宇宙空間で君とドライブを

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  8−1  

 美容院で髪を切ってもらうのは、何年ぶりだろう。両親が生きていたころ以来だから、おそらく五年ぶりくらいだ。
 ひさびさのことに朝乃は緊張しつつ、美容師の若い男性に髪を切りそろえてもらっていた。だが朝乃より美容師の方が、周囲から注目されてやりづらいのかもしれない。
「俺はこの店に勤めて、七年ほどになるけれど」
 彼は英語でしゃべる。朝乃の前にある大きな鏡の下部に、彼の話した英語と、自動翻訳された日本語が映った。翻訳機能付きの鏡らしい。
「店に、こんなに客が入ったのは初めてだよ」
 彼は感心したように言う。
「そうですか」
 朝乃は、あいまいにほほ笑んだ。よかったですねと答えていいのか悪いのか、微妙な状況だ。
 美容院の奥にあるソファーでは、ドルーアが長い脚を組んで、アンティークな紙の書籍を読んでいる。ページをめくる指が、無駄に美しい。ただ彼は朝乃の付き添いで美容院にいるだけで、読書も単なるヒマつぶしだ。
 しかしドルーアは、かっこいいポーズを崩さない。さらに手に持っているのは、おしゃれな装丁の本だ。芸能人でナルシストのドルーアは、絵になる光景をきちんと作っている。写真撮影可能な、動く彫像のようだ。
(ドルーアさんらしい、ふるまいだ。功さんは、あきれそうだけど。私もちょっとだけ、あきれているのかも)
 ドルーアは、服装も気を抜かない。今日の彼は、薄いピンクのシャツに、無地のネイビーのズボンだ。シンプルでカジュアルな装いだ。優しそうで、話しかけやすい雰囲気を作っている。
 そのドルーア目当てに、店には女性客がどんどん入ってくる。髪を切ってくれだの染めてくれだのは口実で、彼女たちの視線はドルーアに釘づけだ。
 ドルーアも分かっているので、笑顔を見せたり手を上げたりする。そのたびに女性たちは、小さな声ではあるが、きゃあきゃあと騒ぐ。美容師や従業員たちも、ドルーアを見ている。ドルーアのついでに、彼の連れである朝乃も注目されているのだ。
「君も芸能人? 注目されているね」
 美容師のお兄さんは楽しそうに、朝乃に問いかける。朝乃は苦笑した。
「いえ。私は一般人です。ドルーアさんに付き添われているから、見られているだけです」
 よくあるショッピングモール内の、よくある美容院なのだろう。なので、大スターのドルーアが浮世離れして見える。悪目立ちとまではいかないが、大変、注目されている。
 これは、店選びを失敗したのかもしれない。かといって、今さらどうすることもできない。ことの始まりは、昨日の朝だった。ドルーアが朝乃に電話してきたのだ。
「昨日、家に帰ってから、弘とサランと電話で話したよ。それで明日、僕と君と祖父母とヨークの五人で、レストランで昼食を取ることになった」
「はい」
 朝乃は相づちを打つ。朝乃はドルーアから、祖父母たちとの会食に参加してほしいと頼まれていたのだ。
「昼食後は、ヨークはバスケの練習のために大学へ行くらしい。君と僕は、祖父母の家に行く」
 ドルーアと祖父母の弘とサランは、約十年ぶりの再会だ。ドルーアは昔、彼らの家に下宿していたという。きっと、積もる話があるだろう。家での滞在は長くなるかもしれない。
「だから朝乃、明日、レストランに行く前に、美容院に寄って髪を切ってもらわないか? 僕のよく利用する店に、君を連れていきたい」
 ドルーアはほほ笑んだ。しかし朝乃は、美容院に行くのはぜいたくと感じた。しかもドルーアの行きつけなんて、なんとなくすごそうだ。値段も高いだろう。
 けれど彼の家族に会うし、リゼの家に遊びに行く約束もした。来月はパーティーにも出席する。加えて、学校にも通うつもりだ。
 自分で適当に切った髪のままでは、はずかしい思いをするだろう。朝乃も、朝乃をエスコートするドルーアも、朝乃の弟である裕也も。ならばちゃんと髪を切って、整えてもらうべきだ。
「分かりました。でも私は、自分でカット代を払いたいです」
 自分で払いたいと言うとき、少し緊張した。ドルーアに対して、自分で支払うと言うのは初めてだ。彼は目をぱちくりさせる。
 朝乃は今までドルーアといるときは、彼におごってもらうばかりだった。今回も、ドルーアはお金を出すつもりでいただろう。だが朝乃は、自分で支払いたい。
 朝乃はまだ働いてお金を稼いでいないが、功と翠からお小遣いをもらっている。それを使って、自分に必要なものを自分で買いたいのだ。ドルーアはちょっとの間、迷っていた。やがて、ほほ笑む。
「君の意志を尊重する。僕のよく行く美容院ではなく、もっと気軽に入れる店に行こう」
「ありがとうございます」
 朝乃は笑顔で、お礼を述べた。ドルーアは朝乃が払えるように、安い目の美容院に行こうと言ってくれたのだ。そして朝乃とドルーアは、このショッピングモールに無人タクシーでやってきた。
 モール内では、ドルーアはいつもどおり注目された。スーパーマーケットの中を通り抜けるだけで素敵と周囲から言われ、花屋の前を歩くだけでかっこいいとささやかれる。こんな調子では、トイレなんて行けたものではないだろう。
「このモール内には、美容院は三店舗ある。さぁ、僕の姫君。どこを選ぶ?」
 他者からの視線をゲームのように楽しんで、ドルーアは朝乃にたずねる。朝乃は、ほどほどに値段が安く、明るい雰囲気の店を選んだ。入店したとたんに、美容師たちと、髪を切られている客たちは目を丸くする。
 そして今、ドルーアのせいで、店内は人がいっぱいだ。朝乃は、申し訳ない気持ちになった。有名人のドルーアと普通のお店に入るのは、考えなしの行動だった。
 朝乃は後悔したが、美容師はご機嫌な様子で髪を切っていく。彼は何も気にしていなさそうだった。朝乃は髪型を変えずに、切りそろえてもらうだけだ。だがプロの美容師のはさみとドライヤーによって、鏡の中の朝乃は見ちがえるようにあかぬけた。
(こんなにも印象が変わるんだ。色も変えていないし、長さもほとんど変わっていないのに)
 朝乃は驚いた。全体的に重たかった黒髪は、軽く明るくなった。特に、ぱっつんだった前髪がきれいになった。ストレートのロングヘアはさらさらして、きらきらもしている。やぼったさのなくなった自分に、朝乃の心は浮きたった。
「どうかな?」
 美容師は愛想よく問いかける。
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