水底呼声 -suitei kosei-

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  3−2  

銀の髪の少女は,年のころは中学生程度に思えた.
ちょうどスミと同じくらいの年齢だろうか.
ライクシードは,みゆよりも少し年上のような印象だ.
二人とも,――特に少女の方はとんでもない美形で見ほれてしまう.
「初めまして,私はセシリア.」
かれんなソプラノが話しかける.
「あなたの名前を伺ってもよろしいかしら?」
みゆは夢から覚めたように,はっとした.
「私は古藤みゆ.古藤が姓で,みゆが名前よ.」
「ミユ,……素敵な名前ね.」
心とろかすような笑みを見せて,少女が近づいてくる.
「セシリア!」
ライクシードが,少女の腕をつかんで引き止めた.
「警戒しすぎよ,ライク兄さま.」
少女は笑って,彼の手を取り外す.
「彼女が,神に呪われた魔物に見えて?」
セシリアはみゆのそばまで来ると,じぃっと下から顔を見上げてきた.
「あなたには神の御影が存在しない.」
宝石のような青の瞳を,長いまつげが縁取る.
白い肌はなめらかで,しみひとつなかった.
「ちがう世界から来たからなのね.あなたには,この世界のあらゆる法が通じない.」
少女の声がうれしそうに弾む.
「すごいわ,本当にすごい.あなたのような人に出会えるなんて.」
ライクシードが冷静なのに対して,少女はあきらかに興奮している.
なぜ,こんなにも喜んでいるのだろうか.
みゆは直接,聞いてみることにした.
「セシリア.なぜ,」
「駄目よ!」
いきなりせりふをさえぎられて,みゆはびっくりする.
少女は,仮面じみた笑みを作った.
「私は聖女なの.ラート・セシリアと呼んでちょうだい.」
「聖女?」
みゆは問い返す.
「それからライク兄さまのことは殿下と.兄さまはこの国の王子だから.」
ライクシードの顔を,みゆは見上げた.
確かに王子と言われて納得できるだけの品が,彼にはある.
しかし聖女とは何者なのだろうか.
いつかウィルが言っていた,神の一族とは異なる存在なのだろうか.
少女からの拒絶を感じて,みゆはちがう質問をした.
「ラート・セシリア,ここはどこなの?」
少女は満足げにほほ笑む.
「ここは神聖公国ラート・リナーゼよ.」
みゆの期待どおりの答が返ってきた.
「そしてこの森は,神の目の届かない禁足の森.あなたは,三百名の兵士たちに封鎖されている森に降りてきたの.」
森が封鎖されているのは,呪われた王国を警戒しているからだろうか?
洞くつから出たところを見られなくてよかったと,みゆは今さらながらにほっとする.
我ながら行き当たりばったりな旅だ.
「もっと説明してあげたいけれど,今日はもう帰りましょう.ほら,真っ暗だわ.」
少女はどっぷりと暮れた夜空を指す.
「くわしいことは明日,私から話すわ.」
「そうだな.」
疲れたようにため息を吐いて,ライクシードは同意した.
「首都神殿の者は皆,心配して待っているだろう.」
「心配なんかしてないわよ!」
少女は明るく笑った.
「ミユは王宮に泊めてあげてね.そして明日の朝,首都神殿に連れてきて.」
少女はみゆの腕をぎゅっとつかむ.
「絶対に来てね.待っているから.」
青の瞳が,なぜか悲しみをにじませていた.

禁足の森を抜けると,森を封鎖している兵士たちがみゆたちに気づいた.
彼らは皮の甲冑を身につけ,長いやりを持っている.
「ライクシード殿下,お帰りなさいませ.」
彼らの平凡な顔立ちに,みゆは少しだけ安心する.
神聖公国には美形しかいないのではないかと,妙な心配をしていた.
「ラート・セシリアが無事に見つかり,重畳でございます.」
ライクシードは「あぁ.」とうなずき,優しく少女の肩を抱き寄せた.
セシリアは家出でもしていたのだろうか.
少女は硬い表情のままで,何も答えなかった.
「あの,そちらの女性は……?」
兵士たちは遠慮がちに,みゆについてたずねる.
「彼女の身元は私が保証する.すまないが,構わないでくれないか?」
ライクシードが頼むと,すぐに兵士たちは従った.
顔に疑問をはりつけたままだったが,王子の命令には逆らえないのだろう.
森のそばには,四頭引きの馬車が停車していた.
「ミユ,行こう.」
ライクシードに促されて,みゆは歩く.
馬車には装飾がほとんどなく,お忍び用という印象を受けた.
まずライクシードが馬車に乗りこみ,セシリアの腕を引っぱって乗せてやる.
そして彼は,みゆにも手を差し伸べてきた.
「ありがとうございます.」
素直に手を取って,馬車の中に入る.
力強い大きな手に,別れを告げた恋人を思い出した.
ウィルも何年後かには,このような大きな手を持つのだろうか.
「出してくれ.」
ライクシードが御者の男に命じると,馬車はゆっくりと動き出す.
ふいに心細くなって,みゆは後ろの窓をのぞきこんだ.
森の木々が,カリヴァニア王国へ戻る洞くつを隠している.
――初めて聞いた.
別れ際,ほおを涙でぬらしながら笑った黒髪の少年.
生まれて初めて,愛の言葉をささやいた.
出会ってから初めて,少年の心からの笑顔を見た.
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