宇宙空間で君とドライブを

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  6−10  

「私は何度も、裕也の夢の中に入って話をした。そして、さまざまな映像を見せた。宇宙に浮かぶ地球。北極圏のオーロラ。太平洋で泳ぐ、しおをふくクジラ。どこかの家で飼われている、昼寝をする猫」
 それらの映像は、裕也の心を少なからずなだめただろうと朝乃は思った。弟にとってミンヤンは、もっともつらいときに寄りそってくれた人なのだ。裕也が彼に心酔するのは、当たり前だ。
 ミンヤンは地球を指さす。青い海に囲まれた日本列島があった。日本列島はどんどんとズームされて、近畿地方になり、朝乃の住んでいた孤児院が見えた。
「孤児院でいそがしく立ち働く君の姿も、よく見せた。去年の十一月、君と裕也の誕生日に、君はひとりで泣いていた。そのとき、裕也は涙を流すことすらできなくなっていた。彼の代わりに、君は泣いているように見えた」
 ミンヤンは優しい顔を、朝乃に向ける。
「君の涙を見て、裕也は『今のままでは駄目だ』と思った。そして、壊れた心をかき集めようと決めた。殺人兵器ではなく、人間に戻ろう。軍から逃げようと。裕也はもう、誰かを殺したり何かを壊したりしたくなかったんだ」
 ミンヤンの話に、朝乃は泣きだしたくなった。朝乃は多分、裕也にきっかけを与えたのだ。そのときの朝乃は、弟に会えなくてさびしいとしか思っていなかったが。
「家族のきずなを、私は感じた。君という守るべき家族がいるから、裕也は心を取り戻せた。ありがとう」
 朝乃は首を振った。朝乃がどれだけ泣いても、ミンヤンが裕也のそばにいなければ、弟は壊れたままだっただろう。裕也を救ったのはミンヤンだ。ミンヤンはただ、ほほ笑んでいる。
「おとといは君と暖かな時間を過ごすことができて、裕也はうれしそうだった。以前と変わらない君に、彼は安堵していた」
 ミンヤンの声は深く落ちついている。
「君の手料理のパスタのおかげで、裕也は泣くという人間らしい行為を取り戻した。君に髪を切ってもらって、裕也は目に見えて明るくなった。すべて、君のおかげだよ」
 言葉は、朝乃の心にじんわりと染みこんだ。朝乃はミンヤンに、ほほ笑み返す。
「ありがとうございます」
 彼は笑顔で応じた。けれど次の瞬間には、悲しげにまゆをくもらせる。
「ただ裕也の心は、まだ治療中だ。心も体も、簡単に治るものではない。彼は、みずからの心に平安を与えなければならない。若い彼の目には、世界平和の方が重要に見えるのだろうが」
 朝乃はうなずいた。世界が平和になっても、裕也が不幸せならば朝乃はつらい。心の病気は目に見えない。そして弟が朝乃に、病気について打ち明けるとは思えない。実際に裕也は、おととい何も言わなかった。
 だから孤児院の院長は、裕也が病気と朝乃に伝えたのだ。弟のことを気にかけてやりなさい、と。朝乃は改めて、院長に感謝した。
「長く私の体を診てくれている医師が、秘密裏に裕也のことも診てくれている。一度だけだが、心療内科の医師にも診察してもらった」
「ありがとうございます」
 朝乃は礼を述べた。
「どういたしまして。だが医師も私も無力なもので、裕也はいまだに夢のように君を殺してしまうことを恐れている」
 ミンヤンは再び、地球に視線をやる。
「よって、今もまだ君を避けている。特に君を浮舟に送った直後は、過剰に君との間に距離を取った。けれどもう君を、――家族からの愛を避けるべきではないと私は考えている。裕也は君ともリゼとも、世界とも向き合わなくてはならない」
 ミンヤンの視線のさきを追うと、中国大陸があった。今、裕也のいる場所だ。
「裕也は今、私の邸に隠れ住んでいる。私は彼が望むのなら、彼が死ぬまで彼を隠し、守りたいと思っている。しかし、それは不可能だ。現実の私は老いて、立ち歩くこともできず、目も見えない」
 ミンヤンの声はさびしそうだった。
「誰も口にしないが、私の死期は近い」
 朝乃は悲しくなって、彼の横顔を見る。ミンヤンは、未来予知のできる超能力者だ。自分の死がいつ訪れるのか、分かっているのかもしれない。いや、予知能力がなくても、彼の年齢を考えれば、死期が近いのは当然だ。きっと裕也は心細いはずだ。
