水底呼声 -suitei kosei-

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  3−6  

「何を言っているんだ,セシリア!?」
ライクシードは立ち上がったまま,少女をしかりつけた.
「私にでも聖女になれるのだから,ミユもなれるわよ.」
少女は,にこにこと笑みを崩さない.
「お前は聖女様の血を引いているだろう!」
気色ばむライクシードを無視して,セシリアはみゆの方を向いた.
「私はにせものの聖女なの.でもあなたなら,本当の聖女になれるわ.」
「ラート・セシリア,どういうことなの?」
にせもの? 本当?
みゆには,少女の言いたいことが理解できない.
「あなたの血には,奇跡を起こす力がある.」
魔法は血で使うのだよ.
「あなたは異世界から来たから,私と同じ種類の力ではないのかもしれない.」
ミユちゃんは異世界の人だから,僕と同じ魔法は使えない.
「けれど確かに,あなたの血には力がある.その力で,新しい聖女になってほしいの.」
ミユちゃんには,ミユちゃんにしか使えない魔法がある.
四年後に海の底に沈む,このカリヴァニア王国を救うのが君の魔法だよ.
「待って,ちょっと考えさせて.」
みゆは困惑した.
おそらくセシリアは,ウィルと似たことを言っている.
日本人のみゆはカリヴァニア王国のいけにえで,神聖公国の聖女にもなれる?
「ミユ,聞いてちょうだい.」
セシリアは,みゆの手をつかんで離さない.
かすかな震えが,みゆには伝わった.
笑顔を作りながら,少女は震えているのだ.
「この国は今,聖女をなくして困っているの.」
十六年前のことだ.
神聖公国は,国でもっとも尊い女性をうしなった.
神の血を引きつぐ聖女リアン.
リアンは病気のため,十五歳の若さでなくなった.
「聖女はね,」
少女は淡々としゃべる.
「十六歳になったら,一人で神の塔にこもって次代の聖女を産むの.」
「は?」
みゆは思わず聞き返した.
今,妙なことを言わなかったか.
「結婚をせずに,清らかな体のままで子どもを産むのよ.」
それが聖女が起こす最大の奇跡だと,少女は得意げに笑った.
「そうやってずっとずっと,神様の血をつなげていくの.」
処女懐胎.
みゆには信じがたく,受け入れがたい.
「でもリアン様は,十六歳になる前になくなられた.」
次代の聖女を産み落とさずに.
なのでリアンの代わりに,リアンの母親である聖女マールが塔に入ることになった.
しかし聖女マールは娘の死にショックを受けて,みずから命を絶ってしまった.
神の血を途切れさせないという使命を捨てて.
そして祖母の聖女サイザーとそう祖母の聖女ネリーは,すでに子どもを産める体ではなかった.
聖女の家系は途絶えたのだ.
この事実に,神殿中が,いや国中がパニックになった.
国から聖女がいなくなる.
聖女がいなくなれば,この国は神の愛を失う.
国境の結界や,温暖な気候や,肥沃な大地は消えてしまう.
今まで当たり前に享受していた恵みが,すべてなくなるのだ.
話し疲れたのか,セシリアは冷めた紅茶に口をつける.
ライクシードは難しい顔のままだ.
重い打ち明け話に,みゆは紅茶を飲む気になれない.
カップを皿に戻すと,少女は再び話し始めた.
聖女は次代を産むまでは,異性との交流は厳しく制限される.
だが出産後は,恋愛も結婚も自由である.
また神殿から出ることも許されて,過去には,神聖公国から出て行った聖女もいた.
聖女が産んだ,聖女以外の子どもを“神の一族”と呼ぶ.
神の一族は聖女の孫,ひ孫,ひいひい孫も含むので,意外に大勢いるらしい.
聖女の血を引く彼らは,聖女と同じように奇跡の力を操る.
彼らはたいてい,神に仕える神官や巫女になるのだ.
「神の一族?」
「そうよ.」
みゆのつぶやきに,セシリアはうなずく.
――魔法を行使できるのは,神聖公国ラート・リナーゼの“神の一族”だけだよ.
みゆは,ウィルのせりふを思い出した.
――僕とカイル師匠は神の一族なんだ.
ということは,二人は聖女の子孫だ.
魔法は,神聖公国では奇跡の力と呼ばれるのだろう.
いや,奇跡の力という名前の方がふさわしい.
ウィルの唱えていた呪文は,神への祈りの言葉のようだった.
「私は,神の一族なの.」
セシリアが,ぽつりと告白をする.
「一族の中で一番濃い血を持つから,聖女になった.――いいえ,聖女のふりをしているの.」
うつむく少女の顔に,暗い影が落ちた.
「私の力は聖女におよばない.二年後に神の塔に入るけれど,出産の奇跡は起こせないわ.」
ライクシードが,つらそうな顔で少女を見つめる.
「私は聖女じゃない.五年前にネリー様がなくなられて,もはや聖女はサイザー様だけ.」
そしてサイザーは高齢であり,いつまでも頼りにできないと言う.
少女は顔を上げて,みゆに訴えかけた.
「ミユ,あなたの力が必要なの.どうか聖女になって,この国を救って.」
少女の目は切実に,助けを求めている.
「セシリア,無茶を言うな.」
ライクシードが少女をなだめた.
「ミユはこの世界に来たばかりだ.いきなりそんなことを頼まれても困るだろう.それに,」
不自然に言いよどむ.
兄のバウスがみゆを疑っていることを言いたいのだろうと,みゆは察した.
馬車の中での質問攻めも,そのためだ.
「ミユはこの国を救うために,あの森に現れたの.私はそう思うわ.」
少女は気づかずに反論する.
「そんな都合のよい,」
「私しか入らない禁足の森に,ミユは現れたのよ!」
突然,少女は大声を上げた.
「これは運命の出会い,神のおぼしめしよ!」
「落ちつくんだ,セシリア.」
ライクシードが伸ばした手を,少女はかんしゃくを起こした子どものように振り払う.
「分からないの,ライク兄さま? ミユは聖女になるために,この国へ来たの!」
ちがう.
みゆはカリヴァニア王国を救うために,神聖公国に来たのだ.
まさか神聖公国を救ってくれと頼まれるとは,夢にも思わずに.
「この私の前に現れたのよ.聖女になる運命に決まって,」
「ごめんなさい,ラート・セシリア.すぐには返事できないわ.」
セシリアの展開する運命論を,みゆは強引にさえぎる.
きちんと意思表示をしないと,勝手に聖女に祭り上げられそうだ.
少女は,みゆの顔をじっと見つめてから,
「いい返事を期待しているわ.」
にっこりとほほ笑んだ.
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家系図

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