宇宙空間で君とドライブを

戻る | 続き | 目次

  7−10  

「君は僕のものだ」
 彼は安心したように、小さくつぶやいた。いつもの甘い口説き文句なのか。しかし、息のような小さな声だった。
 しばらくすると、ドルーアは満足したらしく朝乃を離した。彼の機嫌は直ったように感じられた。ドルーアはまた食べ始める。朝乃も食事を再開した。功と翠は、朝乃とドルーアの突然のハグに無反応だった。朝乃と同じく、慣れたのかもしれない。
 裕也も孤児院で、何の前触れもなく朝乃に抱きつくことが多かった。彼は朝乃を抱いて、安心感を得ると去っていった。よって朝乃は、恋人扱いをされていると思っていた。
(でも実際は、そうではなかった)
 朝乃は裕也に、肩を抱かれたことはほとんどない。腰をさわられたこともない。裕也にとって朝乃は、ずっと姉だったのだろう。そしてリゼが恋人なのだ。
 恋人と姉のちがいを、朝乃は初めて知った。同じように抱きあっても、そのふれあい方がちがう。もしかしたら裕也もリゼと知り合って、初めて気づいたのかもしれない。
 リゼの積極的な態度は、朝乃には衝撃的だった。朝乃はドルーアが好きだが、ただ想いを寄せているだけで何もしていない。
 キスされたり抱きしめられたりしているが、自分からそれらを行ったことはない。常に受け身で、彼を見ているだけだ。あなたが好きですと、告白すらしていない。
(今のままでは駄目だ。私も何かしなくちゃ)
 ドルーアは、もてる男性だ。競争相手は、たくさんいるだろう。ジャニスひとりがライバルなのではない。ぐずぐずしていたら、ドルーアを誰かにとられる。
 彼の恋人になりたい。そう思ったとき、体がひどく熱を持った。一生懸命に背伸びして、ドルーアを手に入れたいのだ。朝乃は、ものほしそうに彼を見た。彼は、すでに朝乃を見ていた。ドルーアのまなざしに、朝乃はどきっとする。
「わ、私は」
 レシピを調べれば、巻きずしぐらいなら作れるだろう。みそ汁なら、レシピなど必要ない。ドルーアが望むのなら、和洋中なんでも作ってみせる。菓子だって、クッキーやマフィンぐらいなら作れる。
「料理が得意ですし、……でも、その」
 英語も今、がんばって勉強している。ただ今日、リゼとほとんど英会話できなかったが。
「もっと英語を勉強したいです」
 英語は、あなたの母国語だから。けれど朝乃の舌はもつれて、うまくしゃべれない。ドルーアは真剣な顔をして、朝乃を見ている。彼に手を伸ばそうとしても、怖くて手が引っこむ。心臓がどきどきしている。
 あなたが好きです。心の中で思うだけで、顔が真っ赤になる。涙も出そうになって、朝乃はあわててうつむいた。ドルーアから、刺すような視線を感じる。功と翠も注目しているのが分かった。
 どうしよう? 少し冷静になった頭で、朝乃は困った。今の朝乃は挙動不審だ。いきなり料理が得意ですと自慢して、意味が分からない。リゼのように、積極的に振るまいたかっただけなのに。
「朝乃、すまない」
 ドルーアの言葉に、朝乃の目の前は真っ暗になった。彼から拒絶されて、朝乃の足もとは崩れ落ちていく。
「君をこんなに不安にさせて、僕は最低の人間だ」
 ドルーアはつらそうに言う。それから、はっきりと告げた。
「君が語学学校へ行くのも専門学校へ行くのも、僕は賛成だ。僕は、君の産まれたばかりの夢を応援する。君の未来を祝福する。君は大勢の人と関わり、社会に、――広い世界へ出るべきだ」
 朝乃は三秒くらい思考が停止した。学校? 思いかえせば、ドルーアは朝乃が学校へ通うのを嫌がっていた。朝乃はぼう然として、顔を上げる。ドルーアは優しくほほ笑んでいた。
