水底呼声 -suitei kosei-

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  2−9  

緑で覆われた山の斜面に,ぽっかりと大きな穴が開いていた.
「ここが,」
少し先を歩くスミが,振り返ってしゃべる.
「496年前に俺たちの祖先,カリヴァニア王国の民が通った洞くつです.」
ウィルの背から降りて,みゆは洞くつを観察した.
洞くつの入り口は広く,大人五人が肩を並べて歩けるほどだ.
真昼の日差しが明るく,洞くつの中も照らしている.
「この洞くつの向こうが神聖公国です.」
ただ掘っただけの洞くつに見える.
天井を支える木枠も網もないので,今にも土が落ちてきそうだ.
「けれど神聖公国へ行くことはできません,カリヴァニア王国に来ることはできても.」
まるで観光ガイドのように,スミは解説をする.
「つまりこの洞くつは一方通行なのです.」
スミが両手を,洞くつに差し入れる.
「ほら,こちら側からでは入ることができないのですよ.」
何もない空間に,少年の両手はぺたりとついた.
「え? 本当に?」
みゆには信じられない.
スミは目に見えない“壁”を押している.
「ウィル先輩,」
壁を押したままで,スミはウィルに意味深な視線を送った.
「これって魔法ですよね? 先輩なら,どうにかできるのではないですか?」
ウィルは特別な血を持つ魔術師だ.
いや,神の一族というべきか.
「実はちょっとだけ期待していたのですよ.だから洞くつへの寄り道を提案したのです.」
確かにウィルならば,洞くつの壁を壊すことができるのかもしれない.
みゆも期待してしまう.
黒の少年には,不可能なことはあまりない.
ウィルは,静かに口を開いた.
「無理だよ.」
左手を透明な壁につけて,確かめるようになでる.
「この結界は硬い.僕にはどうすることもできない.」
ウィルはナイフで壁を突いたが,何ごとも起こらなかった.
「ですよね.魔法でどうにかなるのなら,カイル師匠が先にやっていますよね.」
スミは落胆のため息を吐いた.
きっと過去に多くの人々が,結界をやぶろうとしたのだろう.
そして果たせずに,今に至るのだ.
みゆは,少年たちと同じように虚空に手を伸ばす.
おそるおそる歩を進め,透明な壁を探した.
カリヴァニア王国の民をこばむ結界.
どのような感触がするのだろうか.
なのに,壁がない.
両手を前に出したまま,みゆはいつまでも歩き続ける.
あれ? と感じたとき,
――ミユ!?
悲痛な叫び声が,背中を打った.
振り返れば,壁にさえぎられた黒の少年が叫んでいる.
「あ,」
私は,壁を通り抜けた!?
それ以上は何も考えられずに,みゆは少年のもとへ駆け戻る.
半身をもがれたような痛みが足を動かし,
「ウィル!」
たどり着けば,腕の中に捕らわれる.
「ミユちゃん……,」
震える少年の声,みゆはぎゅっと抱きしめ返した,そのとき,
「スミ,よけろ!」
唐突すぎる浮遊感に,息をのむ!
どすどすどすと巨人が足を踏み鳴らすような音がして,土の地面に何本もの矢が突き刺さる.
ウィルに抱きかかえられて横に飛んだみゆは,間一髪のタイミングで危機を逃れたことを悟った.
しかし,
「ここにいて.絶対に動かないで.」
少年の声が緊張を帯びる.
地面に降ろされたみゆは恐ろしさのあまり,へなへなと座りこんだ.
四人の無表情な男たちに囲まれている.
男たちの手には白刃,人間を傷つけ殺すための道具.
みゆをかばう少年の手にも,いつの間にか剣が握られていた.
電光石火!
一人の男が少年に向かって踏みこむ,鮮やかに飛び散る深紅.
金属同士のぶつかる音が重なり,少年が男たちに包まれる.
「ウィル!」
みゆのそばにも,赤い血が飛んでくる.
この血はウィルのものなのか,敵のものなのか.
震える両手を握りしめて,みゆはじっと目をこらした.
どうか無事でいて――!
「無知を恥じるべからず,知は神の技である.」
みゆの心にこたえるように,少年の声が聞こえる.
「神は光り輝く天上におわしまし,我らに哀れみを与えたもうた.」
大きな男たちのすき間から,神に祈りをささげる聖者の声が.
「光あれ!」
雷にうたれたかのように,男たちは一斉に倒れた.
みゆの視界に戻ってきた少年は,にっこりとほほ笑む.
「殺してないよ,眠らせただけ.」
みゆが心配している内容を,少年は勘違いしているようだった.
そしてウィルは,視線を横に向ける.
みゆが視線の先を追いかけると,
「しつこいですよ!」
若草色の髪の少年が,素手で一人の大男と戦っていた.
「いい加減,倒れてください!」
相手の長剣をかいくぐり,懐に入ってはこぶしを打ちつける.
「スミ君!」
だがみゆが心配するまでもなく,少年は足を大きくけり上げた!
飛ばされる巨漢の身体,スミの倍以上の体重がありそうなのに.
落ちついて観察してみれば,少年のそばには,すでに敵がもう一人倒れていた.
戦い終えたスミは「あー!」と大声を上げて,ウィルを指差す.
「ひどいですよ,先輩! 俺の剣を勝手に取って!」
ぷんぷんと怒りながら,ウィルに詰め寄る.
「おかげで手こずったじゃないですか!」
ウィルが謝って剣を返すと,スミはぶうぶうと口をとがらせながら受け取った.
どうやらウィルは矢が飛来してきた瞬間に,スミの剣を盗んだらしい.
みゆは二人に「けがはないか?」と問おうとして,やめる.
けがどころか,二人は汗を見せず,息も切らせていない.
みゆは恐怖で腰を抜かしたのに,少年たちは余裕だったのだ.
六人の刺客を,あっという間にやっつけてしまった.
立ち上がれないでいると,ウィルが当たり前のように抱き上げてくれる.
「怖かった? ごめんね,ミユちゃん.」
心配そうに,みゆの顔をのぞきこむ.
「次からは,君の見えないところで戦うよ.」
過保護な少年に,みゆはぶんぶんと首を振った.
「けがをしないで! それだけでいいの.」
ウィルは不思議そうに目を丸くする.
「了解です.」
スミが明るく笑い,ウィルも「気をつけるよ.」とほほ笑んだ.
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