水底呼声 -suitei kosei-

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  3−3  

小さな橋を渡り,厚い鉄製の扉をくぐって,馬車は街へ入る.
扉はすぐに,警備兵たちによって閉ざされた.
神聖公国の首都は,堀と石壁に囲まれている.
石畳の道は幅広く,まっすぐに伸びている.
道沿いの建物は立派であり,特に窓が大きいことに,みゆは感心した.
二階建てが多い中で,ひとつだけ四階建てがある.
四階建ての玄関の前では,白い服の女性たちが心細げに寄りそいあっていた.
彼女たちは馬車に気づくと,さっと道を開ける.
馬車は,彼女たちのそばでとまった.
「明日,絶対に来てね.」
セシリアはみゆに念を押すと,馬車から降りる.
ここが首都神殿なのだろう.
神殿というよりは,窓が均等に並ぶ賃貸マンションのような外観だ.
「ラート,お帰りなさいませ.」
セシリアを迎えて,女性たちはほっとした表情になる.
白い服は,セシリアも女性たちもおそろいで,制服のようだ.
すそが長く,だっぽりとした衣装で,体のラインが分からない.
セシリアが着ているとそんな印象は受けないが,かなり地味な服だった.
次に馬車は城を目指す.
街に入ったときから見えていた,巨大な宮殿だ.
左右に翼を伸ばし,縦よりも横に長い.
こんなにも大きな建物は,異世界に来てから初めて見た.
「すごいですね.」
みゆがつぶやくと,ライクシードはにこりとほほ笑む.
「この国の中心部だからね.」

城の中に入ると,まさに豪華けんらんだった.
ライクシードに連れられて歩きながら,みゆはため息ばかりが出る.
壁に飾られたいくつもの絵画,みゆの身長ほどもある大きなつぼ.
天井は高く,光り輝くシャンデリアがつるされている.
世界史の教科書にのっているベルサイユ宮殿のようだ.
このような華美さは,カリヴァニア王国の城にはなかった.
ライクシードは一人のメイドを捕まえて,みゆを客人として遇するように命じる.
彼女はかすかに驚いた様子だったが,
「かしこまりました.」
すんなりと命令を受けた.
「明日の朝に,部屋まで迎えに行くよ.」
「はい,ありがとうございます.」
ライクシードと別れると,メイドが興味深げにみゆを眺めていた.
みゆが気づくとすぐに,彼女は表情を取り繕う.
「お部屋に案内いたします.」
「はい,お願いします.」
城に客人は珍しいのかもしれない.
みゆはメイドに連れられて,そう思った.
寝室に一人きりになってベッドに身を投げ出すと,たまっていた疲れがどっとみゆを襲う.
なんて遠くに来てしまったのだろう.
禁足の森から馬車で首都に向かい,そして首都の最奥部の城まで来てしまった.
――絶対に来てね.待っているから.
セシリアのせりふを思い出して,みゆはぶるりと震える.
まさか,この国でもいけにえにささげられるのでは…….
みゆは首を振って,根拠のない不安を押しつぶした.
少女の瞳は,みゆを利用しようと考えている瞳ではない.
どちらかというと,助けを求めているように感じられた.
それよりも,カリヴァニア王国から来たことがばれないように気をつけなければならない.
馬車の中でたずねると,禁足の森は小さな森で,山などないという.
ここは,どこなのだろう.
カリヴァニア王国は,どこへいったのだろう.
つい何時間か前までは,泣いているウィルを抱いていたのに.
――帰りたいな.
郷愁に似た想いが,わき起こった.
カリヴァニア王国を滅亡から救うすべを探し出して,すぐに帰ろう.
あの黒の少年のもとへ.
帰ったならば,もう二度と離れない.
心地よい眠りに身をゆだねたとき,大人になったウィルの影を見た.
彼は興味深げにみゆを眺め,じっと立っている.
みゆは夢の世界に沈みこみ,水底にたゆたう.
たった一人で歩き続けていた,日本の街の中.
黒の少年が泳いでやってくるのを,歩道橋の上で待っていた.

翌朝,若い女性らしい軽やかな声によって,みゆは起こされた.
「おはようございます.」
ベッドのそばで,にこにこと笑っているエプロン姿の女性は二人いる.
同じ顔に,同じ服に,同じ背丈.
みゆはまだ夢の中にいるのかと,何度もまばたきした.
「今日からお世話させていただきます,メイドのディアナです.」
「エルです.私たちは双子です.」
やっと合点がいって,みゆは「よろしくお願いします.」とあいさつを返した.
くすぐったそうに,双子はくすくすと笑い出す.
「腰の低い方なのですね,ミユ様は.」
「ライクシード殿下は,そういうところが気に入られたのでしょう.」
何の話か理解できないみゆを置いて,双子は朝食を用意しますと言って,寝室から出ていった.
「何だろう?」
みゆはベッドから降りて,鏡台の上にある着替えを取る.
つかんだとたん,布の肌触りのよさに,ぎょっとした.
すべらかな光沢の,正真正銘の絹の服である.
もちろん,みゆは生まれて初めて手に取る.
こんな服を用意してくれるとは,神聖公国は相当に豊かな国のようだ.
やぶれたら怖いので,慎重にそでを通して着替える.
寝室から出ると,居室では大勢のメイドたちが待っていた.
さすがに今度は,同じ顔ではない.
しかし双子を含め十人以上のメイドに見つめられて,みゆは絶句した.
「おはようございます!」
「どうぞ朝食を召し上がってください!」
全員が満面の笑みで,食事を勧める.
「はい,いただきます.」
ギクシャクと返事をして,みゆはダイニングテーブルの席についた.
すると,
「パンにバターを塗ります!」
「甘いジャムもありますよ?」
「お紅茶はいかがですか!?」
メイドたちが一斉に接待を始める.
彼女たちの迫力に押されて,みゆはナイフとフォークを手に取ることすらできない.
「あの,」
と,かわいらしい声を出して,一人のメイドがずずいと顔を近づけてきた.
「ライクシード殿下とは,どこで出会われたのですか?」
こっそり教えてくださいと,小声でささやく.
「年はおいくつなのですか?」
別のメイドも顔を寄せてきた.
「きれいな髪ですね.いつから伸ばされているのですか?」
「どこから来られたのですか? ご家族は? ご親せきは?」
あちこちから質問が飛んでくる.
「私は十九歳です.」
とりあえず無難な質問に答えると,彼女たちはきゃぁっと盛り上がった.
「もう十九歳ということは,結婚は早い目の予定ですね!?」
「はい?」
結婚? 誰と?
「ドレスはどのようなものにしましょう!?」
「アクセサリーは,髪の結い方はどうなさいますか?」
「私たちメイドにも祝福させてください!」
「ちょっと待って! 落ちついて!」
メイドたちの早合点に気づいて,みゆは口をはさむ.
彼女たちは,みゆをライクシードの恋人だと思いこんでいるのだ.
「勘違いしないで! 私はライクシード殿下とそういう関係じゃないから!」
力いっぱい否定するが,メイドたちは本気にとらない.
「ご謙遜なさらなくて結構ですよ.」
「私たちはあなたの味方ですから,どうぞ安心なさってください.」
安心できるわけがない.
こんな妙な状況をウィルが知ったら,みゆは怒られてしまう.
ウィルは独占欲が強くて嫉妬深いと,スミに忠告されているのに.
いや,みゆとしては独占されても一向に構わない,……むしろうれしい.
みゆの思考がとんちんかんな方向に行き始めたとき,コンコンと扉をノックする音が響いた.
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