水底呼声 -suitei kosei-

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  1−5  

「われはしもべ,神の栄光にこうべをたれるのみ.」
異世界の王城へ来てから,四日目.
「御身を覆う衣を,そのかけらを恵みたまえ.」
少年の唱えた魔法の呪文にこたえて,空から雪の結晶が降ってくる.
「うわぁ,」
みゆは思わず,声を上げた.
「雪……,」
相変わらず黒い服を着た少年は,得意げにほほ笑む.
魔法は異世界でも特別な能力であるらしい.
「これが,魔法.」
足もとの花壇では,色とりどりの花が咲き乱れている.
見上げると,熱いくらいの日差しが目を刺す.
こちらの気候は,日本よりも暑く,空気がからっとしている.
当然,雪が降るような気温ではない.
雪を手のひらで受け取ろうとしても,みゆの手まで届かない.
何もないところから出現し,いく分か舞えば消えてしまう.
「すぐに溶けるのね.」
みゆががっかりとしていると,ウィルが再び呪文を唱えた.
「彼らのもとへ祝福を,彼らのほまれは御神のためにあること.」
雪が,白い花びらへ変化する.
舞い落ちる花びらを,みゆはひとつ捕まえた.
「ありがとう.」
「どういたしまして.」
少年には不可能なことが何もないようだ.
「ねぇ,魔法はどうやって使うの? 呪文を唱えれば,私にも使える?」
みゆは子どものように,わくわくする.
魔法なんて,物語の中でしか見たことがない.
「魔法は血で使うのだよ.」
花びらをつまむみゆの手を,少年は両手で包みこむ.
「ミユちゃんは異世界の人だから,僕と同じ魔法は使えない.」
そっと両手を開くと,白いチョウが飛び立つ.
羽をぱたぱたさせて,ゆらりと日差しに溶けた.
「君には,君にしか使えない魔法がある.」
甘いささやきは,恋人同士の睦言のようで.
「どんな魔法?」
でも,そんな少年の態度にも慣れた.
異世界滞在という非日常のせいかもしれない.
「秘密だよ.」
くすり,と少年は笑った.

四日間,みゆは自分なりの方法で,この世界を探った.
下働きのメイドから王宮を警護する騎士まで,できるだけ彼らとコミュニケーションをとり,さまざまな話を聞き出した.
結果,分かったことはみゆを困惑させた.
王国では毎年,十代から二十代の女性を召喚する.
その奇妙な風習は,十四年前に始まった.
召喚する理由は,国王と側近しか知らない.
話に聞くかぎり,召喚された女性は皆,日本人のようだった.
四年前の田中和恵(たなか かずえ)は泣いてばかりで,なぐさめるのに苦労した.
三年前の加賀由美子(かが ゆみこ)は明るい性格で,城の人気者だった.
二年前の柳田沙織(やなぎだ さおり)は体調を崩し,ベッドに寝たきりだった.
そして去年,召喚された佐伯晶子(さえき あきこ)は,近衛兵のひとりと恋に落ちて,王城からの逃亡を試みたと言う.
たった十日間で,そこまで恋が燃え上がるのか.
みゆが続きを促すと,教えてくれた城の調理長は肩をすくめた.
「アキコ様は美人でしたから.結局,アキコ様はウィル様に捕まって,恋人とふたりでチキュウへ帰られました.」
毎年,女性たちは十日間滞在してから,地球に帰るらしい.
みゆも十日後には帰してくれるのだろう.
「ウィルは何者ですか?」
いまや召喚された理由よりも,気がかりになっている少年の正体.
少年は城の者たちに恐れられ,魔法という特別な力を持っている.
「それは,……ウィル様は国王陛下直属の臣下ですので,私などが,……その,口にするようなお方ではありません.」
みゆがウィルと城の中を歩けば,遠巻きに視線が取り囲む.
誰も近づいてこない.
小さく悲鳴を上げて,そそくさと逃げる者もいる.
けれどみゆにとって,少年の隣は心地よい.
いつの間にか,そうなった.
しつこく付きまとわれるうちに,少年の存在を受け入れていた.
今では息をするよりも自然に,そばにいる.
少しずつ毒を盛られ,気づかないうちに死に至るように.
たった十日間で,そこまで恋が…….
みずからのせりふに,みゆは口の端をゆがめた.

