水底呼声 -suitei kosei-

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  1−10  

「リートは俺の親友だった.けれどあいつは,いきなりいなくなって……,」
兵士の男は,気づかわしげな表情になる.
「リートかアキコに,チキュウで会ったことはないか? 元気でいるのか心配なんだ.」
彼は友人の安否を確かめたいようだ.
今まで,みゆのそばにウィルがいたために話しかけられなかったのだろう.
「ごめんなさい.会ったことはないです.」
異世界へ行って帰ってきたとテレビで報道されれば分かっただろうが,さすがにそんなことはない.
「そうか.」
兵士はあきらめたように笑う.
最初から,あまり期待していなかったのかもしれない.
「なぁ,異世界から女性を呼ぶ理由を知っているか?」
彼は質問を変えた.
それはみゆも,――みゆこそが知りたいことだった.
「知らないです.私が教えてほしいぐらいです.」
彼はあごをなでて,少しの間考えこむ.
ちらりちらりとあたりをうかがってから,口を開いた.
「黒猫から聞き出せないか? 君はウィルの恋人だろ?」
せりふの後半に,みゆはずきりと傷つく.
本当に恋人ならば,あんなにあっけなく手のひらを返すことなどしない.
「女性をチキュウへ帰すのは,黒猫の仕事だ.だからウィルは理由を知って,」
思考が中断され,どくんと胸が鳴った.
「ウィルの仕事?」
みゆを地球へ帰すのは,少年の仕事?
そのようなことは聞いていないし,少年はいつも秘密だよと笑う.
「知らなかったのか?」
兵士がこわばった顔で,聞き返す.
「ウィルは,どんな仕事をしているのですか?」
地球へ帰らなくていいとささやきながら,少年の仕事はみゆを地球へ帰すこと?
矛盾していないか? それとも,仕事をさぼっているのか?
ウィルは何を考えている.
「それは,」
彼は答えるのをためらった.
「黒猫の仕事は,」
「テア・テレーゼ準近衛兵!」
第三の声に,みゆと兵士はびくっと震える.
顔を向けると,いく人かの騎士を連れた,壮年のやせた男が立っていた.
「国王陛下.」
顔を蒼白にして,テアと呼ばれた兵士はひざをつく.
みゆは驚いて,国王の顔を凝視した.
何度も面会を申しこんでは断られた国王と,このように出会うとは思わなかった.
「勤務時間中におしゃべりとは,感心できない趣味だな.」
テアは言葉もなく,頭を下げる.
彼の肩が,小刻みに震えていた.
ツィムがウィルにとがめられたときのような,異様な空気が流れる.
黒猫の正体は,この城のタブー.
けっして口にしてはいけない.
「陛下.」
みゆはテアをかばって,前に進み出た.
「申し訳ございません,私が彼に話しかけたのです.」
国王の顔を,まっすぐに見つめる.
ちょうどいい,彼には聞きたいことがたくさんある.

国王は黙って,みゆの顔を見つめ返した.
つやのある黒色の長い髪,眼鏡の奥のきついまなざし.
やせすぎな体は骨ばって,枯れた木の枝のような腕の細さだ.
そのような細腕で,何ができるのか.
しかし彼女の瞳には,けっして飼い慣らされない意思の強さがある.
「国王陛下,聞いてもよろしいでしょうか?」
言葉づかいはていねいでも,その瞳が裏切っている.
「なぜ毎年,地球の女性を呼び寄せるのですか?」
冷静を装いながら,苛烈な気性を持つ異世界の娘.
「お客人よ,何を心配している?」
国王は無理やりに,友好的な笑みを作った.
「四日後に地球へ帰すと,約束したではないか?」
「十日間で帰すのならば,なぜ召喚したのですか?」
話をそらすな,と切り返す.
「あなたには関係のないことだ.」
国王は辛抱強く笑った.
「いいえ,私は当事者です.今,この城の中で不当に拘束されている.」
みゆは冷ややかな声で,国王を責める.
「事情を聞く権利があるわ.」
「小娘が,」
ぎりりと歯を鳴らし,国王はみゆをにらみつけた.
「国王である私に意見する気か!?」
彼女は視線をそらさない.
真っ向から,国王の声を受け止める.
「私はあなたの臣下ではないの.」
倒すべき敵を得ることによって,きらきらと輝く漆黒の瞳.
「ひざを折る義理も,命令に従う義務もないわ!」
「この女を地下へ連れて行け!」
国王の我慢の緒が切れる.
「チキュウへ帰すまで,牢から出すな.」
それほどに,彼女は国王の痛いところを正確に突いた.
なぜ地球の女性を,この世界に召喚するのか.

「しかし陛下,」
命令を実行すべき騎士たちはとまどう.
か弱い女性を暗く冷たい石牢へ連れていくのは,良心がとがめた.
「何を隠しているの?」
牢に入れるとおどされても,彼女の追及の手は止まらない.
「勝手に私を,こんな世界に連れてきて!」
「黙れ! これ以上,口を開くな.」
つばを飛ばして,国王がどなる.
騎士たちが遠慮がちに,みゆに手を伸ばしたとき,
「落ちついてよ,陛下.」
ふわりと大気が揺れた.
音を立てずに,黒い影が現れる.
「ミユちゃんを牢に入れて,ほかの人たちにどんな説明をするの?」
黒の少年が,彼女の前に立つ.
表情に余裕がない.
いつも笑っている黒猫が,笑っていなかった.

「ウィル,」
信じられないと,国王は目を見張る.
黒猫の少年といけにえの娘が二人でいる様は,ドナートに衝撃を与えた.
ぴったりと寄りそうように,二人は同じ雰囲気を持っている.
静かで,孤独な夜の瞳.
少年はあきらかに,彼女をかばっていた.
国王から守っていた.
「私を裏切るのか?」
声が震える.
赤ん坊のころから知っているウィルを,殺さなくてはならないのか.
異世界から召喚した娘たち,神の呪いを知った大臣,いけにえを逃がそうとした兵士.
どれだけの血が,王国の存続には必要なのか.
「ちがうよ,陛下.」
少年はくすくすと笑い出す.
「ミユちゃんを地下牢に入れると,面倒なことになると言いたいの.」
少しずつ熱の引いてきた国王は,少年の言わんとすることに気づいた.
客人として遇していた娘を,いきなり牢へ入れることはできない.
そのようなことをすれば,城の者すべてから不要なせん索を招くだろう.
「メイドのツィムちゃんは自分も牢に入れろと言い出しそうだし,料理長のバースさんは牢までお菓子を差し入れに行きそうだ.」
少年はますます,おかしそうに笑う.
みゆは積極的に,城の者たちと交流している.
彼女が牢に入れられれば,彼らは国王にみゆを開放するように願い出るだろう.
それどころか,牢から逃がそうとするのかもしれない.
「ウィル,……笑うな.」
彼女は,儀式で殺されるいけにえなのに.
「うん,分かった.」
にこにこと笑いながら,少年は了解する.
国王は視線で,青ざめた顔でひざをついている兵士を示した.
少年も,テアをのぞきみる.
裏切り者の暗殺,――王国の未来を勘ぐる者の始末が,黒猫の仕事だ.
それ以上は何も言うことができず,国王は騎士たちを従えて立ち去った.
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