水底呼声 -suitei kosei-

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  1−15  

血を浴び続けてきた.
幼いころから,ずっと.
「お前はもっとも神に近く,もっともけがれた血を持つ.」
カイルの言葉から,自分は存在してはいけない子どもとウィルは悟った.
「生を許されぬお前が生きるためには,せめてけがれた存在にならなければならない.」
だから少年は人を殺す.
自身と神を遠ざけるために,人としての幸福を甘受しないために.
「わが祈りを聞きとげよ.」
呪文の詠唱とともに,魔法陣の中心に立ついけにえのひざが,がくがくと揺れ始める.
こらえきれずに,前のめりに倒れた.
顔とひざを強打したのではないだろうか.
思わずしてしまった無用の心配に,少年は呪文を途切れさせる.
けれど心を閉ざして,仕事を続けた.
「我は神の血に連なる者,名のないラートの末えい.」
二,三度,きゃしゃな体がけいれんする.
真っ赤な血液が,どろどろと流れ出してきた.
「しょく罪の血を受け止めよ.」
特別な娘たちの血を.
カイルが言った,地球の娘たちの命によって王国の罪はあがなわれるのだろうと.

流れ続ける大量の血液から,国王ドナートは目をそらす.
あっけなく儀式は完了し,いけにえの娘は死んだ.
彼女は少しも抵抗しなかった,ここまで抵抗しないいけにえは初めてだった.
相手がウィルだったからだろうか.
この部屋に来る前にウィルが彼女と何を話したのか,国王は知らない.
少年はためらわなかった.
さすが黒猫と,ほめるべきなのか.
だが,そんな気持ちにはなれない.
こんなにも簡単に,人が死んでもいいのか.
こんなにも簡単に,人を殺してもいいのか.
疑問ばかりが渦巻いて,けれど.
国王は死体に顔を向けた.
嘔吐感をこらえて,しっかりと心を保つ.
この王国に住む国民十万の命を守るためならば!
赤い血の海に,長い黒髪が散らばる.
衣服から出ている細い手足は,日の光を浴びたことのない者のように白い.
むせ返るような血のにおいに酔ってしまいそうだ.
魔法陣の縁に立っている少年は,ぼう然と恋人の死体を見ている.
昨日まで愛をささやいていた恋人の死体を.
いきなり少年の体が,ぐらりとかたむいた.
「ウィル,」
国王が駆けつけるよりも先に,カイルが少年の胸倉をつかむ.
「しっかりせんか,このばか者!」
強烈な平手打ちに,少年は血の海にびちゃんとしりもちをついた.
「あ,」
夢から覚めたように,少年は目を見開く.
いまだ何も分かっていない子どもの瞳.
ほおについた血が,少年の顔をよりいっそう白く見せる.
黒衣が血に染まっていく.
離れたくないと願う,娘の怨讐のように.
「立て.」
カイルの厳しい声に,しかし少年は立てないでいた.
床についた手は,血にまみれている.
それをまじまじと観察すると,少年は両手で口を押さえて吐き出した.
「ミ,ユ…….」
げえげえと,今朝の食事を出していく.
誰も何もできないでいると,
「先輩,」
スミが駆け寄って,ウィルの腕をつかんで立ち上がらせた.
「部屋に戻りましょう,儀式は終わったのですから.」
血と吐しゃ物で汚れた黒猫を,出入り口の扉まで引っぱっていく.
「待て!」
部屋から出て行こうとする少年たちに,カイルがどなり声をたたきつけた.
「あいさつもなしに,陛下の御前から退去するな.」
話を振られて,国王はうろたえる.
懇願するようなスミの目と,死んだ魚のようなウィルの目がドナートを見つめた.
「いや,いい.すぐに戻りなさい.当分の間,休んでいなさい.」
言い終えないうちに,スミはウィルを引きずるようにして出て行く.
それを無礼だと,とがめる気は起きなかった.

日が昇り,そして沈む.
死んだ彼女はかえらない.
スミはウィルを担いで,王宮内にある自分の部屋へ戻った.
服を脱がせて,汚れた体をぬれた綿布でふいてやる.
新しい服は,少し窮屈かもしれないが,スミの服を着せた.
ウィルはなされるがままで,目はどこも見ていない.
少年は壊れてしまったのだ.
誰よりも大切な恋人を,自分の手で殺したせいで.
「先輩,」
人間らしい感情どころか心までなくした少年に,スミは途方に暮れる.
――彼女は僕のもの.
ウィルが,ものや人に執着するのを初めて見た.
その結果が,この状態である.
「自分の部屋に戻って休みますか?」
聞いても,黒猫は反応を返さない.
「なら,俺の部屋で休みましょう.そうだ,何か飲みものを持ってきますね.」
努めて明るく振る舞って,スミは部屋から出て行く.
そして帰ってきたとき,黒猫の姿はなかった.
「先輩?」
部屋中を捜し回って,スミは一通の置手紙を見つける.
――ミユちゃんのそばにいる.僕にかまわないで.
一瞬,後追い自殺でもするのかと考えたが,すぐに考え直す.
黒の少年は,城の裏手にある墓地へ行ったのだ.
そこにはいけにえの娘たちが,秘密裏に手厚く葬られている.
罪なく殺された彼女たちに対する,せめてもの謝罪の碑であった.
スミは置手紙を隠して,恋人の死をいたむウィルの邪魔をするまいと心に決める.
国王も,休んでいなさいと言ったから,黒猫に仕事を与えないだろう.
しかし一晩たっても二晩たっても,ウィルは帰ってこない.
三日目,ついにスミは黒猫を捜すことにした.
いけにえたちの墓地,ウィルの自室,ウィルがみゆと二人でよく登った塔の上.
どこにも少年はいない.
念のため,王都の街中も捜したが無駄だった.
通っていた娼館にも,ひいきにしていた武器屋にも,気配すらない.
「そんな…….」
スミはウィルの失踪を,カイルに伝えた.
彼は苦々しい顔をして,少年にたずねる.
「いけにえの監視は,ぬかりなくやったのだろうな?」
「今はそれどころじゃないですよ.先輩は自殺したのかも,」
はたと記憶が立ち戻る.
いけにえの監視,古藤みゆの見張り.
「あ,」
世界が色を変える.
スミはウィルに裏切られたのだ.
――明日,完全に僕だけのものにする.
「そういうことだ.」
カイルは吐き捨てるように言うと,国王に報告するために立ち去った.

カリヴァニア王国北方に位置するドンク村.
この村唯一の宿屋に,ひさしぶりに客が入っていた.
金払いがよく礼儀正しい客人を,おかみも主人も心から歓待した.
「このシチューなら,おなかに優しいわよ.」
おかみがシチューの入った深皿を手渡すと,黒髪の少年はにっこりとほほ笑む.
「ありがとう.」
トレイにシチューやパンをのせて,ウィルは階段を上がる.
二階の部屋では,少年の大切な恋人が魔法の眠りから,そろそろ目覚めるはずであった.
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