少年は,わいろを受け取った兵士から,カズリとともに神殿に入る“許可”を得た.
みゆのもとへたどり着き,結界を壊して逃走する.
外からの侵入をはばむ結界は,外からの衝撃には強いが,内からの衝撃にはどうしても弱くなる.
みゆが神聖公国の結界を切れたのは,彼女の体が結界の中にあったからでもある.
同じことを,ウィルはやったのだ.

「くわしく説明していただけますか,ラート・サイザー?」
せまい部屋に響く兄の声を,ライクシードはうつろな心で聞いた.
首都神殿の中の,みゆが捕らわれていた部屋である.
彼女がいたのだと思うと気恥ずかしくなり,ライクシードはベッドから目をそらした.
そして硬い顔で沈黙を続けるサイザーと,青い顔でうつむいているカズリを見る.
謹慎処分はなし崩しに解かれて,ライクシードは兄に連れられて,ここに来た.
バウスが,お前が聞き出せと視線を寄越す.
ライクシードはカズリに向き合った.
「何があったのか教えてくれないか?」
できるだけ優しくたずねる.
「あなたを責めることは,けっしてしないから.」
城で報告を受けたときから,兄もライクシードも彼女は利用されただけだと考えていた.
ちゅうちょした末に,カズリは話し始める.
「私はミユさんに謝りたくて,ここへ来たのです.」
以前彼女は,みゆと派手なけんかをした.
「兵士にわいろを渡してまでか.」
兄があきれて言う.
「それは!」
カズリは叫んだ.
「ウィルが,そうすればいいって…….」
だが,言葉じりが小さく消えていく.
「ウィルについて教えてくれ.」
みゆをさらった男だ.
カリヴァニア王国から侵入した彼女の仲間だろうと,兄は推測している.
たった一人で救出に来たのだから,相当腕に覚えがあるのだろうとも.
「ウィルは,三日前に靴磨きとして雇った男の子です.」
「男の子!?」
バウスがすっとんきょうな声を上げる,ライクシードも驚いた.
どんな屈強な男だと思いきや,まさか子どもだとは.
「はい,十六歳と言っていました.いつも笑顔でにこにこして,仕事もよくしてくれて,」
カズリは身を小さくする.
「だからこんなことをするなんて,夢にも思いませんでした.」
兄は,サイザーに非難の目を向けた.
「子ども一人に倒されるほどに,神殿の兵士たちは弱いのですか?」
そもそもわいろを受け取るとは情けないと,いらだった声を出す.
「それとも子どもの姿をした魔物だったのですか,口から火でも吐いたのですか?」
「ただの子どもでも,魔物でもありません.」
老聖女は初めて口を開いた.
「その子は内側からとはいえ,私の結界をやぶったのです.」
「神の一族だというのですか?」
バウスが問い返すと,あいまいにうなずく.
ライクシードは兄と,とまどった顔を合わせた.
ウィルは,呪われた王国からの侵入者ではなく神の一族.
しかも聖女の結界をやぶるとは,尋常な力の持ち主ではない.
「心当たりがあるのですね?」
重ねての問いに,彼女は完璧に表情を消した.
「ウィルという名の少年を捕らえたならば,すぐさま殺してください.」
子どもを殺せと言うサイザーに,ライクシードは鼻白む.
聖女,神の一族は,この神聖公国でもっとも大切な人々だ.
ましてや彼女にとっては,同じ血族なのに.
「その子は死んだはずの子どもです.生きているとは思いもよりませんでした.」
「何者なのですか?」
兄はもう一度,質問した.
「知りません.」
彼女は断言する.
「あのようにけがれた記憶を,心に留め置くことはできませんから.」
「何があったのですか?」
こらえきれずに,ライクシードは口をはさんだ.
この老聖女は,何かとてつもない秘密を隠している.
「子どもは殺してください.」
平坦な口調で,サイザーは告げた.
「私たちから,聖女リアンを奪った呪われた子どもです.」
両目に,憎しみをたぎらせて.
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