水底呼声 -suitei kosei-

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  2−2  

「ごちそうさまでした.」
食事を終えたみゆは,いつもどおりに手を合わせる.
ウィルは相変わらず上機嫌で,みゆを眺めていた.
「ミユちゃんは,どんな神様を信じているの?」
「え?」
突拍子のない質問だ.
「私は何も信仰していないわよ.」
「いつも食事の前後にお祈りをしているでしょう,それはどんな神様なの?」
「これは,あいさつみたいなもので,」
みゆはほとんど,くせのように,“いただきます”も“ごちそうさまでした”も言う.
「神様に祈っているわけではないわ.」
「あれ? そうなの?」
少年は不思議そうに首をかしげた.
「おかしいな.異世界の神様を信仰する女性を召喚していると聞いたのに.」
「そんな理由があったの?」
ただ偶然に選ばれたと思っていた.
しかしみゆは,神も仏も特に信じていない.
大学合格を祈願して,神社に参拝したこともないはずだ.
だが,神社という単語で思い出す.
父親の親せきに,神主がいたような気がする.
ほとんど血のつながりのない遠い親せきだったと思うが.
「神主さんの親せきがいるからだったの?」
「多分ね.」
ウィルは,あいまいにうなずいた.
「神様の呪いは,別の神様を信じる人たちの血によってあがなわれるんだ.」
「呪い? 血?」
えらく物騒な話だ.
みゆの手をつかんで,少年はにっこりとほほ笑む.
「ミユちゃんには,ミユちゃんにしか使えない魔法がある.」
細い手首の,血管の浮き出る場所に口づけを落とす.
「四年後に海の底に沈む,このカリヴァニア王国を救うのが君の魔法だよ.」
前に少年に,魔法はどのようにして使うのかと聞いた.
少年は答えた,魔法は血で使うのだと.
「私が,魔法を使うの?」
つまりみゆたち日本人は,王国の救世主として召喚されたらしい.
だから城での待遇がいいのだろう.
立派な客室,豪華な食事,専属のメイドまでついている.
しかし四年後に水没すると言われても,まったく真実味がない.
そもそも海はどこにあるのだろう,潮のにおいをかいだことはない.
「でも明日には地球へ帰るのに,何も言われてないわ.」
少年は楽しそうに,くすくすと笑った.
「魔法の準備はしているのだよ.」
みゆの腕を引き寄せて,抱きしめる.
「十日間,この世界の大気に触れて,この世界の食べものを口に入れたでしょう?」
「それが準備だったの?」
「うん,なじませる必要があるんだって.」
少年の腕の強さに,みゆはなぜか不安になってきた.
「それから魔法を使うのは僕.ミユちゃんの血をもって呪いをはらう.」
「私の,血?」
首筋に少年の唇を感じて,ぞくっとする.
「私の血が,どれだけ必要なの?」
声が情けないほどに震えた.
血のにおいをさせる少年,ナイフだらけの部屋,城の人たちのおびえた態度.
「この首を流れる血のすべてが,」
ぺろりとなめられた瞬間,恐怖が爆発した!
「嫌!」
腕をつっぱって逃れようする.
けれど力ずくで,ベッドに押し倒された.
「僕が怖い?」
ひえびえとした声が降ってくる.
黒い猫が,悲しそうに笑っている.
私は殺される?
海の底に沈む王国を救うために?
ウィルの手で?
「ウィルが,私を殺すの?」
声に出したとたん,恐怖よりも悲しみが大きくなった.
ウィルが,私を……?
好きだよと何度もささやいてくれたのに,
「ちがうよ.」
少年はあっけなく否定した.
しかもいたずらが成功した子どものように,無邪気に笑い出す.
みゆはぼう然として,まばたきをした.
目じりにたまっていた涙が落ちる.
「君は殺さない.」
少年の手がほおの涙をぬぐい,みゆの眼鏡を外す.
「好きだから.大切だから,国王陛下の命令よりも.」
瞳にキスをして,切ないほどの笑みを見せた.
「私は,殺さない?」
みゆは,少年の言葉を繰り返す.
そしてあることに気づいて,腕の中から逃げ出した.
「私以外は!? 去年までに,この世界に来た人たちは,」
「僕とカイル師匠で殺した,」
あっさりと,少年は答を告げる.
「王国を救いたいドナート陛下のために.」
「うそ.」
――十日後に,故郷のチキュウへ帰そう.
何かをごまかしているような,国王のほほ笑み.
恋に目隠しされて,みゆはすっかり忘れていた.
何のために召喚されたのか.
ウィルは何者なのか.
「ウィルの仕事は何なの? 黒猫って何をするの?」
声が震える,知りたくない.
「王国の水没を知った人,――裏切り者の暗殺と,」
言わないで,聞きたくない.
「チキュウの人をいけにえにささげるのが,僕の仕事だよ.」
みゆたちが召喚されたのは,殺されるため.
過去に,十四人もの日本人女性が殺された.
田中和恵も加賀由美子も柳田沙織も佐伯晶子も,殺された.
目がからからに乾いて,涙が出ない.
頭が,がんがんする.
何,それ? 理解できない,したくない.
震えていると,少年が優しく抱きしめて,背中をさすってくれた.
なのに,ちっとも暖かくならない.
この手で,どれだけの人を手にかけたのだろうか.
聞いたら,きっと簡単に教えてくれる.
だから聞けない.
これ以上,聞きたくない.
王宮の人たちの,ウィルに対する態度がよく分かった.
少年は,
――僕は,国王陛下の黒猫だから.
国王直属の暗殺者.
不思議な魔法を使う,特別な存在.
「お願い.離して,ウィル.」
そばにいないで.
懇願すると,すぐに少年は離れた.
失われた熱に,みゆはすがりたくなる.
けれどみゆの手を止めたのは,あの大量のナイフ.
ウィルの部屋は,狂人が住むような異常な部屋だった.
少年は人殺し.
でも,みゆは殺さない.
「私はまた,一人だけ助かってしまった.」
同じ車両で事故にあったのに,姉は死んで,私は生き残った.
十四人もの日本人が殺されたのに,私は殺されない.
そして私が殺されないと,この王国が海に沈む.
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