「私には、時間はほとんど残されていない。だが裕也はちがう。彼には、輝かしい未来がある。功さんと翠さんの赤ん坊を抱いて、幸せそうに笑う裕也の姿が私には見える」
 ミンヤンはどこか遠くを見つめて、いとおしそうにほほ笑んだ。それから少しまじめな顔に戻る。
「裕也はSランクの超能力者のひとりとして、――もしくは世界唯一のSSランクの超能力者として、世界に出なければならない。大勢の人たちの前に出て、自分の意志を主張しなくてはならない」
 ふいに地球のふちが明るくなる。ダイヤモンドのように光り輝く太陽が、地球から出てくる。日の出だ。朝乃はまぶしくて目を細めた。
「隠れたまま、逃げたままではいられないと、裕也も分かっている。だから彼はぼさぼさになっていた髪を、君に切ってもらった」
 朝乃が目を開けると、目の前に地球はなかった。代わりに、赤茶色の星がある。火星だ。地球に比べると小さい。色味も少なく、地味に見える。
 しかしミンヤンは、懐かしそうに火星を見つめる。心の奥底にある、大切な宝物のように。彼は世界大戦終了後、宇宙飛行士として火星に行ったことがある。約四十年前のことだ。火星は彼にとって、戦後の復興や平和の象徴だという。
「来月、月面都市イーストサイドで、あるパーティーが開かれる。ほぼ毎年開かれる、超能力者たちが集まるパーティーだ。裕也は超能力者のひとりとして、それに招待されている」
 ミンヤンは、朝乃の方に顔を戻した。朝乃は、そんなパーティーが開かれていることを初めて知った。どんな超能力者たちが集まるのだろう。そしてそのパーティーのために、裕也は髪を切ったのだ。
「超能力者たちのパーティーだが、超能力者以外の人たちも参加する。裕也を助けるために、君もパーティーに出てほしい。君にも招待状を送るように、パーティーの主催者に頼んでおく」
 朝乃は驚いた。自分も誘われると思わなかったからだ。ところでパーティーとは、具体的にどんなものなのか。ドレスを着た大人たちが談笑する、ぼんやりとしたイメージしかない。お酒を飲んだり、社交ダンスを踊ったりするのか。
 朝乃は宇宙空間で、風船のようにふわふわと浮きながら迷った。パーティーに出席して、朝乃は何の役に立つのだ? けれど弟の助けになるなら、出席したい。
「はい。お願いします」
 朝乃は言った。ミンヤンは、にこりとほほ笑む。
「主催者は、私の友人であるベン・ガルシアだ。パーティーは七月二十日に、彼の別荘で行われる。ホームパーティーのようなもので、カジュアルな服装で参加してほしいそうだ。こじんまりとした集まりで、参加者は百人もいない」
「はい」
 朝乃は返事をしたが、ますますパーティーが分からなくなった。別荘でホームパーティーで百人? 自分は場ちがいではないか、と不安になる。
 世界が少しずつ白く明るくなっていく。火星の姿も薄くなっていく。夢の世界が終わろうとしているのだ。朝乃は助けを求めるように、ミンヤンを見た。
「そろそろ目覚めの時間だ。朝乃、君がこの夢を忘れても構わない。いや、私が夢の中に入っても、たいていの人は夢の内容を忘れる。だから裕也には、君ともっと話すように、君を頼るように私から言う」
 ミンヤンの姿も消えていく。
「待ってください」
 朝乃は彼に手を伸ばした。宇宙港の火事のこととか、まだ聞きたいことがある。裕也は、日本の宇宙港に火をつけた。ミンヤンはそれに、どう関わっているのか。
 それともミンヤンに関わりなく、裕也は勝手に火をつけたのか。おそらくそうだろうと思うが、それならそれで弟を止めてほしかった。
 しかし世界は白くなり、ミンヤンも火星もほとんど見えない。せめてこの夢を忘れないでいようと、朝乃は強く思った。
 ミンヤンは忘れても構わないと言ったが、裕也のこともミンヤンのこともパーティーのことも英語のことも、どれも重要な話だ。忘れたくない。
 朝乃の夢の世界は、急速に閉じていく。火星よりも、火星を見るミンヤンの懐かしそうな横顔が印象に残った。


火星(NASA)
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