「適当に断っておけ,なぜ私がいけにえと会わなくてはならない?」
海岸地帯の視察から城へ帰った国王ドナートを,不愉快な報告が迎えた.
「陛下,ミユ様は外出許可をもらいたいそうで,」
「却下だ!」
侍従の遠慮がちな言葉を,国王は遮断した.
「城から出せるわけがないだろう.」
できることなら,ひとつの部屋に閉じこめておきたいほどなのに.
国王は乱暴にコートを投げ捨てて,大きないすにどすんと腰かける.
彼の顔にはしわが深く刻まれていて,四十五歳という年齢以上に老けて見せる.
みゆはいけにえだ,この呪われたカリヴァニア王国を救うための.
呪いをはらうために必要なのは,若い女性の血.
しかもただの女性ではない,いけにえは異世界から調達するのだ.
なぜ異世界の女性がいけにえになるのか,国王には分からない.
分からないが,いけにえは十日間,この世界になじませた後で儀式で殺す.
「あと四年だ.あと四年で,王国は海に沈む.」
歯ぎしりの奥に,うなり声をしまいこむ.
この苦悩に耐えること,それが代々の国王に課せられた責務だ.
「顔を見たこともない,神のせいで.」
祖先の犯した罪をあがなうために.
このような呪いを受け入れられるわけがない.
見知らぬ世界の女性たちを人柱にささげても,その罪悪感で眠れぬ日々を過ごしても,彼には守りたいものがあった.
「陛下,」
静かに声をかけられて,国王は振り返る.
いつの間に入室したのか,黒一色の衣装に身を包んだ男が背後に立っていた.
「いけにえのことで,――それとウィルのことで話がございます.」
先代の黒猫,カイルである.
彼のまゆ根に刻まれたしわに,これもまた不愉快な報告だろうと国王はため息を吐いた.

夕やみに沈みこむ世界.
薄暗い部屋の中で,ろうそくに火をともす.
国王に謁見を断られたみゆは,夕食の後,机で勉強をしていた.
幸運にもと言うべきか,みゆはリュックを背負ったままで召喚された.
なので,筆記用具も参考書も持ち合わせていた.
地球へ帰るのならば,受験勉強はおろそかにできない.
異世界のゆったりした服や,歯ごたえのある食事や,木製のおけの風呂には慣れてきたが,ここでの生活に慣れきるわけにはいかない.
すぐに,帰るのだから.
けれどみゆの手は,どうしても止まりがちになる.
右手のこうでシャーペンをくるくる回し,ぼんやりと数学の例題問題を眺める.
意識せずに漏れるため息のつやっぽさに,自分自身でどきりとした.
――駄目だ,集中できない.
それは異世界に連れられたというトラブルのせいではない.
――情けない,予備校に来なくなった内倉(うちくら)さんじゃあるまいし!
彼氏ができたから授業をさぼっているのだ,とクラスメイトたちがうわさ話をしていた.
彼女はこのままクラスから脱落するだろう,大学に受かるわけがない,と.
みゆはシャーペンを筆箱に戻して,席を立つ.
「ミユちゃん,」
その瞬間に声をかけられて,心臓が飛び跳ねた.
「ウィル,いつからいたの?」
振り返ると,黒猫がソファーにのんびり寝そべっている.
「ずっといたよ.君の仕事が終わるのを待っていた.」
にこにこと笑う顔は,母親の帰りを待っていた子どものようにあどけない.
「夜の散歩に行こう,昼間とはちがった魔法を見せてあげるよ.」
みゆの手をつかみ,部屋から出ようと促す.
ことり,と心が動くのを,みゆは感じた.
けれどそれは,自覚してはいけない想い.
「ウィル,からかわないで.」
みゆは手を離して,軽い調子で笑った.
「私はそういうことに慣れていないの,……もう誘わないで.」
「なんで?」
不思議そうに,少年は問いかける.
「僕と一緒にいるのは嫌? でも僕はミユちゃんといたい.」
「私は,地球に帰るの.」
みゆは真剣に言ったのに,ウィルはけらけらと笑う.
「何のために? 誰が君を待っているの?」
かっと炎が燃え上がり,気づいたときには,みゆは少年のほおをぶっていた.
「びっくりした.」
揺れるろうそくの明かりが,少年の顔を照らす.
あまりにも素直に驚いているので,ただ驚いているだけなので,みゆの頭も冷静になる.
「ごめんなさい.」
たかがこんなことで,人を打つなんて…….
図星だと,みずから白状しているようなものだ.
少年はぱちぱちとまばたきをした後で,にっこりとほほ笑む.
「今夜はどこにも行かずに,部屋にいよう.」
ふわりと黒い衣が,みゆを包む.
――どこにも,帰る場所がない.
「僕だけが…….」
まわされる腕の暖かさに,何も考えられずに身を任せた.
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