 進路の話も重要だが、なぜ唐突にその話題になるのか? しかしすぐに、朝乃は答に思い至った。朝乃が自分で、料理とか英語とか言ったのだ。
「僕は、おろかな考えにとらわれていた。君を鳥かごの中に閉じこめたいと思っていた。ダーリン、君はゆっくりと、けれど確実に大人になっていくのに」
「はい」
 朝乃は気が抜けたままで答える。ドルーアは朝乃の進学について、反対から賛成に変わったのだろう。なぜ反対したのか。そしてなぜ賛成になったのか。分からないままに、ドルーアは意見を変えた。
 功と翠は、よかったよかったという表情をしている。ふたりは分かっているようだった。ドルーアは彼らに、ほほ笑み返した。
「さっきは幼稚な発言をした。すまなかった」
「いや、いい。それに、お前の言ったことも一理ある。あと、気持ちも分かる」
 功は言って、功と翠とドルーアは仲なおりをしたようだ。朝乃ひとりが置いてけぼりのままで、問題は解決したらしい。功が「そう言えば」と口にして、ドルーアに問いかける。
「裕也とリゼがいるときは聞き損ねたが、ヌールのお前の実家に朝乃と行くのか?」
 知らない話に、朝乃はびっくりした。ドルーアも目を丸くする。その後で苦笑した。
「あぁ、それは誤解だ。浮舟に、僕の母方の祖父母が住んでいるんだ。彼らの家に、今、弟のニューヨークが留学のために厄介になっている。明後日に、朝乃とともに弟と祖父母に会いに行く予定なんだ」
 功と翠はとまどいつつ、相づちを打った。どうやら朝乃が話した、ドルーアの祖父母の家に行く話が、ヌールに行く話、――つまり父方の祖父母の家に行く話と誤解されたようだ。
 ドルーアが簡単に誤解を解いたので、朝乃はハンバーグを食べ始める。結構、おなかがすいていた。いきなり裕也とリゼがやってきて、あまり食事ができなかったのだ。
「前に話していた、浮舟に住んでいる親せきは、母方の祖父母だったのか。もっと遠い親せきと思っていた」
 功は言った後で、チキンの大きなかたまりに手を伸ばす。ドルーアは少し気まずそうに、笑みを保っていた。彼は祖父母に十年くらい会っていない。功が、縁遠い親せきだろうと思うのは当然かもしれない。突然、ドルーアはいたずらっぽく笑った。
「僕の将来の結婚相手として、朝乃を紹介するつもりさ。こんなにかわいい天使と結婚できるなんて、僕は幸せ者だ」
 彼は、はっはっはと笑い声を立てる。ところが予想できていたジョークだったので、朝乃も功も翠もリアクションしなかった。朝乃はハンバーグを食べているし、翠はパンにバターを塗っているし、功は口をもぐもぐとさせている。
 全員から無視されて、――タイミングが悪く受け流されただけだが、ドルーアは不機嫌になった。
「僕の祖父の斉藤(さいとう)弘は、浮舟建設にかかわったエンジニアだ。もう五十年以上も、ここに住んでいる。浮舟が完成する前からいるのかな? だから顔が広くて、いろいろなコネやつながりを持っている」
 斉藤弘という名前に、功と翠は口をぽかんと開ける。朝乃も驚いた。その名前は知っている。功から借りて読んだ、浮舟20の歴史マンガに出てくる名前だ。弘は、浮舟を作った浮舟20の一員だ。
「弘は世話好きだし、おせっかいだから、朝乃に会えば、なにかと力になってくれると思う」
 ドルーアはしゃべってから、朝乃たちの顔をじろじろと見る。けげんそうに問いかけた。
「三人そろって妙な顔をして、どうしたんだ?」
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2023 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-