水底呼声 -suitei kosei-

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  1−11  

「ウィル,離して.」
国王が去った後,みゆは少年に手を引かれて,廊下を早足で歩いていた.
「どういうことなの?」
手をほどこうとするが,少年の力は意外に強くて振りほどけない.
すれちがうメイドたちが,何をやっているのですかとじろじろと眺めてきた.
「私は,まだ国王に聞きたいことがあるの,」
国王は何かを隠している.
そしてウィルも…….
「ねぇ,何を隠しているの?」
少年はくるりと振り向いた.
にっこりとほほ笑んで,
「きゃぁあ!」
軽々とみゆを抱き上げる.
「舌をかまないでね.」
涼しい顔で忠告をしてから,ウィルはほとんど駆け足のスピードで廊下を進む.
「降ろしてよ!」
どこにそれほどの筋肉がついているのか,少年にはみゆの重さが苦にならないようだった.
みゆの方は恥ずかしいやら,恥ずかしいと感じていることが恥ずかしいやらで,パニック状態である.
部屋までたどり着くと,ウィルはみゆを降ろした.
扉をノックし,メイドのツィムを呼び出す.
「おかえりなさいませ,ミユ様.」
ツィムが扉を開けたとたん,ウィルはみゆを部屋の中へ押し入れた.
「ちょっと,ウィル!?」
みゆの抗議の声を無視して,少年はツィムに話しかける.
「ツィムちゃん,ミユちゃんを部屋から出さないで.」
「え? なぜですか?」
少女がとまどってたずねると,ウィルは,どきりとするほどにまじめな顔になった.
「ミユちゃんは,国王陛下のお怒りを買ったんだ.」
「なっ,」
ツィムは真っ青になって,みゆの体にしがみつく.
「なぜミユ様が?」
「後で説明する.」
黒の少年は,いつもの調子でほほ笑んだ.
「僕は行かないといけないから,彼女は頼んだよ.」
そして風のように去っていく,行き先を告げずに.
「待って,ウィル.」
追いかけようとしたみゆの腕を,ツィムがつかんで部屋の中へ引きずり入れた.
ばたんと扉を閉めて,しっかりとかぎをかける.
「何があったのですか?」
涙をたたえた目で,少女は問うた.
「何って……,」
妙な罪悪感が,みゆをとらえる.
今,ツィムはおびえきっていて,先ほどまでウィルは廊下をあわてて駆けてきた.
――みゆを守るために.
「国王と話して,……その,口論になったの.」
「なんということを!」
少女は目に見えて震え出す.
「牢に入れると言われたわ.」
ことの重大さを,みゆはやっと理解した.
われながら恐れ知らずなことをしたものだ,ここは専制国家なのに.
国王の意思が何よりも優先される.
憲法も法律もないだろう,議会も裁判所もないのかもしれない.
異邦人のみゆが権利だの何だのさけんでも,意味がない.
ウィルが助けなければ,牢に入れられただろうし,あの場で殺される可能性もあった.
ぞくりと体を震わせて,みゆはわが身を抱く.
ここが日本ではないことが,徐々に頭に染みこんできた.
ツィムは扉にかぎをかけたのを,目で確認する.
次に窓に駆け寄り,カーテンをぴったりと閉める.
そして思いつめた顔で,みゆが普段勉強している木製の机を持ち上げようとした.
「ツィム,何をやって,」
「ミユ様,そちらを持ってください.」
言われたとおりにして,二人で重い机を持ち上げる.
えっちらおっちらと運び,扉の前に据え置いた.
「あなたは私が守ります.」
少女の瞳に決意の光が見えた.
「あなたが私を守ってくれたように.」
「ごめんなさい.」
申し訳ない気持ちが,あふれ出してくる.
年下の少女を,こんなにも心配させている.
「ありがとう.」
目の前にいるツィムが,抱きしめたいほどいとしく思えて,みゆはほほ笑んだ.
「いいえ.私は何もやっておりません.」
少女は真っ赤になって,首をぶんぶんと振る.
「ウィルにもお礼を言わないといけないね.」
みゆは,ぽつりとつぶやいた.
ウィルとツィムには感謝しているが,みゆは国王に謝罪するつもりはない.
どんな事情があるのか知らないが,彼はみゆを城に閉じこめている.
しかも都合が悪くなると,暴力によっておどした.
そんなひきょうな男に屈するのは嫌だ.
絶対に頭を下げるものか.
ゆらりと,体の中の炎が揺れる.
プライドが高いことを,みゆは十分に自覚していた.
けれどみゆが反抗することによって,ウィルやツィムに迷惑がかからないだろうか.
国王から罰を受けないだろうか.
それならば,……自分のプライドはどうでもいい.

人払いをした後で,国王は先代の黒猫であるカイルに命令を下した.
「ウィルを殺せ.」
情けないことに,声が震えている.
どうして自分はこんなにも,覚悟ができないのか.
王国を守るためならば,何でもすると決めたのに.
「承知しました.」
「いや,待て.」
ドナートは,カイルの返答にあせってしまった.
止めてくれるか,拒否してくれるかを期待していた.
そして期待していたことに,今の自分のせりふで気づいた.
「カイル,お前はいいのか? お前が育てた子どもだぞ.」
口の中が苦い.
吐き出してしまいたい.
「歯車が狂いました.」
カイルは無表情に言う.
「ウィルは誰よりもけがれた存在でなければ,生きることは許されません.もはや殺すしかないでしょう.」
「ひどいことを言うな!」
自分の先ほどの発言を忘れて,ドナートはさけんだ.
「あの子を殺すな.」
赤ん坊のころから知っている.
あまり泣かずに,笑顔ばかりを見せる子どもだった.
めずらしい菓子が手に入ると,こっそりと手渡した.
ベッドの中で絵本を読み聞かせたこともある.
息子のように,かわいがってきた存在なのだ.
「ウィルは,いけにえを牢に入れろという命令に逆らいました.」
それは本来ならば,許されない行為.
「不問に付す,たいした問題ではない.」
「去年のリート・カズンと,同じことをするのかもしれません.」
どくんと,自分の鼓動の音がやけに響いた.
「足手まといになるいけにえを連れて,監視されている城から逃げられるわけがありませんが.」
カイルは淡々としゃべるが,国王の胸はどくんどくんと痛いくらいに鳴る.
晶子を連れて逃げたリートを,殺したのはウィル.
みゆを連れて逃げるウィルを,殺すのは…….
嫌だ,そんな光景は見たくない.
けれど少年と王国をはかりにかけたとき,国王の心は王国にかたむく.
かたむかなくてはならないのだ.
「ウィルが城から逃亡しようとしたときは,殺せ.」
声が,自分の発したものではないように遠い.
「それ以外のときは,何もするな.」
「陛下,」
不服そうな顔をするカイルをにらみつける.
「ウィルはまだ王国を裏切っていない.今年の儀式はカイル,お前がやるのだ.」
「儀式は,ウィルにやらせます.」
「なぜ!?」
なんという残酷なことを.
「ウィルがミユを殺せなければ,私が儀式を遂行し,ウィルも殺します.」
国王は言葉を失う.
「彼女を殺せなくなるほどの変化は,私が許しません.」
なぜカイルはウィルに,このような憎しみをぶつけるのだろう.
国王には,カイルが何を考えて少年を育てているのか理解できない.
名前もつけずに,――ウィルと呼び名をつけたのは国王だ,人を殺す方法だけを教える.
不幸になる道だけを与える.
「ならば,せめて儀式のときまで,ウィルを自由にさせてやれ.」
カイルは答えずに,一礼して部屋を辞した.
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