水底呼声 -suitei kosei-

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  1−6  

「陛下ぁ,お腹すいたよ.」
朝食を食べる国王ドナートのそばで,黒猫の少年は情けない声を上げた.
少年を呼び出した国王は,じろりと少年の顔をにらみつける.
「さっさと用事を済ませてよ.僕も朝ごはんが食べたい.」
ドナートとウィルの関係が主君と部下である以上,食事をともにすることはない.
今も国王はテーブルについているが,少年は彼のそばに立っているだけだ.
「ウィル,」
いい加減,文句に耐えかねて,ドナートは口を開いた.
こういうところが,カイルから甘いと言われるのだと分かっているが.
「カイルから聞いた,いけにえと会っているそうだな.」
「うん.ミユちゃんとは毎日,一緒にいるよ.」
少年はあっけらかんと肯定した.
「私を,――王国を裏切るつもりか?」
「なんで?」
ウィルは,不思議そうに小首をかしげる.
この子は,普通の子どもではない.
「とにかく,いけにえには近づくな.」
胃がきりきりと痛み出す.
少年の笑顔は,子どもらしく無邪気なものなのに.
「なんで?」
少年は,同じせりふで聞いてきた.
「ちゃんと,あと五日間待ってから殺すよ.」
「そういう意味では,」
ドナートは言いかけてから,やめた.
ウィルにまともな思考を期待する方が間違っている.
「ウィル,去年のいけにえを覚えているか?」
国王は,話題を微妙に変えた.
「うん,アキコさん.すごくうるさい人だったね.」
ドナートの胸が,ちくりと痛む.
少年は,死にたくないと泣きさけんだ女性を,うるさいと評価したようだ.
「リートのことも覚えているか?」
リートとは,いけにえ制度に気づき,晶子を逃がそうとした近衛兵である.
「うん,“裏切り者”になった人だね.」
そして国王の命を受けたウィルに捕らえられ,殺された.
罪悪感が,ちくりちくりと国王の胸を刺す.
いつかこの痛みが,自分を殺せばいい.
「お前が裏切ったときは,カイルに先代黒猫としての仕事を果たしてもらう.」
ウィルは,にっこりとほほ笑む.
年齢にそぐわない,すごみのある笑みだ.
「師匠が殺しをするのは,引きつぎ以来だね.」
四年前,カイルはウィルに,ほぼすべての仕事を引きつがせた.
国王の反対を聞かずに,たった十二歳の子どもに.
「お前がアキコとリートを殺したように,カイルが今年のいけにえとお前を殺す.」
そんな光景は,見たくない.
誰よりも国王が見たくない.
だからこそ強く少年をおどす.
「うん,分かった.」
けれど少年は,他人事のように適当にうなずく.
そしてのん気そうに,腹をぐぅぅと鳴らした.
「陛下,退出していい?」
「あぁ.」
うなずいて,許可を与える.
もはや食事は,のどを通らなかった.

めずらしい.
そしてめずらしいと思ってしまうことが,いまいましい.
五日目の朝,みゆは初めてひとりで朝食を取っていた.
さきほどまではウィルを待っていたが,別に約束をしているわけではないと思い,ひとりで食べているのだ.
少年がやせているだの不健康だの言うので,小さなパンを口に運ぶ.
こくりとミルクを飲みこむと,いつも向かいの席に座っている少年の笑顔が浮かんだ.
――ミユちゃん,今日はどこへ行く?
ダンっと乱暴に,コップをテーブルに戻す.
慣れていないから.
勉強ばかりで,恋なんてやったことがないから.
だから,こんなにも心乱される.
「ミユ様,」
おびえたような声をかけられて,みゆはわれに返った.
「驚かせて,ごめんなさい.」
そばに控えていたメイドの少女に,取り繕う笑みを作る.
人前での感情の発露は,みゆにとって恥だった.
「いいえ,構わないです.」
ツィムは首を振って,みゆの手を取る.
「お話があるのですが,よろしいでしょうか?」
かれんな少女の瞳が,思いつめたように揺れていた.
「いいわよ.――何?」
少女は少しためらった後で,しゃべり始める.
「ミユ様は知らないことですが,……去年,城に滞在されたアキコ様は,」
ふたりしかいない部屋で,少女はおどおどと視線をさまよわす.
自然に低くなる声が,これは内緒話と告げていた.
「恋仲になった近衛兵の方とともに,チキュウへ帰られたのです.ですから,」
知らない話ではなかったが,みゆはうなずいて,話の続きを促す.
「国王陛下にウィル様をくださるように,お願いなさってはいかがでしょうか?」
「ウィルを,もらう?」
私が……?
「私はおととし城に上がったばかりの新参者です.けれど,いつもひとりでいるウィル様が,これほどに人に優しく接しているのを初めて見ます.」
とまどうみゆの前で,ツィムの声に熱がこもってくる.
「ミユ様たちのお気持ちは,そばで見ていれば分かります.悲しそうで,でも何かが満たされているように感じられるのです.」
握られる手の熱さに,みゆはどうしていいのか分からない.
ウィルと一緒に,地球へ帰る?
――僕とずっと一緒にいよ.
ずっと一緒に……,
「私はミユ様たちを応援しています.確かにウィル様は不浄の,」
瞬間,さっと顔を青ざめさせて,少女の言葉が止まる.
小刻みに震える小さな指.
みゆは視線を巡らせて,扉に少年が立っているのを見つけた.
不吉な報せを運ぶ,黒い猫.
気配を感じさせずに,感情を読ませずに.
にこにこと笑っていても,にせものじみている.
「少ししゃべりすぎたね,ツィムちゃん.」
みゆは少年から視線を外さずに,少女の体をしっかりと抱き寄せた.
「私は,何も聞いていないわ.」
ウィルの顔を,にらみつける.
「それに今から,ツィムとカードゲームをするの.」
腕の中で,少女はかわいそうなくらいに震えていた.
「この子がいないと困るの.ルールを教えてもらわないといけないわ.」
黒の少年は,ふっとほほ笑む.
どこか愉悦に満ちた笑みで.
「ツィムちゃんがいなくなったら,ミユちゃんは悲しい?」
「悲しいわ!」
間髪入れずに,みゆはさけんだ.
少年は,仕方ないなぁと苦笑する.
「じゃぁ,僕も聞かなかったことにする.」
軽く肩をすくめてから,少年は天井のある一点を見上げた.
みゆはいぶかしんで,顔を上げる.
すると,
「俺も聞いていないです!」
と,知らない男の子の声が降ってきた.
驚くみゆに対して,ウィルは楽しそうにくすくすと笑う.
「誰なの?」
ツィムが安堵のあまり崩れ落ちそうになったので,みゆは少女の体を支えた.
「秘密.」
ウィルはひとしきり笑った後で,ふと真顔になる.
「ツィムちゃん.見逃す代わりに,僕のお願いを聞いてくれる?」
びくっと震える少女に,少年は軽い調子でしゃべる.
「その場所を譲ってちょうだい.僕もミユちゃんに抱きしめられたい.」
顔を真っ赤にさせて腕から逃げ出そうとするツィムを,みゆはあわてて捕まえた.
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